十島駅から歩き、佐久間東幹線の烏帽子型鉄塔他の撮影へ行った時の日記 その1
2022年12月29日
2022年の年内最後の撮影となったこの日
まずはJR身延線の十島駅から歩き、電源開発社の佐久間東幹線の烏帽子型鉄塔の撮影へ向かった。
JR身延線は便が少ないため、またしても、早朝の出発となった。
ということで!
もう帰省ラッシュが始まっているようで、行きの京浜東北線は、早朝といえども東京駅までは混雑
今回は新橋駅から東海道線に乗ってとの乗換案内が出たため、そこから乗った。
ということで、午前5時台の新橋駅
写真には写っていないが、朝まで飲んで酔っ払いでふらついている人や、大勢でワイワイと賑わっているグループがいた。w
ちょっとあまりにもうるさいのは嫌なので、避けた。w
今度は6時8分新橋駅発の熱海行きに乗るのじゃ。
熱海駅到着後は、あのJR東海の青い改札は、一方通行でしか通れないため(帰りのみ通用)、またもや熱海駅では切符を買って、引き続き東海道線を乗り継ぎ、富士駅を目指した。
JR身延線は、西富士宮行きまでなら、多少便がありそうだ。
10時5分、目的の十島駅に到着!
駅舎コレクション~
十島駅
今日はここから歩いて、佐久間東幹線を目指した。w
それにしても!いやはや、同線にも烏帽子型鉄塔があるのは、最近になって知った。
雪が多そうな山岳部だと、どこもそのような構成となるのか
いや、でも東電の設備では、安曇幹線ぐらいしか知らんぞ。
後は栃木では塩原の方にもあったか・・・あれは電線路名わからないw
ここまで来ると
全然交通量がない。w
と、この時だった!
おっ!
川の横断箇所で送電の254mm懸垂がいしを使っているところまでは、幾度か見たことがあるが
↑配電線バージョンのダンパは、今回が初見だった!
珍しいから、一杯撮っておいた。w
ここは
先にある高圧配電線の反射が凄かった。
さて、この先は右折だ。
でもこれより手前側に近道できる道路があるので、そこへ向かう。
その時だった。
向かいの山に佐久間東幹線が見えた。
同線の撮影へ行ったのは、2018年だから4年ぶりだな。
その時は、町田のマンモス団地辺りでの撮影だった。w
だが、今回はぎりぎり林道などで近づけそうな道路沿いでの撮影だ。
道路は凍結してる感じか?
早歩きしてると、ちょっと滑った。w
あれは
今年の6月頃に撮影へ行った、他社(日軽金)の古い構内用の送電線だな。
あの送電塔もまたかなり古かったよな。昭和15年だったけ?
自前の発電所もあるらしい。
と、この先で意外な発見があった!
んん?
おや?これは!
なんであんなところに特別高圧ピンがいしがあんだ~!?w
誰かが、コレクションであえて目立つあの場所に置いたのかなw
特別高圧ピンがいしとは、昔の鉄柱や送電塔でよく使われていた送電用のピンがいしのことである。
早くて明治期、大正頃まではよく使われていたが、以降は機械的強度などが問題となったり、もしくは大正末期、送電電圧が10万ボルトを超えるなどして大いに昇圧し、ピンがいしを大型化することはほぼ実現不可能であったりしたため、154kV送電が増えた頃には、今現在多いに普及の円盤型の懸垂がいしが主流となった!
とりあえずこれは、大きさ的に50号か60号ピンがいしかと思われた!
日本ガイシさんの製造品である。
ちょっと製造年などを見させてもらろうかな!
電線支持点である天切り付近には、Tunnel Kiln(トンネルキルン)の文字はなく、製造年については、1957年8月であるのが見て取れた。
同社製造品では、特にTunnel Kilnの文字があるピンがいしが非常に珍しいのだそうだ!
(ここまでまじまじと見るのは、物好きなワイぐらいしかおらんじゃろうにw)
↑でもこのがいし、よく見てみるとかけてしまっているな。
地震で倒れるなどしてしまわないかが心配だ。
できればこれは貴重であるから、屋内に置いてもらいたいねw
誰かに盗まれる可能性だってあるぞ。
それはさておき、佐久間東幹線を目指す。
今回撮影したいのは、こちらの山の反対側だ。
烏帽子型鉄塔があるようなのじゃ~
おっ!
あんなところに電圧調整器
下段回線については離隔腕金で交わしていた。
なんかテプラで貼ってあって、書いてあるね
タップの文字は見える。
ここより、いよいよ林道へ!
ここでは山の中で、佐久間東幹線の下を日軽金の古い送電塔が潜っているのが見えた。
と!
その後のできごとだった。
丁度今撮影した辺りのガードレールの上に1匹の猿が現れ、「キー」と、なんか叫んできた。w
おらの縄張りに入るなってか?
長野で出くわした時のことを思い出した。
あそこの猿は避けてくれんかったが、ここの猿は勝手に猿の方から逃げて行った。w
ここも一部で道路が凍結してるようだ。
遠く離れた山だが
岩肌が凄い。
途中で崩れたのかな?
この林道、以外に長い。
それから息切れw
榑坪線もあるようだが、この辺は原型はないみたいだからなぁ
んん?あれはなんだ?
さて!
2014年撮影のストリートビューではこの先は工事中で通行止めようで更新が止まっていたが、今はその工事は終了したようで、普通に通れるようになっていた。
その上部では
丁度1回線を分岐する榑坪線の送電塔が見えてきた。
これはとりあえず、榑坪線125号鉄塔のようだ。
なお、分岐の1回線の送電線の引き留めには、長幹がいしが使われているのが見て取れた。
この先の林道はダートで、またもや2019年の台風被害を受けたのか、にわかに地割れも見られた。
そうこうして、ようやく烏帽子型鉄塔バージョンの佐久間東幹線へ到着!
どうやら1回線ずつ振り分けて支持しているエリアもあるみたいで、片方については、四角鉄塔も見ることができた。
それでその四角鉄塔に関しても、そこは送電線の支持の位置が珍しかった。
まずは烏帽子型鉄塔から見て行こう。
年式については、こちらも昭和30年12月建設のようだ。
1回線ずつ振り分けられた佐久間東幹線は
この先の162号鉄塔で、2回線が同時併架される感じか
ここでは富士山も望めた。
次に2号線側の佐久間東幹線を目指す。
そっちも烏帽子型鉄塔なのかと思っていたが、そこはそうではなく変わったものが見られた。
誰だ、こんなところに棚を捨てたの!
現場へ到着!
こちらの種類の説明はこんな感じ。
ご覧の通り、佐久間東幹線については、1号線、2号線と共に烏帽子型鉄塔にはなっていない。
(安曇幹線では、1号線、2号線両方とも烏帽子型鉄塔だが、こちらは違う。これまた会社ごとに違うわけか)
2号線についてはこの通り!四角鉄塔となっており、一応これは2回線の支持ができる設計となっているが、送電線の配列は三角配列となっており、腕金の取り付け位置が珍しかった!
プレートは
う~ん、ここで!日陰で見えないと思っていたら
突如明かりがw
(実際には、太陽の光です。w)
これまたタイミングがよくない?良すぎない?
やっぱり俺にはこれしかないのかw
いや、マジこれには鳥肌が立ったわww
とはいえ、年式は見えなかったけどw
さて、山を下るか
先ほどの1号線側の烏帽子型鉄塔がまた見えてきた。
架空地線については、2条ある模様。
がいしは多分、昭和30年代の当時物じゃないかな?
日本ガイシさんのロゴが昔のものだもの。
色が白だから古そうだな。
山だから長持ちしてるのかな
でもジージーと聞こえた。
後少しで手が届きそうだ。
茶色のがいしのある辺りは、取り換え済みなのだろうな。
もう一回プレート見ますか
昭和30年じゃ、安曇幹線よりも古いな。
1955年か
若番方面はこんな感じ。
ススキ越しに見えた。
さて、そろそろ下りるよ~w
続く!