人は10代で聞いた曲を一生聴くという説について | 寂しい夜と淋しい僕で 気がつけば世界は二人きり

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想いは誰にも見えないから、このようにブログにしてみたのです。
ダメな僕を朝日とやらが映し出す時まで

30歳になってまず最初にやった事は、

Spotifyでプレイリストを作ることだ。


この十年間で聞いた曲の中で特に印象深い曲を集めて「20代で聴いた曲」というプレイリストを作った。

ついでに「10代で聴いた曲」というプレイリストも作った。


選び方は、曲のタイトルを見て頭の中に曲を流す。その時に浮かび上がった過去の自分、当時その曲を親身になって聴いている自分の姿を思い出す。

そしてその自分が何歳なのかを見てからプレイリストに振り分けた。

仮に10代と20代の思い出に跨って心に残っている曲があった時は両方のプレイリストに入れた。


有名な曲でも、頭の中に思い出が蘇らないものはプレイリストに追加しなかった。

また思い出さられてもその出来事が特に今の自分に影響していないと思ったら追加しなかった。(でないと20代のプレイリストほど記憶が鮮明な分いろんな曲をいれてしまうからだ。)


しかしそうこうして完成したプレイリストは少し意外なものになった。


20代の曲…合計13時間

10代の曲…合計19時間


なんと10代の思い出の曲の方が6時間も多くあるのだ。

一曲4分と計算したら、およそ90曲も多くプレイリストに入っている。

ここまで圧倒的に差が開くとは思わなかった。




昔docomoか何かのCMで、

『人は10代で聞いた曲を一緒聞く』

みたいなキャッチコピーを耳にした事がある。

まさにコレなのかと実感した。

今回のプレイリスト作成で、僕は曲と思い出の関連性を見て選んでいる。

つまり、10代の頃は出会う人、景色、経験、気持ちがどれも色濃く思い出の曲に刻まれているという事だ。

あるいは刻まれやすかったとも言うべきか。


20代になり大人になると、昔ほどキラキラした目で物事を見る事ができなくなってしまうようだ。

そういえば18歳の時、当時21歳だった姉の彼氏(のちの旦那さん)に、

「君はお姉さんと似て好きな事を話す時に目がキラキラさせるね」と陰で言われていたらしい。


そういえば10代の僕はお祭りごとが好きだった。

文化祭では積極的にいろんな人にバンバン話しかけていた。

今みたいに「バカにされないかな」「怒られないかな」「間違った事を言わないかな」

などと尻込みするような事はなかった。

ただその場その場で思いつきの言葉を発して行動に移していた。


もちろんそのせいで何度も痛い目に遭った。

文化祭では実行委員に怒られ、

合唱祭では一般生徒たちに文句を言われ、

その場の軽い気持ちでホイホイ告白をした(フラれた)

なんとも怖いもの知らず、というか愚か者というか。

でも、それが何だかよかった。

楽しい思いも、苦しい思いも、切ない思いも、嬉しい思いも、みんなみんな経験できたから。

それら一つひとつが、思い出の曲を聴くたびに思い出されてくる。

だからこうしてプレイリストを作り曲を聴くたびに昔の自分に思いを馳せる事ができる。

そんな過ごし方ができてよかった。

僕が僕である事ができてよかった。




タイトルにある『人は10代で聞いた曲を一生聴く』と言う説に対して、

僕は否定しない。

ただし肯定も仕切れない。

なぜなら20代でも新しい出来事に対してキラキラした目で向き合っている立派な人たちが

世の中にはたくさんいるからだ。

むしろ20代になって教養をつけたら視野が広がっていき、それだけ思い出の曲を増やす人もいる。


10代は無知故の行動ができ、

20代は知識とこれまでの経験から新たなアプローチができる。


では30代はどうだろう?

予想では30代はもしかしたら自分よりも家族のためにっていう思いが強まるかもしれない。


好きな人や恋人、上司、部下、友達に対して、

いろんな気持ちを抱きながら新曲を聴けたら良いなと思うのさ。