9月1日。忘れてはならい、震災時の流言飛語と震災下の虐殺。それは日本で起こったこと。 | あと猫の寿命ほど。如露亦如電2024

あと猫の寿命ほど。如露亦如電2024

  2013年58歳の春に「うつ病」でダウン。治療に4年半。気づくと還暦を過ぎました。
  66歳になった2020年夏に「ああ、あと猫の寿命ぐらい生きるのか」と覚悟。世の中すべて如露亦如電です。

ショボーン 西日本から関東まで、大雨被害をもたらしている台風10号。毎日のように「線状降水帯」という言葉がマスメディアで報じられ、被害回避が呼びかけられています。

 

キョロキョロ 当初、「非常に強い台風」報道で暴風雨の資料画像がマスメディアで流され、その後は大雨被害の映像が出ています。

 そして、これらは「異常気象」「地球温暖化」が原因と一様に報じられているのですが・・・。

 都市開発間違っていないか?東京への一極集中化に見られるような、日本の地方と都市のあり方おかしいのではないか?災害リスクの境界線にギリギリの市場形成(インフラ形成)してきているのがおかしいのではないか?そういう施策を採り続けてきた「日本」という国がおかしいのではないか?って強く感じます。一時期世界の最高峰の経済力を誇った日本の「お金」はどこに消えて行ってしまっているのでしょうか?ムキー

 

びっくり 9月1日は関東大震災の日です。東京は防災の日。東京都の広報紙「広報東京都9月号」が、今朝ホストに投函されていました。でも内容は「いま考えたい おうちの防災対策」で、住居の防災対策がメイン(各自各家庭が防災対策するようにっていう内容が中心←行政はその財政支援?)。震災時に見られる(これ最近の災害時にも度々発生)ヘイトな流言飛語などへの「注意」が全く書かれていません。これは驚きです。関東大震災時の流言飛語による朝鮮人・中国人・社会主義者・労働運動家などの虐殺に全く触れようとしない小池都政のなせるわざ?(社会主義者/労働運動家虐殺は震災を利用しての公安政治権力の恣意的行為といえますが)。

 

えー 小池都知事が自分の「学歴」問題で過去を消したいのは分かりますが、関東震災時の歴史的事実を無視し、無かったかのようにするのは認められません。

 9月1日は関東大震災の日。そしてそれは日本で起こった災害時流言飛語による「マイノリティー虐殺の日」であることは忘れてはならないと思います。

 

 

ニヤリ さてと、今日はどうなることやら?

 日本中が「台風」「大雨」の被害はもちろん、それを過剰に上回るような「防災情報」に疲弊しています。コロナの3年半以来、Jアラートやらなんやらと息つくときが無いほど流され続ける「異常事態」「緊急事態」情報は、明らかに個々人の情報処理能力を超えています。それら厖大に溢れ出る情報と、個々人では不可能な情報蓄積は、だれを富ませていくのでしょうか?

 

キョロキョロ 磯野真穂さんの「コロナ禍と出会い直す 不要不急の人類学ノート」(柏書房2024年06月刊 1800円+税)を読みました。文化人類学/医療人類学者の目で見た「コロナ禍」。コロナ禍のもとで、私たちは何を見失っていたのか? 著者は、わたしたちはなぜやり過ぎたのか?災害時における「正義」となにか?を問いかけます。そして災害時における日本社会の思考停止状態を示します。

キョロキョロ 私個人の感想では同書で述べられている「気」や「禍」の概念の捉え方について、筆者の欧米学説的(同時に非欧米学説的)把握に違和感を感じるところもあります(もう少し東洋思想の知識が欲しい、「禍」については「禍-福」というのイメージがかなり語れるのではないかとか、「気のゆるみ」から、ことさら「気」を抽出して、そこから「世界の人格化」にもっていくのはどうかな?って思いました←「気のゆるみ」の「気」は、「彼女はきみには気が無い」のように、東洋思想的な「気」からの派生的で代替的なものと思うけど)、それはさておいても「コロナ禍」の様々な社会的問題を提示している本書をもとにして、今後「コロナの3年半」(「災害報道」ということではいまも続いているかな?)を捉え返してみたく思いました。

 

ニコニコ さてと、今日は「読書の日」にしようかな?

 

 空模様は不安定だけど、良い日曜日を!

 

☆写真/画像は上から今朝7時前の練馬の西空。今朝6時45分の台風情報(気象協会サイトから)。メディアの情報は刻々と更新されつづけ、そして常に最新情報が「正しい」かのように提示されてきます。でも、その情報に連なる「過去」には多くの間違いが山積しているもの。そのことを常に注意しないと、私たちは情報の嵐の中で漂流してしまいます。ここ数日、私が出合ってきた多くの人たちの「台風疲れ」はそういう状況かな?3枚目は今朝の東京新聞1面。東京都の32市区町は災害時の避難者収容能力が2割以下です。だから東京都は災害に弱い都市開発の責任をとらずに「住民の自助努力」を強調する? 4枚目は同じく東京新聞4面のコラム「時代世読む」。法政大学前総長の田中優子さんが「9月1日を忘れない」って書いています。5枚目と6枚目は東京都墨田区の横網町公園にある「震災慰霊堂」の屋根に飾られている「妖鳥」(いまは「レイレイ」と名がついているらしい)。モノクロ写真は1985年8月26日に、私が同所を取材した際に写したもの。2枚目は2016年3月に屋根部分の修復などリニューアルなった後のもの(横網町公園サイトから)。7枚目は東京都の広報紙「広報東京都9月号」。最後の本の表紙は磯野真穂さんの「コロナ禍と出会い直す」の表紙。

 

↓去年の今日のブログ。去年は「関東大震災100年」でした。