2026年7月15日(水)

 

 今日は日本共産党の創立104周年の記念日です。

 日本共産党は、弾圧のなか、1922年7月15日に生まれま

した。

 

   

 

 夫も私も、長年日本共産党員として活動してきましたが、

夫は昨年11月22日に亡くなり、私は身体は元気ですが気持ち

が落ち込み、昨日は特に元気なく、終日ぶらぶらしていました。

 けれど、日本共産党の誕生日の今日は、気持ちがずいぶん楽に

なり、いま感慨深く、ブログを書いています。

 

 私は1974年の七夕豪雨(伊勢市を襲った豪雨)のあと、

9月に、機関紙部員として日本共産党の専従をしていた夫の誘い

で日本共産党に入りました。

 

 その当時、私は伊勢市の隣村(度会郡御園村・現在伊勢市)に

あった山田赤十字病院の新米看護師で、民青同盟員であり、夫と

交際してはいましたが、日本共産党員ではありませんでした。

 7月7日は第10回参議院議員選挙の投票日でしたが、お昼ご

ろ投票に行こうとしたら、寮の前がみるみる浸水して、外に出る

事ができませんでした。御園村の投票所は閉鎖され、結局投票は

日延べされる事になりました。(比例代表選挙の最後の1議席を

めぐって、日本共産党の近藤忠孝氏と自民党の森下泰氏が激烈な

争いをしていたように記憶しています。そのため、小さな御園村

を舞台に国政選挙が繰り広げられ、結果は日本共産党の近藤忠孝

氏が当選しました。)
 あかつき会館(ここに日本共産党や民青の事務所がありました)

に、宿泊所が設けられ、民医連の若い看護師など全国から大勢救

援にかけつけてくれました。

 当時の日赤は労働組合が2つあり、私は第一日赤から、H医師

とともに伊勢市民の救援の為に派遣され、救護活動をしました

が、あまり立派な応急処置はできませんでした。それより、民医

連の看護師のテキパキした救護に感動しました。

 

 たまたま遭遇した七夕豪雨での、救援活動や選挙戦などに興奮

・感動し、その年の9月に入党しました。

 その後、私は津市の公衆衛生学院で1年間学び、保健師資格を

得て、あこがれの民医連の保健師として、1976年4月津医療

生協に努めることになり、同時に夫と結婚しました。

 その後の長い人生の中での、短い青春時代でしたが、とても生

き生きと輝いていたと思います。

 

 いま、身体は古くなりましたが、日本共産党員としても、まだ

まだそのころ抱いた変革者としての気持ちは変わっていません。

だから、これからも日本共産党員として生き続けようと思います。

 私の様な日本共産党員は多いのではないかと思います。

 だから、日本共産党の104年の歴史がこれからもずっと続い

ていくと思います。