感想を書くにあたり、早速2周目したんですが、涙だーだーでした。2周目も。


wikipediaより、あらすじ。


夏休みに自然学校に参加した少年少女15人は、海岸沿いの洞窟でココペリと名乗る謎の男に出会う。子供たちは「自分の作ったゲームをしないか」とココペリに誘われる。ゲームの内容は、「子供たちが無敵の巨大ロボットを操縦し、地球を襲う巨大な敵を倒して地球を守る」というもの。兄のウシロに止められたカナを除く14人は、ただのコンピュータゲームだと思い、ココペリと契約を結ぶ。その後、黒い巨大なロボットと敵が出現し、コエムシと名乗る口の悪いマスコットも現れる。ロボットの中のコックピットに転送された子供たち15人の前には、ココペリとコエムシが待っていた。これが黒いロボット・ジアースの最初の戦いであった。戦闘を重ねるにつれ、子供たちはゲームの真の意味を目の当たりにすることになる。



 「人間って、死が目前に迫らないと、生きることを真剣に考えないようにできてるのかな」なんて、読みながら考えました。

パイロットに選ばれてしまった子どもたちは、幼いなりに(10歳がひとり、あとは中1)「戦う目的」「生きる意味」を考えて戦うんです。たぶん死が目前に迫っているからこそ、そういう考えができるんでしょうが、あまりにも切ないです。


生への執着って、生きている限り普通で健全なものだと思うんですが、それが急に脅かされたらどうなるか?私は狂わない自信がありません。パイロットの中で酷く取り乱したのはカコくんくらいかなと思うんですが(ナカマも死にたくないと叫んでいたけど、ちゃんとやり遂げた)、彼はまさに読者代表と言って良いんじゃないかと思いました。

他の子たちがあまり取り乱さなかったのは、現実をつきつけられて『覚悟』するしかなかったから。10歳、13歳が「死ぬ覚悟」をしなきゃならないなんてね。むなしい。でもそうしないと大切な人を守れないから、仕方がない。


私はこの作品をアニメの主題歌で知りました(アニメは未視聴)。

カラオケでアニメ映像を見ながら歌って、「へーこんな感じなんだ」とずっと思っていたんですが、どうやらアニメと漫画は別物らしいですね。


・体にアザなんか出現しない

・特定のカップルなんてできない


特に2つ目なんですが、この物語から「パイロット同士の色恋沙汰」をほぼ排除したのは英断以外の何物でも無いと思います。(マチとウシロは成立しなかったので…)

中1(小4)の少年少女が、

たいせつなものを守るために、

自分の命が犠牲になるのをいとわずに戦う

これが大前提としてあって、そこに個々の生き方や考え方が絡まり、物語に深みが増しているわけで。

「恋愛」ってそれに比べてかなりお手軽で簡単じゃないですか。その要素を入れとけばとりあえず面白くなるでしょ、みたいな浅さが見えて、なんかな白けるんですよね、個人的に。


それにしても私は、マキ戦で相手も同じ人間ということが判明したとき、ものすごい脱力感に襲われました。

それまで「敵」だった相手が「同じ人間」であり、同じものを背負ってるというのがわかった瞬間、相手を「敵」「悪」だとカテゴライズできなくなってしまった。苦しかった。


全体を通して、生きること、死ぬこと、守ること、いろいろなことに対する価値観が揺さぶられたんですが、私が一番衝撃を受けたのはキリエくんの考え方です。


「(アクション映画で)ぼくにとっては主人公達の死と、画面の端で描かれる群衆の死は同じなんです」

そんなふうに考えたこと、一度もなかった。自分が無意識に、だけど明確に人の生死に優劣をつけていたことを思い知らされました。

巻末のキリエくんの設定に「反暴力主義」と書かれていましたが、仮に私がそうだとして、彼が考えるようなことに思い至れるだろうか…。多分無理だな。とすら思いました。


つづく。