先日打ち合わせの時,
新しく仲間になって下さったスタッフの1人の方が言ってました!
「五郎さんのいう事は早過ぎる❗️」
どうやら先へ行き過ぎている!
のだそうです!
僕にはその意味が分からなくて,(・_・;
出来れば丁度良いのがイイのですが…😅
昨年は京平先生のアルバムを2作!ライブで演らせて頂きましたが,四十数年経っても色褪せないどころか「新しいのかもしれない!」
でもあの頃はデジタル録音ではなくアナログ録音でした!
僕が自宅にスタジオを作りたいと考え始め,実行に移したのは18才の時でした。
16chのマルチの時代です。
どの様なミキサー卓にするのか当時は既製がなく,自分で考えなければなりませんでした。
一般のレコーディングでまだクリック(当時はドンカマ)はまだ使っていませんでしたが,僕は多重録音する為にはリズムボックスが必要だと考えてました。
一度に録音出来るin put が8ch!
click=1ch
(Drums)
kick=1ch
Hih=1ch
Snar=1ch
Tom×3 Crush×2 ride=1ch
Bass=1ch
この段階で8ch(8チャンネル)使ってしまう訳で,guitar=2ch ピアノ=2ch ストリングス2ch perc.=1ch
これで7ch 使っているのですから,Vocalの為のトラックは1ch しか残っていません。
ハーモニーとか入れたい場合はDrums のTom が空いてる場所!もしくは,取り返しがつかないから覚悟を決めて,Click を消してそこに入れる!後はピンポン!
という方法があったのですが,
あははは😅 めちゃマニアック❗️
でも,関係者は知りたいだろうな〜😅
で,いかに同時に録音出来るかを考えたんですよ😊
それをAudio Design というアメリカの会社に発注し,それがミキサーがデジタル化する第一号になったのですよ😅
デジタルミキサーのない時代にデジタルミキサーの第一歩を作ってしまったのですよ😅😅
20才の時に自宅にミキサーが運ばれなかった!
それが何だったか分からず,港で兵器扱いになってしまったのてす。
この様な事を話始めると止まらなくなります。
ホント,僕は何者⁉️ ですよ❗️
続きはまた,
リー・スクラー氏が「北回帰線」の事を語ってくれたのはとても嬉しくて,46年経っても……数え切れない程のレコーディングを重ねて来たスクラー氏が覚えていてくれるのは,ただ事ではないと……😭😭
京平先生も東海林先生も凄い方達でした。
ガキンチョの僕の事を信頼して下さって,
僕はお二人に良くお会いしてました。
僕が五郎君の様に歌えたら❗️
なんて嬉しい言葉を頂きました。
お二人の先生は,誰も歌えない歌❗️
五郎君だから歌える曲を作ろう❗️
と仰っていて下さいました。
京平先生は東海林先生の事をリスペクトしていると,そして東海林先生は京平先生の事をリスペクトしていると!
僕は確かにお聞きしました。
チャチャがヨギ棒乗っかって,高い所から僕の携帯をカンニングしてる❗️🐶
話が難しくてごめんなさい🙇♀️
でも,あまりに沢山の事を演ってきて……
伝えないと❗️😅