令和初の撮影は愛媛県の松山市へ! その2
そしてついに
あの木柱へ到達
しか~し
肝心な変圧器への引き下げ線支持の筒形の貴重ながいし(東電管内ではこれを耐塩高圧引き下げ用支持碍子という。)については
トランスの更新に伴い撤去されていたのであった。
それにしても
高圧上部は古そうです。
高圧耐張がいしは1連の箇所もあり、これはかつての配電電圧3300V時代の名残かと思います。
他には、中央で高圧耐張がいしを支持するストラップがVストラップであるのも古い
これは、かつての高圧茶台がいし時代の名残かと思います。
さて、こちらの建柱年はっと
どうやらこれは、昭和33年式で間違いなさそうだ。
えっ半世紀超えて60年も持ちこたえているのかい
で、上にある共用の文字については何かというとこれだ↓
昭和20年代頃までは、配電線はまだ裸電線が主流で、その中で配電線(強電線)に加えて電信線(弱電線)と一緒に併架してしまうと、誘導が発生し、電話に通信障害が起こりかねないので、電信線と配電線類はそれぞれ別々で支持していた。
だが、昭和30年頃に入ってからは、今度は配電線の絶縁電線化が急速に進み、電電公社が管理する電信線と一緒に併架することが可能となったのであった
その影響で~「電話線類と共用できますよ~」と示したのがこのプレートが示す意味なのである
わかったかなw
それにしてもこちらは凄い
電線の本数が多いのにもかかわらず、よく長年持ちこたえた
思わず感心してしまった
しかしこちらも、じきに建て替えられる見込みであろう。
続いてお次
こちらは引き通しで木柱です
なお、高圧がいしについては、10号中実がいしに取り換えられてしまっています。
(こちらの付近では、木柱で高圧ピンがいし引き通しという生きた化石もいたようなのですが、それはなくなってました。)
なおこちらは
車がぶつかった時のことを考慮したのでしょうか、根入れの部分についてはコンクリートでカバーされているのがわかります。
さて、こちらの建柱年は昭和56年のようです。
いや、足場釘とかの錆を見ると、もしかするとこちらは昭和31年式かも・・・・
続いてこちらは、電電公社(現:NTT)のプレートですが
昭和45年頃に電話線も併架させたみたいです。
さて
反対側はこんな感じで
とりあえず一番撮りたかった木柱は撮れたからよしとするか
だが、この後の木柱については、全てなくなっていた。