いよいよ放送が始まった『誇りの報酬』。中村雅俊演じる芹沢春樹刑事はカーキチ…、いまで言うところの走り屋で、根津甚八演じる萩原秋夫は射撃の達人、というアクション刑事ドラマの王道たる設定が施された。第1話と第2話はその設定を思う存分に活かしたものとなっている。

 

ただ、彼らの常時乗っている捜査車両というのが、何の変哲もない4枚ドアのセダン、日産自動車のローレルだったのは当時どうも腑に落ちなかった。

 

格好良い刑事ドラマには、格好良い捜査車両。

格好良い捜査車両とは、2ドアのスポーツクーペ。

 

『太陽にほえろ!』や「西部警察」シリーズではそのことが備わっている。4ドアの車両といえば、格好良さとは無縁な『特捜最前線』だ(そりゃ、ヘンケンだ)。

 

『誇りの報酬』の番組スポンサーには日産自動車が入っており、主演の中村雅俊は同社の小型自動車・パルサーのCMキャラクターだったこともあり、日産の車両が採用されるのは当たり前なのだけど、それにしても、おっさん車のローレル?てなかんじで。

 

第2話では当時現行型だった日産フェアレディZによるカーチェイスが挿入

劇中では買い替えたような口振りだが、ノベライズ版によると借り物。だから、以後出てこなくなる

 

 

トヨタに次ぐ第2位の売上高と販売シェアであった日産、1970年代初頭まではそのトヨタに迫る勢いで第1位を獲ることも決しておかしな話ではなかったんだけど、どんどんと離されていき、この1980年代半ばは下位のホンダや三菱にせっ突かれる有様であった。販売不振のその要因となったのは、利幅が大きい高級セダン勢。トヨタにはすべて持っていかれたと言っても過言ではない。

 

当時巻き起こったハイソカーブームになると、それが顕著になる。ハイソカーとは自動車雑誌『ホリデーオート』が考えた造語で、端的に言えば、高級感あるパーソナル4ドアセダンのことを指した。だったら、各自動車会社にある高級4ドアセダンがそうなるかと思われるだろうが、結局のところ、ハイソカーとして持て囃されたのは、トヨタにあるマークII三兄弟、クラウン、そして2ドアながらクラウンのクーペ的な立ち位置だったソアラに限られていただけ。つまり、日産のものは蚊帳の外に置かれたわけだ。

 

「がんばれニッサン!おごるなトヨタ!」、当時をそのまま表す言葉だ

 

 

そういった状況の中で出てきたのが、1984年10月にフルモデルチェンジをした、C32型と呼ばれるローレルであった。イメージカラーは白(&ツートン)、豪華な内装、ハイソカーの条件に則ってはいるが、もうひとつの大事な条件、外観に洗練された雰囲気を醸し出すことはなっていなく、アメ車の雰囲気を持たせた押し出しの強いフロントマスクで損をした。同時期、ライバルであるマークII三兄弟もフルモデルチェンジを果たし、ローレルとは対極的なヨーロピアン・スタイルの外観で、そちらは一気に時代の寵児となっていく。

 

キャッチコピーは、「ビバリーヒルズの共感ローレル」

エディ・マーフィーの映画でおなじみの高級住宅街を持ち出してアメ車信仰を掲げたが

80年代半ばの趣向は、クルマでも装飾品でもヨーロッパのブランド信仰に傾いていた

逆張りをしたのか、素でボケていたのか!?

 

 

さて、長々と当時のハイソカー事情や日産の凋落ぶりを示してきたので、『誇りの報酬』に話を戻そう。

 

『誇りの報酬』は、アクション刑事ドラマの王道であり、典型的なバディものでもあるんだけど、ある設定が抜け落ちている。

 

刑事ドラマのバディものって日本では『噂の刑事 トミーとマツ』(1979~1982年、TBS‐大映テレビ)が始まりで、『誇りの報酬』の後番組『あぶない刑事』(1986~1987年、日本テレビ‐セントラル・アーツ)が有名どこだし、まあその前からいろんな刑事ドラマで単独主演エピソードではなくダブル主演エピソードを作ったりしている。それで共通するのは他のレギュラー刑事もいて、一緒に捜査活動をして動いているということ。


『誇りの報酬』はそれがないのである。現場には出向かない、ガミガミ雷落とす上司役の柳生博とその秘書役の篠ひろ子だけ。あと、いてもモブでね。主役の二人は、毎回ゲスト扱いの、各地の所轄署でその事件を担当する刑事たちと絡んで物語を廻している。そこが、4ドアのセダン(まあピラーレスのハードトップなんだが)を乗っている理由に結び付く。


2ドアの車両は格好良い。たしかに格好良いんだが、三人以上の乗降になると、その場面は途端に格好悪くなってしまう。2ドア車両の割合が多い『太陽にほえろ!』はそれがちょくちょくある。『誇りの報酬』の場合、主役の二人+協力者だったり捕まえた容疑者だと3人以上の乗車になってしまうし、他の刑事ドラマのように振り分けられない。となると2ドアよりも4ドア。なるほど、理にかなった選択である。

 

で、第1話を改めて観て驚いたのは、ローレルが出ずっぱりだったこと。冒頭のカーチェイスで、甲府(という設定のところ)への出張に駆り出されて仕舞いには車中泊まり込みで、ゲスト主演の多岐川裕美が住んでいる設定の家に昼夜の張り込みで、原付バイクとのカーチェイスで、最後は多岐川裕美の逮捕連行まで。

 

日産は第1話を観て、こう想ったはずだ。「もっと良い車を出せば良かったんじゃない!?」

 

この日産のローレル、最上級のグレードには、ローレルよりも車格が上のセドリックとその姉妹車のグロリア、それからフェアレディZにも積まれていたのと同じV型6気筒ターボ・エンジンが採用されるといった高級車であり、また、後にスカイラインでも採用される新開発のRB型直列6気筒DOHCエンジンも選べた先進さをも備えている。しかし、『誇りの報酬』に貸与されたものは従来からある4気筒エンジン搭載の廉価グレードで、中間よりもちょい下といった安物であった。

 

まあ、よっぽどのマニアでもないかぎりは、このローレルが下位グレードのものであったことは気付かないであろう。ただ、スタイリッシュな雰囲気を持った作品にはそぐわない、垢ぬけていない存在だったのは否定のしようがない。

 

そんなこんなで、1986年3月16日放送の第23話「潜行して敵を撃て!」より、その捜査車両がローレルからスカイラインへと変更される。前年8月にフルモデルチェンジしたばかりのもので、最上級グレードとはいかなかったものの、その下のGT PASSAGE 24Vという上級グレードのものが貸与された。

 

 

最上級グレードはDOHCターボエンジン搭載のGT PASSAGE TWINCAM 24V TURBO。先代末期にラインナップのRS TURBO Cに搭載された空冷式インタークーラーのために、フロントスカート左下部に開けられたエアスクープ(いわゆる風穴)の位置がこの7代目スカイラインのDOHCターボ(withインタークーラー)搭載モデルでも引き継がれることになる。GT PASSAGE TWINCAM 24Vでも『誇りの報酬』や『特捜最前線』に貸与されたノン・ターボのものは開いていなく、ここが識別点となる。

 

この代の前となる6代目のスカイラインでは、GT‐R消滅以来長年潰えていたDOHCエンジン搭載車をRSとして復活させたり、それをベースにしたターボRSで「史上最強のスカイライン」と謳って高性能さをアピール。当時、レーサーになる前にカーキチ…じゃなくて走り屋として鳴らしていた三原じゅん子議員はトヨタ最高峰の高性能エンジンを持つセリカXX2.8GTに乗っていたのだが、シグナルグランプリで唯一敵わない相手としてターボRSを挙げていたほど。スポーツカーとしてはまさに最強ではあったが、セダンとしての、ハイソカーとしての魅力は欠いていて、その第一条件たる白いボディカラーが絶望的に似合ないデザインと質素な内装は敬遠されることになった。たしかにRSとそのシリーズは時代の象徴ではあったが、皮肉にもスカイライン自体は時代の潮流から外れていたのだ。

 

そこで日産は、1985年8月に7代目へとフルモデルチェンジさせるスカイラインへはスポーツカーよりもハイソカーとしての魅力を持たせることにした。それがキャッチコピーの「都市工学です。」に表れたもので、イメージカラーは白、豪華な内装、スカイライン4ドア初のピラーレスとなるハードトップなどを施して、なによりも洗練したイメージを植え付けさせた。

 

1985年の販売開始時に日産プリンス販売から刊行された本『スカイライン 新「ひと・クルマ・都市」考』

202ページにわたって、技術的なことよりも、「都市工学です。」について綴られている

読んでみての感想としては、つまるところ、当時のホンダ車みたいに高感度の人から支持されたい、と

 

 

ゆえに、技術的には2リッター国産車当時最高の210馬力を誇るものの、それを売りとせずに、クルマ自体の味付けも大人しいものへと振っている。一応、ハイソカーとしてのラグジュアリー・グレードのほかに、内装だけはスポーツ・グレードのものも設えて従来からのスカGファンにアピールしようとしたんだが…

 

4気筒DOHCだったRSから更なる高みの世界へと誘うはずだった6気筒DOHCへと寄せられた期待を裏切り、また2ドアクーペはなし・4ドアのみの展開で、すべてにおいてスポーツカーとしてのスカイラインを感じられず、非難されるまでに至った。

 

このスカイラインの開発責任者は次の8代目スカイラインでGT‐Rを復活させることになる伊藤修令。スカイラインの父と呼ばれた桜井眞一郎の、そのプリンス自動車時代からの部下であった。当初、この7代目スカイラインも桜井が開発責任者として手掛けていたんだけど、終盤になって病気で倒れたことにより、他の部署にいた伊藤が急遽引き継ぐことになる。しかし、販売開始のスケジュールはすでに決まっていて、運輸省などへの認可も受けている最中だったことから、ラグジュアリーへと振っていた方向性に疑問を持つも設計変更は何一つできなかったという。先述の理由から非難の矢面に立たされた伊藤は、翌年夏に発表の2ドアクーペに向けて徹底的に設計を見直し、“やりすぎ”との判断を下した役員会とぶつかって、「これが叶わなかったから会社を辞めます」と啖呵を切ってまで、スポーツ性の復活に舵を切った。『誇りの報酬』が本放送でやっていた期間、1985年10月~1986年9月とは、日産にとって、そしてスカイラインにとって混迷を極めた日々であったのだ。

 

伝統と革新の融合? 豪華さとスポーティさが光る「7th スカイライン」を振り返る(くるまのニュース) | 自動車情報サイト【新車・中古車】 - carview! (yahoo.co.jp)

ここまで悪口が書かれてないR31スカイラインの記事を目にしたのははじめて

まるでマルチ商法の勧誘を受けているようだ


当時、まだ免許なんて持てなかった、スカイライン大好きな茶屋町少年も、ラグジュアリー方向に日和り、さらに4ドアしかないことに憤慨した覚えがある。同時期、マツダサバンナRX-7が2代目へとフルモデルチェンジし、本格派のスポーツカーになっていったのが恨めしかった。しかしながら、数か月後に『誇りの報酬』でスカイラインが現れると、まあ見慣れてくるもんで、これはこれでいいかもな、と。アクション刑事ドラマだが、その前に“大人の青春”と付く「大人の青春アクション刑事ドラマ」なのだから4ドアのセダンが似合うのは当たり前なのかもしれない。

 

最後にそういえば、『誇りの報酬』放送期間中の『太陽にほえろ!』には、トヨタの最新型2ドア・スポーツクーペである、FFセリカ、スープラ、2代目ソアラが矢継ぎ早に投入されていたのを思い出した。格好良さもさることながらいずれも人気車種だったのだが、出ている車両の良さ=番組の面白さ、と問われれば、そのままには結び付かない。それは逆説的に、『誇りの報酬』の後番組に採用されたことで、2代目ソアラの影に隠れて不人気車種だった2代目レパードが辿った数奇な運命を見れば理解いただけるだろう。

 

続・徒然なるままに、クルマを中心に「太陽にほえろ!」in 1986 | 茶屋町弥五郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)