それは、花束のように。ポピーの花を見つけると、長田弘さんの詩を思い出します。 | あと猫の寿命ほど。如露亦如電2024

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  2013年58歳の春に「うつ病」でダウン。治療に4年半。気づくと還暦を過ぎました。
  66歳になった2020年夏に「ああ、あと猫の寿命ぐらい生きるのか」と覚悟。世の中すべて如露亦如電です。

あれは金曜日だったと思う
疲労が おおきなポピーの花束のように
きみの精神の死を飾っていた日だ。
 
 長田弘「クリストファーよ僕たちは何処にいるのか」から

 

ニコニコ 長田弘さんは、第二次大戦後の日本の詩人のなかで、もっとも「詩人」として生き抜いた人だと思います。

 私は19歳から20歳にかけての時に、長田さんの詩に出会い、そして20歳の時に購入した思潮社の長田弘詩集(現代詩文庫)をいまもときどき読み返しています。

 

ウインク ポピーの花が咲く季節になると、長田さんの詩を思い出します。

 

 「クリストファーよ僕たちは何処にいるのか」を始めて読んだ時、無粋な私は「ポピー」という花をよく知りませんでしたが、当時のガールフレンド(花屋さんでアルバイトしていた)に「ポピーってどんな花?」と訊いてみました。教えてもらった花は見たことのある花でした。

 

 「ああ、あれがポピーか」

 街の花屋に飾られて春を告げる花です。

 

ニヤリ 最近は「ポピー」によく似ている「ナガミヒナゲシ」(地中海地方原産で、1961年に日本で帰化植物として確認されたという)が、東京の街で繁栄していました。「いました」と少し過去形なのは、一昨年までは、3月中旬にもなるとわが街の至る所に咲き誇っていたナガミヒナゲシが、今年はなかなか見当たらないからです。コロナ事態のなか、ステイホーム・自粛が長引き、おそらく自宅周辺の環境に気が配られるようになって「整理・伐採」されたのかも?

 昨日も、わが街中では、なかなか見つかりませんでした。が、ちゃんと花咲いていました。そこは「小さな児童公園にある花壇。花壇の中で菜の花と共に咲いているナガミヒナゲシは、花屋さんの店先のポピーのように立派に見えました。

 

 長田弘さんは福島出身。1939年11月10日に福島市に生まれ、そして原発事故後の2015年5月3日に生涯を閉じています。わたしは晩年の作品にまだよく触れてはいないので(ときどき新聞や雑誌に掲載されている詩は読んでいました)、今年は作品を通し読みしてみたく思っています。長田さんは「荒地」詩人が高度経済成長の中で時代に紛れていった後、日本において新しい「戦後詩人」としての行き方を示し、そして「詩人」を全うした大切な人です。

 

☆写真はナガミヒナゲシ(2枚目のように、児童公園の花壇に「活けられた」ように収まっていました)。そして私の愛読書である、現代詩文庫の「長田弘詩集」(持ち歩くことも多くて、よれよれの状態です)。