「十月を抱きしめてみるけれど」という詩の習作です。 | あと猫の寿命ほど。如露亦如電2024

あと猫の寿命ほど。如露亦如電2024

  2013年58歳の春に「うつ病」でダウン。治療に4年半。気づくと還暦を過ぎました。
  66歳になった2020年夏に「ああ、あと猫の寿命ぐらい生きるのか」と覚悟。世の中すべて如露亦如電です。

 十月を抱きしめてみるけれど

 

 西空遠くに微かな爆音を響かせて軍用機が行き来し

 頭上では小さな鷹が大きなカラスを追い回す。

 訓練飛行に出された伝書鳩の群れは右往左往し

 小鳥たち声を抑えて身を潜めている。

 今朝はそんなふうに晴れていた。

 

 僕はいつものコンビニへ新聞を買いにいく道で

 素振りの野球少年やリフティングのサッカー少年に黙礼

 部屋に戻ってからはラジオでイテウォンでの惨事に驚き

 経済新聞1面の「自衛隊に統合司令部」の見出記事を黙読

 世界はどこまで平和なのだろうか。

 

 十月は極端な季節だったっけ

 抜けるような青空の爽快感と時雨空の憂鬱感

 飽食と飢餓が隣りあわせにあって

 お祭りなのか革命なのか風の中で撚りあわされるから

 記憶の中の僕はいつも悩み続けていたのではないか。

 

 せめて僕は恋人の心を花一輪だけ取り戻すようにと

 羞恥心に駆られて目の前のその風景を

 怖ず怖ずと抱きしめてみたけれども

 熟すまえに枯れ始めているこの十月は

 腕の中で脆く崩れて色を失うだけだ。

 

※月に一つ目標の「詩の習作」。10月は、仕事が忙しくなっているので苦労しました。「仕事」は妥協と常識と世間相場感と・・・、要するに「詩的世界」の対極にあります。そして仕事時間が増えると、残りの時間は「睡眠」と「食事」と「疲れ取り」に振り分けられてしまうのです。というのが「十月を抱きしめてみるけれど」をうまくまとめられなかった言い訳です。

 

☆写真上は今朝7時半頃の青空。下は昨日の夕空。今朝この空で1羽のハシブトガラスを、1羽の鷹が追い回していました。

 

↓去年の今日のブログです。この季節、ベランダ菜園での土作りは大切です。