、。 | あい言葉は、富山やと。 in nagoya .

あい言葉は、富山やと。 in nagoya .

思ったこと、感じたことをただひたすらキロクする。

今思ったコトで、

ある生物の問題がでたとする。

『次の文章は適切であるか、間違っているか?』

上の問題の場合には、
解答としては、

マルかバツかの二択になる。

仮に僕が、正解をマルだと判断した時には、
同時に正解がバツである時の問題文がアタマに浮かぶ。

これは意識があったり、無意識の場合でもアタマにはでている。


逆に、正解をバツと判断したならば、

再びアタマには、

正解がマルである場合の問題文が生まれる。
解答を間違えた時には、

自分の出した解答とは逆の時の場合の問題文は間違っていることになる。


しかし、
自分の出す答えが間違っている時でさえ、

勝手にアタマに出てきて解答の判断材料となる。
 
コレは知識から生まれてくるものなのか?

それとも、自分の出す・出そうとする答えに対する自信をもたせるためのものなのか?

不正解になったときには、後者の方がつよいと考えられる。


今だそうとする僕の答えは………

その答えとは逆の時の問題文つまりは正解のための判断材料は、


いったいアタマのドコからきたのだろうか?