10月22日(火)

 中山元党嬉野町議(74歳)の葬儀があった。

 私は、葬儀の前に、嬉野の庁舎で赤旗の集金をした。

中山さんといっしょに今日集金する約束をした直後

お亡くなりになられたのだ。 

 職員は突然の事に驚いて、原因を聞いてきた。

 中には昨晩の通夜に来られた人もいた。気さくな

人柄に、あらためて慕われていたことがよくわかった。

 私は、術後のリハビリもかねて、4月から中山元町議と

庁舎の集金をしていた。

 4月頃は、首にコルセットをまいて、杖をついて、私の

介助で集金をした。徐々に回復して、コルセットをはずし

杖はなくなり、歩行も良くなった。はじめ職員の名前や顔

も忘れてしまっていたが、次第に思い出し、最近は冗談を

言えるまでに良くなった。それなのに残念である。

 ある職員は、同和問題の解決のために果たした役割

は大きかったこと、今も町同研の会長としての役割を

「普段は穏やかで、言うべき時はきっちりと言ってくれた」

と、困惑気味に突然の死を残念がってくれた。

 

 葬儀で、議員時代の紹介があった。

 中村川の氾濫の時、土手をあがったり下がったりしな

がら懸命に救援活動をしていた姿、町に産業廃棄物の

処理場建設が持ち上がったときの町民とのたたかい

など、まーやんの活動が偲ばれた。

 党地区委員長が弔辞で「意思をついでいく」と述べた。