筒美京平先生には作曲,編曲だけの楽曲もありますが,100曲以上お世話になりました。

京平先生と初めてお会いしたのは
1971年5月末,すぐに 青いリンゴ が完成しました。
当時赤坂にあった先生の事務所でレッスンを受けました。
子供ながらに「なんてピアノが上手い先生なんだろう!」と驚きました。

今日は何を思い出して良いのかも分かりません。

今思えば8日NHKのごごナマで何故「甘い生活」を歌ったのだろう?

今日はスタジオでの撮影でした。
メーク室で,普段自分の曲を聴く事はしないのですが,コンパクトスピーカーを出して海外録音の曲を聴き始めたんです。
珍しい事です。

まだ,一曲目でした。
ヘアーメイクのクロちゃんが携帯をみながら,「五郎さん!筒美先生が…」

先生は派手な事はお嫌いでした。
少人数でおられるのがお好きな方で…
だからご自分からTVに出演なさる事はなかったのですが,1974年のレコード大賞の時でした。

僕は「甘い生活」で歌唱賞ほぼ当確!
と言われてました。
その発表の日,福島方面でコンサート!
ヘリコプターに乗り,途中で電車に乗り換え上野に着いた時 落選! を知らされました。

「甘い生活」 は作曲賞!

レコード会社やスタッフの方々から言われました。
「出演は見合わせよう!TVを観ている人達もいい気はしないよ!」
僕を気遣って言ってくれたのだと思います。

以前もお話しましたが、「甘い生活」は僕自身がFAKE で作曲にも携わっているし,何より
京平先生が作曲賞なので「僕出ます!」
と伝えました。

元々出演の予定がなかった京平先生が突如「五郎ちゃんが出るなら僕も出て指揮するよ!」

リハーサルなしの本番でした。

イントロが始まった時,確かにあのテレビ嫌いの京平先生が指揮をしている!
先生がチラッと僕を見たのです。
僕には分かりました。
「五郎ちゃん!最高の甘い生活歌って!」
僕にはそう聞こえたんです。

今でもあの時,必死で歌った「甘い生活」覚えてます。

今日は涙で携帯の画面が見えません!
また続きを書かせて下さい。
思い出が多過ぎます。

筒美京平先生!
本当に心より感謝しております。

どうか,心よりご冥福をお祈りします。





再会タイムマシーンの音源を頂いた時に
一緒に頂いたお手紙です。
僕にだから伝えて下さったのだと思います。
有り難いです。
こんな僕に有り難うございます。

内容は僕の宝物にさせて下さい。
でも最後の一文
「音楽に対する情熱を絶やさぬ様頑張って!」
絶対に忘れません。