今日、写真を見返していた。

まだ継子が小さかった頃の写真が出てきて、私は継子を抱っこしていた。

あんなに大変な子で毎日が戦いだったのに、私は継子を抱っこしてたのか。

忘れていたわけじゃないはずだけど。

抱っこしてたのは覚えている。

でも、写真で見るとすごく変な感じだ。

当時は嫌いじゃなかったのかな。

好きではなかったと思うけど、必要だから抱っこしてたのかな。

よく思い出せない。

我慢して抱っこしてたのかもしれない。


小さい頃の継子を見ても可愛いとちっとも思えない。

赤の他人の小さな子供は可愛いなと心から思えるのに。


他人の子供がお母さんから厳しく叱られていたりするのを見ても胸がギュッと苦しくなる。

お母さんも子供も辛そうで、見てると悲しくなる。


それなのに、継子の事となると全く興味がなく、可愛くなく、同じ空間にいるのもしんどい存在。

私は鬼になったんだろうか。


継子は発達障害がある。

上の子も育てやすい方ではなかったけど、それとは比べ物にならないほど育てにくい子供だと思う。

性格もずる賢く、良心が少ないように感じる。

必要以上の度胸がある。だから悪い行動を躊躇なくできるのかもしれない。

可愛くない。

全然可愛くない。


誰彼構わず懐きまくり、初対面で馴れ馴れしいとこも。

相手が誰でも関係ない。

懐きまくっておねだりするところ、全然可愛くない。


だから、嫌いなんだろうか。


継子が良い子だったら、今と違ったのだろうか。

子供らしいなと思える子だったら、問題行動がない子供だったら好きになってたんだろうか。


多分なってない。

嫌いだったと思う。

良い子なのに好きになれないって、今よりもっと苦しかったかもしれない。

嫌いなとこを一生懸命探したかもしれない。


愛する人の子供でしょと言われた事がある。


いや、愛する人の子供だから嫌いになるんだよ。

誰の子かも分からない子供の方がよほど可愛い。

近所の子供の方がよほど可愛い。

もし全く知らない子供を育てないといけなくなったら、今のような感情は沸かないかもしれない。

意味もなく嫌いになる事なんてなかったと思う。


保育園の担任の先生や学校の担任の先生や放課後デイサービスの先生や主治医から言われる。


すごく可愛いですね。


そう言われるたびに苦しい。

全然可愛くない。


どこが可愛いの?

全然可愛くない。


以前は、可愛く思えなくてごめんね、と思っていた。

でも、可愛くなさすぎて、それすら思えなくなってしまった。


すごく可愛いですよ、お母さん。


そう言われるたびに壁が見える。

私もそっち側にいたかった。

こんな醜い心があるなんて知らなかった。


可愛くない、という親に対して、驚いたり軽蔑したり非難する側にいたかった。

正しい人でいたかった。



継子が小さかった頃に行っていた保育園の園長先生は私が継子の問題行動に参っていたのを知っていた。

愛情がないという事は打ち明けてなかったと思う。

でも多分分かっていたと思う。


セメントベビーが産まれたばかりで、私は継子には見せない笑顔を抱っこしてるセメントちゃんに向けていた。


「お母さんはそのままでいいんですよ。セメントちゃんをたくさん愛してあげたらいいんですよ」


園長先生は優しい顔でそう言ってくれた。


なぜそんな話になったのかは思い出せない。継子の相談をしている最中だったのかもしれない。

園長先生のその言葉の印象が強すぎて忘れてしまった。


その時、すごく心が痛かった。

園長先生は、私が継子に愛情がない事を許してくれてるんだと思った。

そう思うと辛くなった。苦しくなった。

誰も許してくれなかったのに。

感謝の気持ちと申し訳ない気持ちで苦しかった。

鬼が急に人間に戻ったみたいに、ごめんなさい…そんな気持ちになった。


愛せなくてごめんなさい。

可愛くなくてごめんなさい。

どうする事もできなくてごめんなさい。




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