寂しい夜と淋しい僕で 気がつけば世界は二人きり -22ページ目

寂しい夜と淋しい僕で 気がつけば世界は二人きり

想いは誰にも見えないから、このようにブログにしてみたのです。
ダメな僕を朝日とやらが映し出す時まで

一円玉が100枚で100円

百円玉が100枚で10,000円

一万円札が1枚で10,000円


ではここでクエスチョン。

これらは全て、事実か。




数学の問題である。

同時に、哲学の問題でもある。

そして、この問いに対するベストアンサーは、

『事実であるが、真理ではない。』

である。

数学で回答するならば、

「十分条件であるが、必要条件ではない。」


言うまでもなく、お金はモノやサービスの対価として支払う際に使用する。

税込み10,000円の物を買うとして、僕らは一万円札を差し出す事になる。

これは当然の成り行きである。

言ってしまえば、事実である。


では、この一万円を払った人はどう思っているだろう。

「これで一万円は高い(安い)」

と思う人が大半では無いか。

金額が100円200円ではそうは思わなくても、

大台の10,000円ともなると、商品の価格設定に対して疑念が抱かれる。

つまり支払金額が、その対価として受けられる恩恵に対して相応のものなのか否か。

そういうところに、一万円札が1枚で10,000円であるかどうかの真理があると思われる。



価格設定は様々だ。


ゲームカセットが10,000円

遊園地の入園料が10,000円

アフタヌーンティーが10,000円

中古車の軽トラックが10,000円

ガールズバー二時間利用が10,000円

ソープランド30分間利用が10,000円

妊娠から出産までの諸経費が10,000円…は無理があるな。最低でも50,000円。


果たしてこれら全てが適正価格だと言えるのだろうか?

結局は消費する人の価値観もとい主観が全てを決めるのである。




そう。この世は全て“主観”である。




哲学なんて、主観をさも論理的に並べ替えて

いかに相手を捲し立てるかの遊びである。

そこに数学ほどの秩序なんて無い。

秩序は英語で「order」というらしい。

主観はいつもオーダーメイド。

自分で作り上げた秩序の列挙である。


という事で、

僕はモノの値段が高いと感じたら、

それは買わないようにしてもっと安いものを探そうとする。

もしくは、値切る。

メルカリなら値切り交渉ができる。

相手の顔が見えないから。

せこい思考である。


そんなんでは周りのみんなに一斉に言われそう。

「じゃあ、買うなよ。」って。

しかし本当に、その通りだ。

わちゃわちゃと文句を言うなら、買うな。

倹約家を謳う人間が、価格にケチを付けるのなら、それこそケチな人間である。


商品を買う以前に周りの人から反感を買いそうなので、今回は僕が反省をして引こうと思う。

周りの意見を全て受け入れるべきとは思っていない。

けれど、今回ばかりは、みんなの意見が正しい。

「一万円の価値、10,000円じゃない」という僕の主張は、オーダーメイド失敗です。

ダメだこりゃー。