東映チャンネルでは7月から1985年放送の斉藤由貴主演『スケバン刑事』をHDリマスターにして初放送する。連続ドラマ版をやるのはほんとひさしぶりである。最近では、後に作られる劇場用映画版かシリーズ総集編『スケバン刑事SAGA』、それから昨年にファミリー劇場でやった斉藤由貴特集でも連続ドラマ版からドラマ本編とは外れた特別篇(編じゃなくて篇なのだ)と番外編しか掛からなくて、やきもきしていたところにHDリマスター化されてようやく登場と相成った。

 

東映チャンネル | スケバン刑事 7月25日(月) 放送スタート!毎週(月)17:00~18:00 (toeich.jp)

 

さて、HDリマスター化というからテレビドラマ『スケバン刑事』はフィルム撮り作品である。本作を含めて「スケバン刑事」シリーズのことをソラで話せる“昔のドラマ大好き”な当ブログ読者諸兄にとっては、そんなのは百も承知だと言われるだろうが、そもそもなぜフィルム撮りであったのだろうか?、それこそが『スケバン刑事』のヒット、そして魅力を解くカギとなっているのだ。今回の記事はそのことを中心に語っていきたい。

 

『スケバン刑事』は1985年春改編期より開始された30分ドラマで木曜夜7時半からの放送。前番組はやはり東映の制作による『TVオバケてれもんじゃ』なる児童向けの特撮ドラマ。こちらもまたフィルム撮りの作品で、同じフジテレビ‐東映の制作で日曜朝にやっていた東映不思議コメディシリーズをゴールデンタイムに持ってきたものだ。人間とは異質の者たちが日常生活の中にいても許容されるユルい設定の中、そのシリーズ特有のスラップスティックなギャグが散りばめられ、さらには当時流行だったテレビ番組制作の裏側を設定に持ち込むなどしたものの、視聴率は振るわずに、わずか11話、1クールで打ち切り終了していった。

 

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この作品、オムニバスもののなかに入れた第1話をソフト化しただけで、スカパー!でも二十年くらい前にやったっきりの、以前は視聴が困難であった幻の作品に近かったのだが、近年ではAmazonプライムビデオで東映が運営する有料チャンネル、「マイ☆ヒーロー」で全話観ることが出来て、昨年だか一昨年だか、自分も本放送以来何十年かぶりで視聴したことがある。しかし、懐かしさ以外は、じつにつまらないものだった。

 

一方の後番組『スケバン刑事』はヒットしたことにより、続編が二つも作られてシリーズ化された。そのヒットの証左として、シリーズ放送中に他局では『セーラー服反逆同盟』なる亜流も作られる賑わい。そして、1980年代のテレビドラマで劇場用映画版まで適った数少ない作品ともなっていく。現在でも往時のムーブメントは各方面でことあるごとに取り上げられ、シリーズで主演をしてきた斉藤由貴、南野陽子、浅香唯ら当時を代表するアイドル女優だった当人たちも、いまのテレビ番組に出演しては、撮影時のエピソードを語ったり、セルフオマージュでヨーヨーを手にして本放送時に視聴していたオヤジ世代を喜ばせているのは知られるところ。

 

概要はこのくらいにして、先述している「フィルム撮り」のことである。当時のテレビドラマは、テレビカメラで撮影するビデオ撮りと16ミリフィルムのムービーカメラで撮影するフィルム撮りの二種類があった。すでにフィルム撮りのほうは衰退化の一途をたどっている状態で、時代劇、刑事ドラマなどは、まだまだフィルム撮りが主流ではあったが、この後どんどんビデオ撮りとなっていく。7時台にあったアイドル起用の30分ドラマはビデオ撮影へと完全に切り替わるかというときで、そこに敢えてのフィルム撮りを持ってきたのが『スケバン刑事』であった。

 

このフィルム撮りを決めたのは、フジテレビ側のプロデューサーで岡正だったという。ここがポイントなのである。テレビドラマは誰によって内容が決められるのか?、それは「この人の作風は…」とよく語られる脚本家でも監督でも撮影現場を取り仕切る制作プロダクションでもなく、発注者側である制作局のプロデューサーで、『スケバン刑事』の場合は、フジテレビの岡正なのである。

 

岡正はアナウンサーとしてフジテレビに入社後、制作部に転属した異色の経歴を持つプロデューサーで、1981年放送開始のアニメ『うる星やつら』を手掛けたことで注目を浴び、以後、『みゆき』や『ストップ!! ひばりくん!』などの青年層向けアニメ、そしてアイドル起用の実写ドラマの両輪で活躍していく。

 

その実写ドラマは、劇場用映画『時をかける少女』の前に原田知世の売り出しとなった主演作の30分連続ドラマ『セーラー服と機関銃』、続けて『ねらわれた学園』を手掛けていたのだが、同原作で薬師丸ひろ子を主演に起用した劇場用映画のインパクトを引きずることはなかった。まず、ビデオ撮りで、しかも、1980~1981年放送の『翔んだカップル』を起点にしたナンセンスドラマ「翔んだ」シリーズの後継作として、ギャグあり、時事ネタあり、アドリブでの内輪受けネタあり、そんなバラエティ番組のノリをも持っていて、当時のフジテレビが掲げていた「楽しくなければテレビじゃない」の標語通りな作風であったのだ。制作局であるフジテレビが著作も抱える、いわゆる局制作のものではあるが、撮影スタジオは、東映大泉ビデオスタジオを使っている。

 

こういった過去の実績を持っているのに、『スケバン刑事』は正反対の作風とする。当時のフジテレビらしさと時代に逆行するかのようなフィルム撮りで、内容もハードでシリアスな展開。続編の『II』や『III』になってから多少は入るギャグや時事ネタ、アドリブでの内輪受けネタも第1作のこれには入らない。

 

麻宮サキは、母親が夫殺しの死刑囚で、自らも少年院に収監されているところから物語が始まる。公権力に強い権限を持つ謎の人物・暗闇指令との取引で、母親の死刑を延期させる代わりに「何の因果か、マッポの手先」となってシャバに舞い戻ったものの、鼻つまみ者の一匹狼だったことから元居た高校では不良たちから歓迎されるどころか、サキ不在時に新しくスケバンとなった者とその取り巻きから疎まれる存在となっていた…。

 

不幸を絵に描いたようなキャラなのである。これは、何かに似てないか…?、そう当時隆盛を極めていた大映テレビの制作による青春ドラマの主人公に通じるものがあるのだ。TBSでやっていた『スチュワーデス物語』、『不良少女とよばれて』、『少女に何が起こったのか』、不幸な生い立ちである少女が、その運命に翻弄されながらも困難を切り抜けていき、最後は幸せを掴む展開で人気があったそれである。

 

ギャグや時事ネタなど無しにして、時代掛かったクサい台詞や現実では到底あり得ない設定で徹頭徹尾生真面目に作られていたそれは、どれもフィルム撮りなのである。TBSで成功を収めていた大映テレビの青春ドラマをフジテレビでも1984年秋改編期から後追いで水曜8時に枠を設けて作ることにした。しかし、その一作目は、ギャグや時事ネタも散りばめられて、それを活かしたビデオ撮りで作られた『青い瞳の聖ライフ』というもので、フジテレビらしさは出てはいたのだが、大映テレビの作品としてはイマイチ抜けきらなさがあったところ、『スチュワーデス物語』の主演・堀ちえみを迎えた、後番組となる二作目の『スタア誕生』は従来からのフィルム撮りに戻して、内容や設定もフルスロットルとなる。実父が警官殺しの逃亡犯、夢を叶えるために入った演劇塾はドジでノロマなカメの主人公をイビるサイコパスたちの巣窟、極め付けに主人公は不治の病に掛かっていて最後は青春の炎を燃やし切って死んでしまうという展開で、これぞ!大映テレビのエッセンスがてんこ盛りでヒットしていく。

 

 

ビデオ撮りではハナからバラエティ番組にあるコントのノリに見えてしまうし、そういったものと一線を画すには、作り手の生真面目な世界がすでにそこにある、映画や古いドラマと同じフィルム撮りのほうが視聴者を作品の世界に誘えた。

 

そして、そういった物語の世界観に集中して観てくれる一定の視聴者層をベースに、カウンターとして仲間内で劇中のクサい台詞や一場面をマネしたり、大げさな展開をテレビ番組で芸人がやるようにツッコミいれながら面白おかしく話したりして楽しんでいたのである。バラエティ番組の楽しみ方が一層の厚さであるのならば、同じ視聴者層に向けられたテレビドラマの楽しみ方は二層の厚さであるものがウケていた。放送する側もそれは承知していて、『スタア誕生』放送開始時の広告には、キャッチフレーズとして載った言葉が「ちえみの“あの”演技が茶の間を襲う」とトンデモなかった。それが1980年代的な楽しみ方であったのだ。

 

岡正が『スケバン刑事』で狙っていたものはまさにそれなのである。そして、見事的中してヒットを引き当てる。

 

放送開始時、『スケバン刑事』の原作は連載開始から十年経ってはいたが、それまで一度もメディア化されなかったことから、その知名度は原作の存在を知っているものだけしか知らなかったに等しい。一方で主演となる斉藤由貴の存在は当時注目の的であった。前年、明星食品から新発売されたカップラーメン「青春という名のラーメン」のCM出演で一躍注目され、この1985年2月にその勢いを持ち込んで歌手デビュー。デビュー曲「卒業」は売れに売れて、『ザ・ベストテン』にもランキングされて出演し、豊作であった1985年デビューの新人アイドル歌手としてまず最初に売れたのが彼女であった。しかし、当時数多あった歌謡祭の新人賞レースには歌手の活動と共に拘束時間の長い女優の活動も両立させたかったことから参戦辞退をすることになる。もし参戦していたら、この後もヒットを続けて1985年度の新人売り上げナンバー1という実績から間違いなく彼女がどこの歌謡祭でも最優秀新人賞を獲っていたはずである。

 

胸キュン度100%!斉藤由貴デビューCM『明星 青春という名のラーメン』 - Middle Edge(ミドルエッジ) (middle-edge.jp)

 

話題の新人・斉藤由貴をどう活かせるのか?

 

前年の1984年、大映テレビ制作による『不良少女とよばれて』の主演・伊藤麻衣子(現在の名は、いとうまい子)は、ドラマのタイトルに掲げられた不良少女キャラとは極北にある、当時の言葉で云えば、かわい子ぶりっ子キャラのポジションにいた。視聴者はそれを承知で楽しんでいたのである。この『不良少女とよばれて』の世界観と主演・伊藤麻衣子のギャップあるキャラを大いに参考としたことは想像に難くない。

 

岡正は、あのほんわかした個性の持ち主に、クールな面持ちでスケバンらしい汚い言葉遣いの台詞を喋らせ、秘密裏に方々の学園に潜入して、そこの悪事を暴く学生刑事という1985年の世界にはありえない展開の物語に置く。

 

何だって!?、「麻宮サキ」が斉藤由貴だって!?、原作ファンを無視した配役にあきれかえっている。「スケバン刑事」(フジ系)だ。サキの青春はラーメンなんかじゃないんだよ。もう見る気がしなくなっちゃった。かわいければだれでもいいというもんではないのになあ。歯が浮くようなセリフや、テレビに灰皿をぶつけたくなるような内容じゃ、本の中で「サキ」が「神」が泣いている。またひとつ好きなマンガが、電波、映像によって壊されてしまった。

 

『週刊TVガイド』1985年5月3日号 「読者のひろば」より

 

こんなような読者投稿がどの雑誌にも掲載されていた。放送開始直前、そして放送開始直後、原作をないがしろにし、それまであった斉藤由貴のイメージをもないがしろにしている『スケバン刑事』は賛否両論であったのだ。でも、なぜか否定している者たちも一生懸命観ている。「悪名は無名に勝る」との言葉通り、1985年春改編期に始まった新番組の中で一番の話題を集める。

 

テレビ番組とはどういう存在なのか?

 

作り手も大事だが、視聴者も大事である。視聴者にそっぽを向かれた番組は、低視聴率だし、話題性すらなくなる。大映テレビの大仰な青春ドラマも、「スケバン刑事」シリーズも、視聴者の反応をそれ込みで加味しながらテレビ番組として成り立っていった。でなければ、半年も一年もやれはしない。そこが作り手側の自慰になりかねない、一回きりの劇場用映画とは違うところである。

 

岡正は同じ1985年春改編期にスタートした日曜7時のアニメ『タッチ』も手掛けていた。アニメ化以前からすでに人気作品ではあったが、それまでのあだち充原作ものでメディア化したものはどれもイマイチな評価を受けてきた。かつて『みゆき』を手掛けていた岡正はリベンジの様相で挑んでいく。原作から何を吸い上げ、そして週一のテレビ番組として楽しめるようにするか。

 

『みゆき』も『タッチ』も本放送時リアルタイムで観ていて、再放送の機会があれば、それも観ていた自分なりの評価を語れば、『みゆき』は濃味で、『タッチ』は薄味に振り分けられる。

 

『みゆき』は作品の中で全部表現されてしまって視聴者はただそれを受動的に観ていくだけなのである。たとえば、主人公の若松真人に対して「恋人のみゆきが“好き”という態度を遠回しだけど明確に示していて、妹のほうのみゆきは嫉妬しているナ」というのが常に色濃く出てしまっている。『タッチ』はそこらへんをワザと薄くしている。ヒロインの南、双子の達也と和也、その三角関係は、みんながみんな、明確な態度で示さない。そこに視聴者はグイっと引き込まれていった。

 

岡正の証言ではないが、『タッチ』のシリーズ監督・ときたひろこは、放送開始時の『ザテレビジョン』1985年3月29日号掲載インタビューで以下のように述べている。

 

あだちさんの原作は、なかなかアニメ化しにくいものだと思うんです。心理描写が多彩で、それを映像化するのは苦労しますね

 

アニメ化された『タッチ』の成功は、この塩梅が絶妙だったからに他ならない。

 

私事ながら、1985年の本放送開始時は小学6年生であった。たしか、家庭科の授業で、クラスメイトと堂々とおしゃべり出来る作業時間のときに、『タッチ』の話題となって、自分は原作を読んでなかったのだが、原作を読んでいる者が「途中で、和也が交通事故にあって死んじゃうんだぜ」と唐突にネタバレを嚙ましてきたのである。怒りはしなかったが、「エーッ!」と驚いてしまったし、だいたい「うそだろ~」と信用もしなかった。だから、それでも以前と同じように見続けていった。だって、和也が物語から脱落するそぶりが、ないのである。もしも、薄味の『タッチ』を『みゆき』のように濃味で作っていったら、話のスジというか、和也が物語から脱落していく気配というものが判ってしまう。それくらい視聴者は『タッチ』を自らが追い求めていったのである。

 

刑事ドラマ『誇りの報酬』第1話のことを調べていたときに作ったものを再利用(笑)

和也が死を迎えた第1部完結編 1985年10月13日(日)の番組表と関東における視聴率

『タッチ』は『サザエさん』を抜き、驚異の31.1%を獲る

もちろんこの日に放送した番組のなかで一番の視聴率であった

 

 

最後に。岡正が2019年に逝去した際、『タッチ』などを一緒に作っていたアニメプロデューサーの片岡義明(『タッチ』放送当時は広告代理店の旭通信社、現在のアサツーディ・ケイに所属)がTwitterでお悔やみの言葉を述べている。ここに書かれてあることは、おそらく『スケバン刑事』の制作現場でも行われていたことだろう。