『正確な情報を言う人より時間を守る人よりユニークな独特な表現をする人より何よりも多く喋る人』
なんだって。
とある研究(毎回思うのだがこの「とある研究」って言う表現さえすれば誰もが納得すると思っていないか?僕ら読み手はそれがどんな条件で何回行ったのかを聞かなければその精度もわからない。突き詰めればそんな実験が行われたのかすら分からない。身も蓋もない)によれば、
会社で発言力がある=周囲から支持される人は、どれだけ独創的で練りに練られた意見を述べる人ではない。ウィットに富んだ発言を面白おかしくできる落語家みたいな当意即妙が得意な人でもない。超単純で当たり前のことでも、もう何度も聞いたよって事でも、なりふり構わずとにかくたくさんしゃべり倒す人の意見が最も支持されるとのこと。
適当に(?)話すうちに、聞いている側は言われた事がたとえウソでもそれっぽく思えてくるらしい。
だから、会社のようなコンセンサスを大事とされる社会で生き残り自分の立場を確立したいのならば、とにかくしゃべり・質問することらしい。
多くの人間とふれあう中で知識を身につけていき、いつか大きな発言を持てたらそれでいいんだって。
頭に思いついた事を口に出して話せば、損をすることはない、らしい。
にわかには信じがたいけど。
さて、このいかにも『社会人一年目に教えたい10の事』みたいな自己啓発本に書かれているようなもっともらしい意見について、今から異議(≒言いがかり)を唱えたい。
『とりあえず、思ったことは喋っといて損はない、と思いきや損。』
これが今日の暮らしの中で僕が思い抱いたことだ。
思ったことをとにかく喋る人は、その人の周りに話しを聴いてくれる人が揃っているたけだ。
その人が何を語ろうともバカにしたりせず、言葉にできないことばをその人のことばとして聞いてくれる人がいるだけだ。
話しの内容を完全に理解できなくても寄り添ってくれようと努力してくれる人に恵まれているだけだ。
喋るやつが特別に見えるのは、そいつを喋るに気持ちいい環境を創ってくれる周りの人間がいるからに違いない。
そういう奴は、幼い頃から両親やおじいちゃんおばあちゃんそして理解ある周りの人や友だちに恵まれて話を聞いてくれた人がいるんだ。
ではもし僕の周りの人たちが話しを聴いてくれるとして、口下手でおだてたり太鼓持ちが苦手な俺のような人間が、明日から突然やってみたとする。
…想像以上に気持ちが悪い。
聴く側もさることながら、話す奴だって、なんて気持ちの悪い語群をチョイスしているのだろうと感じる。
嗚咽がするなんてもんじゃない。
会社の人や周囲はどう思うだろうな、もうこいつの発言力は死んでいるのではなんて思うかもしれない。
正解だ。
僕の言葉は死んでいる。
僕のような、本当は感情的になりやすいのに、それを愚かだと知られたくないから感情を抑えて冷静に見せてインテリぶっている、だけどバカな人間は、もう何をしても気持ち悪くて仕方がない。
いわゆる漢気とか泥臭さというのに対する忌避感が強すぎてたで食う虫も好かないのさ。
虚栄心で塗り固めたちっぽけなプライドがドロドロと心に纏わりついているから、
ちょっと勇気を出して喋ってみたところですその液体プライドが溢れ出てしまうのだ。
ながながと述べたけれど、
要は、余計なことはもう何も喋るなってこと。
必要最低限の言葉だけをつかって、
必要最低限の人間関係だけ築ければいい。
あとは早めに退社して、
ゼスプリのCMでも研究しながら
美味しいキウイを食べていればいい。
キーウーイキウイ♪
ところで、とある研究(出たでたー!!)によると、キウイは便秘解消にすごく効果ぎあるそう。
明日から、店頭にはキウイが並ばなくなるのではないか。
ゼスプリには期待をしている