先日、日本映画専門チャンネルで1985年の『たけしくんハイ!』がチャンネル初で放送されていた。自分にとって、本放送以来何年かに一度は観てみたくなるお気に入りの作品だ。
日本映画専門チャンネル 『たけしくんハイ!』紹介
https://www.nihon-eiga.com/program/detail/nh10007021_0001.html
『たけしくんハイ!』は、ビートたけしが少年時代のことを綴ったエッセイが原作で、1984年に出版されてヒットした本のひとつであった。それで、翌1985年7月にNHK「銀河テレビ小説」枠においてテレビドラマ化されることになる。この時期、テレビ界は、ちょっとした変動を起こしており、“視聴率100%男”であった欽ちゃんこと萩本欽一がネタの枯渇と多忙が重なって疲弊していたことから1985年春改編期からほとんどの出演番組を休養する事態に至った。その欽ちゃんに代わり、ビートたけし、タモリ、明石家さんまら三人のいわゆるBIG3が台頭してくるのだが、やはりビートたけしが突出していた。絶好調だった『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)のほか、春から3つもの冠番組が始まり、その中には『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ)と『ビートたけしのスポーツ大将』(テレビ朝日)という経歴を代表するものがあった。
世間は常に、ビートたけしに注目していた。そういった中での自身初となる自伝的ドラマ、それもNHKで始まったのだ。
生活レベルが低い地域で、飲んだくれの父親がいる家庭環境ながらも教育熱心な母親、その賜物であった優等生な兄たち。人々は『たけしくんハイ!』で、たけしの如何にも下町生まれという下劣な言動とは裏腹に、他の芸人にはないアカデミックな知識を持ち合わせている、その不可思議な人物性の根源を知ることとなる。
そしてドラマは原作本以上に大反響を呼んで、翌年の1986年7月から8月には同じ「銀河テレビ小説」枠で続編『続・たけしくんハイ!』が作られて放送されることになった。
日本映画専門チャンネル 『続・たけしくんハイ!』紹介
https://www.nihon-eiga.com/program/detail/nh10007023_0001.html
かの後藤久美子が、たけしのマドンナ役で出演。
代表作となる『ママはアイドル!』や大河ドラマ『独眼竜政宗』よりも前の出演で
本作が世に名前が広く知られたものとなる。
今回、日本映画専門チャンネルで放送していた反響を探っていたところ、ひとつ思い出したことがあった。それは『たけしくんハイ!』と『続・たけしくんハイ!』も家族で観るドラマだったのだ。うちの家も母親と一緒に観ていて、母親がそれまでゲテモノのように見下していたビートたけし観が変わった。さすが天下のNHKだ。民放のドラマではこうはいかん。おそらく全国の家庭で同じことが起きただろう。
『続・たけしくんハイ!』が放送終了した四ヶ月後の1986年12月、いわゆるフライデー襲撃事件が起きる。世論は、たけしに味方した。その助力となったのは『たけしくんハイ!』であったかと思う。