『誇りの報酬』は、日本テレビにおける1985年秋改編期の目玉であった。

 

主演の中村雅俊はその年のNHK大河ドラマ『春の波涛』で主演・松坂慶子の相手役をこなしていて、偶然なのか、あるいは狙ったことなのか、『誇りの報酬』放送開始日の10月13日は、中村演じる川上音二郎が史実通り死去して物語から退場していくという大一番の回が設けられ、8時からやっていた大河ドラマの次の時間帯、9時からのこの『誇りの報酬』で颯爽と復活するといった、まさにその夜の話題を一手に掴んでいたのである。

 

 

また、中村は前月9月4日には同じ日本テレビの映画放送枠「水曜ロードショー」で放送された特別企画の単発ドラマ『俺たちの旅 十年目の再会』にも主演。文字通り、1985年の十年前、1975年から翌1976年に掛けて放送された青春ドラマ『俺たちの旅』のその後を描いたもので、往年のヒットドラマの後日談は当時珍しかったことからたいへん話題となった。『誇りの報酬』も同じ1975年放送である青春ドラマ×刑事ドラマ『俺たちの勲章』の十年後を描こうとして企画がスタートしたことから、一番に推したかった“青春スター・中村雅俊、その十年後のスタイル”という図式に放送開始前から弾みをつけられた。

 

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そして、中村と初顔合わせで妙齢の女性から抜群の人気があった根津甚八を相棒に、この年の春から秋までNHK朝の連続テレビ小説『澪つくし』にヒロイン役として出ていた沢口靖子を中村の妹役でキャスティング。社会現象を呼んでいた『澪つくし』に出演していただけあってオファーは各方面より殺到していたが、所属の東宝芸能つながりである、『誇りの報酬』制作元の東宝テレビ部が早い段階からスケジュールを押さえていたこともあってテレビ番組には独占的な出演が叶ったのである(映画には年末公開の大林宣彦監督作品『姉妹坂』に主演)。他にも8月末からTBSの看板ドラマ枠「金曜ドラマ」で放送の『金曜日の妻たちへIII 恋におちて』に主演格で出演中の篠ひろ子などキャスティング面で話題には事欠かさなかった。

 

「太陽にほえろ!」、幻の沢口靖子レギュラー出演 | 茶屋町弥五郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

 

半年前の4月からやっていた前番組『刑事物語'85』は、重厚な俳優陣を揃えた一方で、これといった旬の俳優をキャスティングしなかったことに加えて、2時間ドラマの「木曜ゴールデンドラマ」枠なら有りな内容も80年代半ばの刑事ドラマらしからぬ湿っぽい人情ドラマだったことが裏目に出てしまう。まずまずの12.3%でスタートした視聴率は翌週には10.0%と危険水位ギリギリとなり、その後は一進一退を繰り返してとうとう一桁台に突入し、打ち切りは免れたものの、2クール目に入った夏場あたりからはさらに半分の5%を切ることも珍しくない惨状となってしまった。それとは打って変わって話題性溢れるキャスティングであった『誇りの報酬』の第1話は、その効果が一気に出て三倍もの14.1%を獲得。この日、裏番組のテレビ朝日「日曜洋画劇場」が改編期に鉄板ネタの『男はつらいよ』で25.2%を稼いだのには、まあハナから敵わなかったけれど(通常時の視聴率は10%半ば)、それまでびりっけつだったところから、TBS、フジテレビ、もちろんテレビ東京らの同時間帯にやっていた老舗番組群をいっぺんに抜いた。以降も10%半ばで推移して安定の『誇りの報酬』は、日曜9時台に日本テレビを観てくれる視聴者層を築いていく。1986年春改編期までの予定をさらに半年間延長して一年間放送していったのもご納得いただけるかと思う。

 

近年、MEG-CDの形式にて再販売されたオリジナル・サウンドトラック(現在は販売中止)

制作発表時のイメージショットがジャケット写真になっている

湿っぽい内容を象徴するように、全員三つ揃いのスーツを、それもやぼったく着ているのが、なんとも…

リアルだが、とにかく地味だ

 

この1985年秋改編期、日本テレビは他に二本のテレビドラマを水曜夜にスタートさせた。金曜9時~11時の同時間帯に移った映画放送枠「水曜ロードショー」の後釜として1時間枠の連続ドラマを二本続けて設定し、10時からの主婦向けドラマ『妻たちの課外授業』第1話は『誇りの報酬』第1話を若干上回った14.2%で好発進した。『誇りの報酬』が当初半年の予定が一年間に延長した上、さらに後番組として『あぶない刑事』が作られたように、『妻たちの課外授業』は半年の放送を満期で終えた後も以降二年間にわたって同様の「妻たちの」シリーズを形成するなど主婦向けドラマ枠として成功を収めることに。前回のブログでも記述した通り、当時はドラマ不況で、視聴率20%がヒット番組の基準という時代に、NHK「朝の連続テレビ小説」の『いちばん太鼓』以外、民放で15%以上獲った新番組の連続ドラマはなく、“ドラマの”TBSも、視聴率三冠王で民放首位を独走していたフジテレビも、秋改編期スタートの連続ドラマはそのどれもが『誇りの報酬』と『妻たちの課外授業』を上回れなかったのである。フジテレビ、TBSに差をあけられての民放3位に甘んじていた日本テレビにとっては“してやったり!”の金星であったのだが…

 

水曜夜に新設定したもうひとつのほうの、9時からの若者向けドラマ『ハーフポテトな俺たち』は初回8.0%と大コケしてしまう。その上、番組関係者は「トラ・フィーバーに…」と苦汁を滲ませることに。翌週の第2回放送日10月16日、裏番組のフジテレビ『夜のヒットスタジオ・デラックス』において、阪神タイガースが21年ぶりとなるセ・リーグ優勝を決めたヤクルトスワローズとの試合を番組内で急遽中継されたことから挽回する機会は失われ、これで一巻の終わりとなってしまい、翌年春改編期までの放送予定だったのが半分の年内打ち切りへと相成った。しかし、このドラマ、主題歌がレベッカ最初のビッグヒット&名曲となった「フレンズ」なのである。不振を極めたドラマをよそに、10月21日に発売した「フレンズ」はオリコンチャート初登場20位から徐々に順位を上げていき、ドラマがとっくのとうに終わった翌1986年1月27日付けで最高3位を記録した。

 

十代の感覚に刺さる音楽性もさることながら、これこそ裏通りのファッション文化

オーバーサイズの古着を着こなすボーカルのNOKKOに十代の少女たちは夢中となった

 

水曜9時台、1986年の年明けからの代替番組は、『ハーフポテトな俺たち』で示した新しい青春像のドラマは捨てて、同じ若者向け青春ドラマでも、高校のバレー部を舞台にした昔ながらのスポ根ものをベースに、TBSが流行らし、フジテレビもそれに乗っかった「少女が生まれ持った運命に翻弄されながらも苦難を乗り越えていく」といったスジで当時隆盛を極めていた大映テレビドラマの亜流『ジャンプアップ青春!』を持ってきたのだが、しょせんは亜流なので『ハーフポテトな俺たち』で挫いたものを立て直すことにはならなかった。

 

そうだったのか!、「禁じられたマリコ」って | 茶屋町弥五郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

同時期の1985年11月からTBSで始まった岡田有希子主演のサイコホラードラマも

東宝制作ながら大映テレビドラマ調で作られていった

 

当時のテレビ番組における主流、若者向け番組や、それからバラエティ番組が日本テレビで奮わなかったのは痛手となる。唯一、『誇りの報酬』の前時間帯、日曜8時に放送していた『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』が気を吐くくらいで、とくに新番組はどれもが壊滅的な状況であった。この1985年にフジテレビが当てた『夕やけニャンニャン』とおニャン子クラブのシステムを真似して、10月16日放送開始の『ハイ!こちら音楽部!!』では番組輩出のアイドルを出すべくオーディション・コーナーを設けたり、翌1986年2月3日放送開始の『ごきげん!月曜7時半』では、素人っぽさを全面に出した女性アイドルグループ、B・C・G(美少女か・ら・ふ・るギャング)を番組アシスタント兼マスコットとして存在させてシングル曲も出したのだが、どちらも番組共々注目されることなくすぐに終わっていった。アニメ番組もフジテレビでやっているようなヒット作品が出ないなどして、日本テレビはこれらの分野で空回りをし続けて、若い視聴者にとってはそれほど観たい番組があるとは思えないテレビ局となっていたのだ。

 

改編期ごとに出される日本テレビ広報誌『うわさのテレビ』の1985年秋号

この時期のキャンペーンキャラクターは、『大きなお世話だ!』の三宅裕司

「活火山です。4チャンネル」をキャッチコピーにしたものの盛り上がらなかったから

1985年秋改編期を総括したテレビ情報誌の座談会では、死(4)火山と揶揄されることに

 

その象徴的なものが1985年秋改編期にあった。ドラマの目玉が中村雅俊ならば、バラエティの目玉として置いたのは、元NHKアナウンサーの生方恵一。そう、1984年末の『紅白歌合戦』のハイライトで都はるみに対して“ミソラ”発言をした御仁である。テレビやラジオで数々の番組を持っていたNHK東京から栄転扱いとはいえ、NHK大阪に人事異動させられて持ち番組ゼロとなったのが不満で、その夏にNHKを退職してフリー・アナウンサーとなっていた。早速、日本テレビは生方司会のバラエティ番組を秋改編期スタートで作って放送したのだけれども、それがよりにもよって土曜夜8時台…。フジテレビ『オレたちひょうきん族』がTBS『8時だョ!全員集合』を倒した直後の大激戦区である。TBSは1986年1月からの後番組『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』を始める前に、その間の三か月は『全員集合』の傑作選『ドリフフェスティバル全員集合ベスト100』を放送していて『オレたちひょうきん族』と再び張り合う視聴率を獲っていたことから、依然として土8戦争は続いていた。

 

放送史から紐とく“なぜ「オレたちひょうきん族」は「8時だョ!全員集合」に勝ったのか?” | 茶屋町弥五郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

 

そこに割って入ろうとした日本テレビの新番組、『おもしろ人間ウォンテッド!!』は、内容的にはまったくと言っていいほど新しさがなくて、かつて同局がやっていた『ほんものは誰だ?!』の安直な焼き直しに過ぎなかった。向かう所敵なしの『オレたちひょうきん族』に、それでも固定ファンが付いていた『8時だョ!全員集合』の傑作選に、既に大人の視聴者をがっちりと掴んでいたテレビ朝日『暴れん坊将軍II』があるなかで勝てるわけはなく、わずか三か月で打ち切りとなる。ただ、この番組は伝説的で、司会・生方恵一のアシスタントとして、11月からの放送を待つフジテレビ『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』の主演に抜擢される、まだまだ無名状態の南野陽子がそのブレイク直前から出ていたり、生方と同年代かつ知古だからという理由で「氏が司会ならば安心して出られる」と勝新太郎がバラエティ番組初出演して、そのキャスティングが突き抜けていたことは特筆しておきたい。