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POWERED BY ADHD

気まぐれに

こんばんは、ごろうです。

今日は「コミュニケーション」のことについて書こうと思います。

 

皆さん、「空気を遊む」という行為…、空気

 

無意識のうちに毎日どこかで必ずやっていらっしゃるはず。

そして、大概は苦も無く、無意識でやっていらっしゃるはず。

 

ただ、実際

「この時、こんな具合で、私は空気を読んでいた」なんて詳細を覚えている方はまずいらっしゃらないでしょう。それだけ、定型発達の皆さんは自然にできることなのかなと僕は思います。

 

 

ちなみに、この「空気を読む」という慣用句の定義

 

個人的には、

特定の場所や物事を取り巻く気配を「空気」にたとえ、「明確な言葉を使わなくても、周囲の様子や言葉の意味を瞬時に目や耳で理解し、周囲の人と共通認識の行動をとること」…と認識しています。

 

おそらく、

日本という国自体が、言葉や生活習慣、民族的背景など、文化的特徴に共有部分が大変多いハイコンテクストな社会だからこそ生まれたコミュニケーションの考え方なのでしょう。ちなみに現在では、空気を読めると、人間関係が円滑になり、「デキる人」と評価されやすい傾向があるように思われます。

 

でも、僕を含め、

発達障害を抱えている当事者の多くは、この行動が苦手です。あ、厳密に言うと…、実はちょっと空気読めてたりはしますよえへっっ

 

が…、

その読んでいる空間は周囲とちょっとズレていて、その空気を読もうとしている場というのが、「自分の世界(=思考)の中」だけだったりするため、これが、発達障害の当事者が、「ちょっと変わった人」とみられてしまう原因なのかなと感じています。KY ガーン KY

 

自分自身、確かに、過去何度も場の雰囲気を乱すようなことがありましたけど、その際、全く空気が読めていなかったという自覚は実はないんですね。なぜなら、僕自身、「空気を読む」ことに昔から苦手意識が非常に強く、また、このことで非常に嫌な思いもたくさん経験してきていたので、常に周囲にはアンテナをMAXで張り、空気の流れを敏感に察知しようとしていたからです。

 

なのに、出来ない。それはなぜか…。

 

原因は、僕の場合、「マルチタスク能力」が通常の人より劣っているため、複数同時に物事を理解するのが苦手。そのため、人の話を聞きながら、相手の表情、周囲の状況、時間配分などを同時理解していく行為が、通常の方の倍以上、意識的に努力しないと成し遂げられないのが実情です。

 

だから、

実際は話を聞いていても、みんなで共有した内容を履き違えて理解し、自分一人だけ、作業終盤まで勘違いしたまま理解した状態でいることが多く、では何が起こるかというと、本番で一人だけ違う行動をとり、終了後にみんなから「大ひんしゅく」を買うのです。

 

学校の先生、会社の上司からは、

「何でわからないのに聞かないんだ」と怒られても、自分では正しく認識していると思っているため、聞く必要性を感じていません。

 

つまり、空気を読んでいますが、自分の世界(思考)の中だけで物事を考えてしまうため、結果的に、周囲との連携がうまく取れず、孤立するという流れかもしれません。

 

しかし、僕としては、これちょっと違和感あるんです。

 

最近、よく耳にするのですが、

 

「何で課長は自分の頑張りをわかってくれないんだろう」

「最近の若い連中は、何もわかってないなぁ・・・まったく」

「こっちは困ってるのに、あいつ、全く手伝ってもくれない」

 

表に出せない心の不満の声を多く耳にします。

これは発達障害の当事者ではなく、一般の健常な人たちです。

 

これらの場合、

たぶん、多様化した現代において、「察するコミュニケーション」へ依存するのはもう限界だということの現れではないかと感じています。

 

実際の仕事場で過去にこんなことありましたよ。

 

後輩は心の中では、「何かあったら先輩が助けてくれる」と期待していましたけど、先輩は心の中では、「ここまで言えばわかってるだろう」「わからなかったら聞きにくるだろう」と期待していた。

 

けど、この双方の互いの「察し過ぎ(頼りずぎ)」が突然のクレームなどにより揉め事に発展するんです。

 

後輩は「困ったら(先輩が)助けてくれると思ってた…」

先輩は「わからなかったら(あいつから)確認しにくると思ってた…」

 

そう…、

これらは全て、互いの「察し」に頼ってしまっていることによって起きているのです。そういう意味では、日々の暮らしの中で無意識のうちに皆さんがやっていらっしゃる空気を読む行為。実は、とてもリスクのある行為にも思えるのです。

 

コミュニケーションは、

周囲に好かれ、人間関係をよくするためのものではありません。

チームや組織の連携をよくするためのものだと考えています。

 

些細な揉め事が、やがて不満の心情へと変わり、いずれ、その心情が「怒りや憎しみ」となり、最悪「感情の爆発」、つまり、「ブチギレる」行為に繋がっては…。こうなったら、もう収拾つかなくなりますからね。

 

仮に、この世が少人数のコミュニティならば問題ないと思われますが、これだけ多様化が進んだ社会、世代間によっては全く異なる価値観を持つ時代、曖昧な表現や非言語的コミュニケーションでうまく成り立つはずありません。

 

ある方もブログでおっしゃってました。

 

クルマの免許更新でいつも言われる、

「だろう運転ではなく、かもしれない運転をしましょう」…と。

 

 

コミュニケーションも、まさにこれ。

この「かもしれない運転」をしないと、今後はうまく連携取っていけない気がします。

 

つまり、これは発達障害を抱える当事者だからとか限らず、どんな人でもそうですけど、、双方の能力に頼らず、自分自身に都合よく思い込まず、相手にきちんと伝えること、そして、互いが納得できる話をし、話を聞くこと、…これが連携をとる上でのコミュニケーションの最低限の礼儀だと感じています。

 

 

以上、ざっと長文を個人的な感想で一方的に書きました。

批判的な見方をされてる方は、不快な思いをされたかと思います。

ごめんなさい。僕もまだまだ未熟者ですので、今後勉強して頑張ろうと思います。

 

まとまりのない文章を長々とすみませんが、ここまで読んでいただいた方、本当に、最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

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