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ロッキーは応接間に、件のショーケースを確認に戻ると、そこにはスコッチ刑事こと滝隆一がいた。七曲署捜査一係若手刑事のなかで彼だけがいつもスーツにネクタイ姿でいる。今日の格好もそうだ。彼のカジュアルな私服姿など見たことないロッキーはいつも不思議に思っている。付き合いづらくはないが、自分のことを普段表に出さない人だと。聞かれもしないのに普段の私生活からそのときの心情までペラペラ喋るロッキーとは対照的であった。


スコッチがショーケースの前にじっと佇んでいるところをロッキーが話しかける。ロッキーよりも先輩であるからニックネームの「スコッチ」とではなく、苗字にさん付けで呼ぶ。


「滝さん、おはようございます!」

「おはよう、朝食は美味しかったか?」


ロッキーは“ギクリ!”とした。相変わらず勘の鋭い人だと痛感した。ロッキーはその話題をそらすように、さっきから思っている疑問についてスコッチに投げかけた。


「えぇ、はい、まあ…。それにしても、こういう社長の家に招かれる人たちってどういう人たちなんでしょうか?、自分たちとは全然違う世界の人たちなんでしょうね」

「名簿の名前と住所だけじゃわからんな。ただ…」


スコッチは言いかけた言葉を飲み込み、ようやくロッキーのほうに振り向いた。そして、ロッキーにもショーケースを見るように促す。ロッキーは見てみるが、たしかに言われているように一か所だけ時計のない部分があり、あとは多分それと同じような高級腕時計かもしくはアンティーク腕時計が八本入っているとだけしか認識が持てなかった。


この犯行現場で陣頭指揮を執っていた山さんこと山村刑事によって、ロッキーはスコッチと組んで名簿に載っている人物に聞き込みに行くよう命令が下った。最初はなんと言っても、無くなった時計に興味を示していた“飯田栄蔵”という人物からだ。


飯田は、実家がオーナーだという高級マンションの一室に家族と一緒に住んでいた。年齢は53歳、恰幅が良く、穏やかな顔をした人物であった。職業は城南大学文学部の教授で、この日は休講日で自宅にいたので、書斎で話を聞くこととなった。まだ事件のことは報道されていなかったから、奥貫氏が殺されたことに酷く驚いた表情を見せた。聞き込みには前向きで、以前から付き合いのある奥貫氏のことや昨晩に行われたパーティーの様子を詳しく話してくれるのだが、どこか奥歯に物が挟まった言い方が気になった。スコッチは思い切って、名簿の欄に飯田が興味持っていたと記され、そしてショーケースの中から無くなった時計、ギムレットのことについて質問をぶつけた。


「はい、刑事さん、それはいま手元にあります…」


飯田は後ろめたそうな物言いで応えて、サイドボードの引き出しの中から時計を取り出して、スコッチとロッキーに見せた。ロッキーは驚くが、スコッチは表情一つ変えない。飯田はさらに二枚の紙も並べて、話しを続けた。


「盗ったものなんかではありません。ちゃんと奥貫さんから買ったんです。これが領収書で、こっちが鑑定書。あのパーティーは情報交換と親睦の目的で以前から参加していますけど、ときおり奥貫さんが競りをしていたんです。別にあの方は時計の売買で生活はしてはいないんですけど、“ブルジョワジーの秘かな愉しみ”というか、遊びで競りをするんです。それが商売上手というか、表立って値を言い合うのではなくて、ひとりひとりが奥貫さんに囁き合うかたちで。パーティーをやっている二、三時間、現物がそこにありますからね、我々時計マニアにとっては否が応でも欲しくなります。奥貫さんにとってはそれが楽しかったようです。市場になかなか出てこないギムレットは人気でしたので、昨晩のパーティーでは“華”でした。最初はわたしに譲る前の展示会だとばかり思ったのが…。わたしの他に誰かは判りませんが、何人か競りに参加していたのだと思います。わたしも頑張ってみましたが、買い主は決まってしまったみたいで」


飯田の顔が紅潮していく。一刻も早く自分への疑いを晴らしたい気持ちが滲み出ていた。ロッキーは昨晩の行動をさらに聴きだす。


「そこで私はパーティーが終わった後に悔やみきれなくて直談判しにもう一回奥貫さんの家を訪ねました。その場で現金で三百万円お支払いしまして。相場の倍です。反則ですけど、最後は奥貫さんが折れてくれました。パーティーの時に決めた買い主には奥貫さんの方から連絡すると言っていました。だから、刑事さん、私は殺してなんかいません!」


スコッチとロッキーは刑事の勘から飯田が“シロ”だとは判ったが、どうにも解せないところが出てきた。たしかに領収書には奥貫氏の署名と昨日の日付で三百万円と記載されていたけれど、奥貫氏の家からはそんな大金は見つかっていない。証拠物件として、前日に三百万円降ろしたことが印字されている銀行通帳、時計、領収書、鑑定書を押収したうえ、七曲署で行う任意の取り調べにも後で応じるよう云い渡すと飯田は素直に従った。


飯田が住むマンションから出て、捜査車両に乗り込むと、スコッチはスーツの内側に携えた懐中時計を取り出す。


「もうこんな時間か。結構掛かったな。重要な証拠品もあるし、一度署のほうに戻るか」


ロッキーもスイングトップの左袖をめくった。が、昨日の路上強盗との格闘で壊れて付けていないことを思い出した。そして、反対側の右手にはめていたロレックスGMTマスターでなにげに確認する。


「そうですね。昼飯は署の食堂でしましょう」


その瞬間、ロッキーは“あっ!”という表情になった。朝、自宅でロレックスGMTマスターを試着したまま出掛けてしまったことにようやく気が付いたの同時に、それをスコッチに見られたからだ。


「滝さん、これは…、その…」


スコッチは、にやける。


署に戻る捜査車両の中で、仕方なしにロッキーは昨晩の夕食会にあった出来事を話した。スコッチはそれがすこぶる面白かったらしく、終始高笑いで応えた。ロッキーはスコッチの笑いのツボがそんなところにあるのかと狐につつままれた。


「滝さん、このことはボスや一係のみんなには内緒にしてくださいよ。絶対にですから!」

「わかった、わかった」


つづく