河口湖周辺の撮影へ行った時の日記 その13 | 配電ウォッチャー!!ゴロンディーナー!

河口湖周辺の撮影へ行った時の日記 その13

 

へぇ

 

 

鉄道用にも動物注意の標識あるのか

 

 

 

 

 

ホントしつこいですねw左矢印ゲラゲラ

1つや2つに対して、一体何枚撮るんだかww

 

 

 

遮断器は、自動で上がらないところもあるのか

 

 

 

 

ここの接地側電線引き通しの青色の低圧引き留めがいしは、珍しく下向きだな。

 

 

 

まぁこのような水平腕金の場合は、こうなるか

 

 

↑ちなみに栃木県メインの三相4線式低圧配電線では

 

 

それを上向きに取り付けた例も発見している!

 

これなら低圧ピンがいしを用意すればいいと思うが、東電管内では多分、緑の低圧ピンがいしの使用は取りやめているだろうから、こうなっているのかと考えられた。

※これは東武宇都宮線のおもちゃのまち駅付近で撮影した、

 

 

さっきの続きで

 

 

両引きはこんな感じ。

ここは普通に横付けだった。

 

 

 

富士急の架線柱は、木柱もあるようで

鉄筋への取り換えも進んでいるか

 

 

 

一部は特別高圧ピンがいしに似たものも確認しているが、ここはダブルヒダ仕様の耐塩高圧ピンがいし

 

 

通信ねじ切り2重がいしカップも残っている。

まぁそれは、東京メトロ日比谷線にもあったか

千代田線もあったかな。(東京の地下鉄でも、それがいまだにあるとかwゲッソリ)

 

 

 

 

通信がいしは、一部は相当古そうなものも

 

 

右側には1966年(昭和41年)の日本ガイシ製の通信ねじ切り2重がいしカップも

ロゴマークは、同時期前後の製造品で見かけた(耐塩皿がいしで見た)ものと一緒ですな。

 

 

ここで再びさっきの配電線の撮影へ戻った。

 

 

 

これはさっきの反対側w

 

 

次いでこれが!

 

 

低圧は三相4線式だな。変圧器は異容量だ。

 

 

んん?

 

 

これより先は、公園の遊歩道とあるが、それ多分、天竜南線への巡視路では?

 

 

じゃあ公園の遊歩道なら?別に入ってもいいってことだな?笑い泣き

公園の遊歩道と巡視路とが重なっているということで、認識していいんだな?

 

 

別に法に触れることはないってことだよな?

では、お言葉に甘えてwゲラゲラ

入らせてもらおう。

 

 

唯、ほとんど入る人はおらんようで

 

 

途中、滑落しそうな危険な箇所あり。

もし行かれる場合は、自己責任願います。

 

 

慎重に進んだ。

 

 

上に上がる途中も、色々見えた。

さっき地上から撮ったもんだな。

 

 

 

 

 

これはさっきも見た、向かいの山の天竜南線

 

 

ほら!w

やっぱり

でも、公園なんだよな?w

 

 

 

 

送電塔の年式は、ここも昭和5年(1930年)4月のようだが、がいしはさすがに当時物はなさそう。w

 

 

唯、当時のがいしのかけらなら、落ちていたものがあった。

やはり90年もあれば、1度や2度は落雷があって、がいしを壊してしまうこともあったのだろう。

 

 

おお~!

日本ガイシさんの製造品だな。

TUNNEL KILNの文字まである。ウシシ(左矢印ここ、ポイント!)

製造年は一応、建設1年前の1929年(昭和4年)製とある。

日本碍子博物館で見た以来だな。

さすがに割れてないのはないかwって探してるのかよwゲラゲラ

 

なお、TUNNEL KILNの文字は、1928年製造品から印字を始めたようだ。

(それについては、東工大が所蔵している。)

それ以前のも見たことあったかな~?

記憶にないな~

 

 

おっと、もう1つかけらがあった。

1929年の9月の製造品か

 

 

なお、こちらの遊歩道については

 

 

↑1メーター未満の徒歩道のようですな。

南側からも入れるようになっているが、そっちの方は書かれていない。

でも、入口には確かに、公園の遊歩道とあった。

 

 

ちゃんと見ましたからね!

 


 

 

 

隣接も望めたが、その先は崖っぷちで危なそう。

ということで、ここまで!

 

 

 

出る前にズーム撮影w

 

 

あんな傾斜のあるところによく建てましたな。

 

 

頂上が一番雷が当たりそう。

この辺も打ち捨てられた懸垂がいし連があるんじゃねえか?

まぁ行かないけどw

 

 

 

 

では戻るか

 

 

 

またずいぶん古そうな。

 

 

アクエリアス、昔のはこうだったのか

 

 

プルタブの時代だよ~ゲッソリ

現場の人が捨てたのかな

 

 

がいしの破片は他にもw

 

 

雷の破壊力ってすさまじいよな。

 

頑丈ながいしでさえも木端微塵

でもこれは文献を見ると、特に1926年製の懸垂がいしは、性能が悪いものが多かったらしい。

(「がいし」 電気学会 1983年6月15日 初版発行を参考した↑)

 

 

ひっくり返すと4つヒダ

多分さっきと同じ昭和4年製のものだろう。

ちなみにこれは、大正期は5つヒダもあった。

でも、松風工業だけは?、昭和初期までは5つヒダを製造されていた。

 

 

 

ピカちゃんの看板のかけらまで落ちてるしwゲラゲラ

ちなみにピカちゃんという名は、世田谷の人が名付け親らしい。

 

そのことは、「東電グラフ 1964・8月号・第135号 昭和39年8月1日発行」に載っている。

よく覚えておくようにwウシシ

 

 

神社経由で行ってもよさそうだが、そっちはわからないから、元来た道でw

 

 

戻った。

 

 

まーた、この危険個所を通るのか

 

 

台風などの大雨で、どんどん土砂が溜まっていって、こうなっちゃうんだろうな。

 

 

 

 

 

さぁ次は、高圧引き込み線で残る木柱の撮影だったよな。wウシシ

 

 

 

さっきの天竜南線の送電塔までは、こっちから入った方が安全そうだな。

 

 

車は入れないらしいけど。

(自己責任願います。)

 

続く。