『昭和元禄落語心中』8巻発売でうきうき。 | VOCE編集長オフィシャルブログ「ゴロゴログ」Powered by Ameba

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夏まっさかり
今日は『昭和元禄落語心中』最新8巻の発売日ですねっ

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わたくし、VOCEマンガ部部長でもあるんですが(好きなマンガを語ったり、ページにしたりするのが部活動です)ここ5年ほど、一番新刊が楽しみなマンガなのです。てゆうか、会社の偉い人の席に置いてあった、当時新創刊のITANという雑誌をパラパラみてて『昭和元禄落語心中』第一話を読んだだけで、このマンガは絶対面白い!と確信しちゃって以来ずっと楽しみに読んでおります

てゆうか、みんなもう読んでるよね? 
まだの人がいるなら、ほんとに絶対後悔させないから、読んでほしい。和ごとに興味の出始めるアラサー以上ならどんぴしゃではまります

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7、8巻はアニメつきの特装版もありますよん。


と、まあ、軽~くブログな感じでご紹介をしてみましたが、落語に例えるなら、ここでやっと羽織を脱ぐ感じで。私が本気でこれを薦めてるということが分かってしまう(照)以下長文はご興味のある方のみで。


そもそも落語が好き(永遠のご贔屓は桂 米朝師匠です)ということもあるんですが、知らない人が読んでも絶対面白いと思います。まあでも、落語観てる人のほうが100倍、いやもっと楽しめるとは思うので、このマンガが面白いと思ったら、落語を観てから再読するべきだとは思います。ドドン! とか描き文字の効果音が寄席の太鼓の音で聞こえたほうが面白いし、師匠方の名調子は自分のご贔屓を思い浮かべながら読むほうが面白いからね。

落語という芸能がどうなっていくのか、作中では現実とちょっと違う世界が描かれていますが、そのすべてがリアルに、落語ってこういう世界なんだろうなという風に描かれているのがすごい。そのリアル感って、ディテールの積み重ねなのかなあと思います。言葉使いから仕草から、着物の線、噺家の師匠連のメンタリティやら文字も絵もすべてがさもありなん、という真に迫りよう。いっこいっこ、付箋付けながら読んで語り合いたいぐらいです。
そして、吉原も長屋も知らない私たちが、落語を聞いて、本当に昔の人と同じような共感が得られるのか? それに対する希望も絶望も描かれていて、落語という芸能の懐の深さを感じます。
落語が好きな人って、本を読んでる人だね、という話を友達としていまして。文字を追うだけで、頭の中で世界が描ける人は、落語を楽しめる素養が十分あるんですよね。
でも、自分で読むのと違って、人に喋ってもらうのって、頭への入り方は違うんです。芸の大きさにこれほど差を感じる芸能ってなかなかないと思います。ある大きなホールの2階席最後列で聞いた落語会、前座のときはまったく頭に入ってこなかったのが、お目当ての真打ちが出てきた途端、座布団がぐいんと大きくなったような、噺に引き込まれてしまうという体験をしたことがあって。座布団があればどこでも出来ちゃうだけに、全くごまかしがきかないんです。でもそれって、上手い下手だけじゃない、もう人間の魅力がでちゃう感じ。上手くてもつまんない落語もあるし、下手でも面白い落語もある。当然、上手くて面白い落語もあるんですよね。『昭和元禄落語心中』には、そういう落語の基本的な仕組みみたいなものが、きっちりと骨組みとして入ってると感じます。
噺家が亡くなってしまえば、すべての芸は一緒に消えてしまって、映像で残ったり、テープで残ったりしてても、それは同じものではありえない。だからこそ、同じ時代に生で観られる間にはせっせと観客は通い続けるしかないんですよね。落語はそもそも世襲という考え方はほとんどないけど、芸は一代といいながら、師匠と弟子って血よりも濃いもので結ばれる場合もあるんだなと思います。
これから描かれる、八雲師匠の晩年。作中の人物がどうなるのか、興味はつきないけれど、どうしたって私は米朝師匠に思いを馳せるし、でもそれが、このマンガのもう1つの読み方、楽しみ方だなあと思います。きっと泣いちゃうけど。てゆうかもう泣いてるけど。