「熊から王へ」(カイエ・ソバージュ)を読んで思いました。いつから政治が利権と同義語になった? | あと猫の寿命ほど。如露亦如電2024

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  2013年58歳の春に「うつ病」でダウン。治療に4年半。気づくと還暦を過ぎました。
  66歳になった2020年夏に「ああ、あと猫の寿命ぐらい生きるのか」と覚悟。世の中すべて如露亦如電です。

ニコニコ 中沢新一さんは「熊から王へ(カイエ・ソバージュⅡ)」で、レヴィ=ストロースの「悲しき熱帯」を読み解きながら、こう述べています。

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 私たちの知っている「政治家」という存在と、この首長という存在がいかに大きく違うものか(中略)。吝嗇だったり自分のもうけに貪欲だったりすることと、首長の権威はまったく両立しないものなのです。首長はひたすら他人のほしがるものを分け与える、信じがたいほどの気前の良さを発揮して、首長の権威を利用して自分のまわりに富を集めることなど、思いもよらないのです。

 (第5章「王にならなかった首長」から)

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ニヤリ 命と自然を大切にする「対称性の社会」の首長とはそのようなものだったのです。しかし、その後人間は「クニ」を造り、自然を破壊し尽くし始め、そして政治=利権と同様な状態が生まれ、さらにその利権を「世襲化」するグループが現れ、それは独裁制であろうと民主制であろうと変わりない「政治」になってきた?などと思いながら「カイエ・ソバージュ」読書中。
 
キョロキョロ この本(中沢さんの講義のまとめ)は20年ほど前のもの。でも、ネアンデルタール人や東アジアの人々の「DNA解析」による関係性の研究の成果から見ても、大筋で外れていません。というより「ネアンデルタール人と熊の交際」などに視点を当て得たところ見事だと思います(20年前のネアンデルタール人のイメージは、現在とかなり違っていましたが、中沢さんはネアンデルタール人の「脳」が大きかったことなどを正確に捉えています。いまでは私たちの「中」にネアンデルタール人が残されていることが分かっています)。
 
ウインク などと思いつつ、今日は墓参します。秋彼岸の墓参って、残暑で蒸されるか、秋雨で足元が悪いかのどっちかです(台風のときもあります)。今日の東京は少し蒸すけど墓参日和?墓所の彼岸花、今年はどんな感じかな?
 
☆写真/画像は、上からフィルムのべた焼き(ちょっとスキャンしてみました。いまはデジカメなのでべた焼きを作ることがないです。2枚目は中沢新一さんの「熊から王へ」、3枚目はこのブログで3月に紹介した「人類の起源」)。