久し振りの何者シリーズ❗️

評判良いのか良くないのか?😥
 
今迄の人生!歌手としての人生!
この世に生を受け,半年後,親免疫が切れて最初の試練が「赤痢」名古屋からやっと届いた飲み薬!
両親は先生に言われたそうです。
「この薬を受け付けなかったら諦めて下さい。」
 
僕の人生の始まりは「諦めない!」から始まったのかもしれません。
 
僕の事を知る近いスタッフに言わせると,現在迄の事を仮に本にしても信じてもらえないんじゃないかなぁ?って😊
 
ここからカキコミを始めると大変な事になるので😅
SNSを見ていて感じたのは,僕は随分前から海外の曲をコンサートで演っていたという事です。
「ロックの世界」と言うアルバムがありましたが,これは当時少々ショックでした。
オリジナル曲は兎も角,外国曲を和訳して歌うのには抵抗がありました。
勿論英語の発音が良い訳でもないのですから,スタッフに説得されたのだと思います。
 
小5〜6の頃から友達を集めてバンドを始めましたが,この頃の海外曲は・no no no ・Stop The music  後はベンチャーズ,民謡を自分でアレンジしたもの。
 
上京して挫折していた頃13〜14才はスクールメイツと演歌のレッスンと,年上の人達(団塊世代)のバンドに参加していました。
一緒に演ろう!
と誘われた時リードボーカルはいたし ギターもいたけど,今考えれば歌にはビブラートをかけギターはチョーキングにビブラートは珍しかったのだろう。
 
最初にバンドリーダーらしき人に言われたのは,「来週迄にThe Rolling StonesのJumpin' Jack FlashとChris Montezの愛の聖書 歌とギター覚えて来て!」
そんな感じだったから,後にコンサートで歌っていたOtis ReddingのTry a little tendernessとかAmen(エーメン)のB面の <これギャグ>😱 「Hard to Handle」やCreedence Clearwater Revivalの「I Put A Spell On You」Vanilla Fudgeの「ou keep me hangin' onCarlos Santana ・Eric Claptonetc…
 
Vanilla Fudgeのカーマイン・アピス(dr)やティム・ボガード(bs)が大好きでした。
当時のゴーゴークラブで演奏していたので「アンチェインドメロディー」や「ホールド・オン」なんかも色々やってたけど,どんな13才だったんた!って感じ。
 
リアルタイムで同い年でこの頃のクラプトンの話を出来るのはCharしかいないでしょうネ。
だって中学生じゃ早熟すぎますから😅💕
 
でもデビュー曲は
 演歌!
です😅
 
何を言いたいかと申しますと,のど自慢番組に出て歌手を目指してからの5年間は上京して挫折を味わいながらも,どこかで「諦めない!」人生が僕に経験をさせ,今もこの厳しいエンターテイメントの業界で孤軍奮闘させているのではと思います。
 
何度もカキコミましたが,この広い大きな業界でアーティスト1人ぼっちの事務所ですよ😭😅
 
だから,太平洋を舵なしの手漕ぎボートだって😱
 
でも,この業界で最も1人ぼっちの僕がムーブメント(革命❗️)を起こせたら😅
 
これはそのスタートとしてなのですが,5/1に「これが愛と言えるように」がリリースされましたが,西新井,札幌,大阪,神奈川と「僕をまだ愛せるなら」と「これが愛と言えるように」を毎回テイクアウトライブでリリースしようがと考えています。
 
これはアマゾンでも購入して頂ける様にしたいと考えております。
CDはそれはそれで大切なのですが,同じ曲でもその時の環境や思いで歌唱は変わります。
色んなバージョンを手に入れて頂けたら嬉しいです。
 
それと,当たりコンテンツを作ってみようかな!とも。
例えば,別の所で歌った「これが愛と言えるように」やトーク,1人漫才,弾き語り等の何かを当たった方にプレゼントする。とか!
 
プッシュ通知で送られて来るコンテンツが動くって楽しいと思うのですが。
 
そしてテイクアウトライブは配信システムですが,音楽の聴き方を変えてみたいとも考えています。
 
そして購入の仕方も!
 
     いよいよ
 
                   革命!
か?
 
皆さんこんなの難しいよネ😅
何者シリーズ❗️
は面倒臭い〜〜😱

 

この度

 

新しく所属しました🙆‍♂️
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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