(3)

翌朝。


昨晩の夕食会は盛り上がったが、深川に住む、令子の両親は新婚夫婦に気を使って昨晩のうちに帰り、再びロッキーと令子のふたりだけの生活に戻った。


令子が朝食の支度をしている間、ロッキーは昨晩貰ったばかりのロレックスGMTマスターをボスのように右手首にはめて悦に入っていた。なんだかんだと言っても嬉しいもんである。


「創さん、今日からそれしていけばぁ?」

「いやぁ、勿体ないよ」

「それこそ勿体ないわよ。飾るもんじゃないし」


ロッキーはいまいち乗り気になれなかった。ボスと同じ物を七曲署にしていくのは気が引けるからだ。その自分なりの理屈を令子には気恥かしくてまだ話していない。令子はフライパンでの調理に目が離せず背中越しにロッキーに語りかけ続ける。


「まあいいわ。あ、それから新しい上着、昨日買ってきたんで今日からそれ着てみて」

「へっ!?、令子なにそれ」

「ハンガーに吊るしてあるでしょ。昨日、お母さんたちと夕飯の買い物出かけたときに、いまの季節にちょうどいいかんじのものがあったんで買ったのよ」


スイングトップを見つけた。表地はベージュ、裏地はチェックが施されたものだ。ロッキーは令子と本格的に付き合うまでは服なんて機能性があれば良いとあまりファッションとして拘らなく、またその後も拘りを持つこともなかった。どちらかと云えばセンスが悪いことを自覚している。でも、最近は令子が見かねて誂えてくれるようになった。それでもあまり派手好みではないロッキーの趣味を汲み取り、彼が着たがるようなものが選ばれている。


ロッキーはさっそくスイングトップに袖を通す。


「うーん、ばっちりだ!」


そして、令子の使っている鏡台の前に立ってポーズを取る。


その時、電話のベルが鳴った。令子はテーブルに朝食を並べているので、ロッキーが電話に出る。案の定、こんな時間に掛かってくる電話は、捜査一係からロッキーに対しての非常呼び出しであった。


電話が終わり、ロッキーは神妙な面持ちで令子に事の経緯を簡潔に説明する。


「昨日の晩に殺しがあったみたいだ。それが今朝見つかったって。だから、まだ犯人も見つかっていない。これから現場に行ってくる。それから今日からまた帰りが遅くなるかもしれない。晩飯のほうはとりあえずいいや」


令子は素朴に尋ねた。


「この朝食どうすんの?」

「うーん…、いまはそんなに急がなくていいか(笑)。現場、ここから遠いし」

「そうよねぇ~」


令子は安堵した。ロッキーは以前に比べて自分が甘くなっているのを感じつつも令子との新婚生活は一分一秒無駄にはしたくなかった。



(4)

ロッキーは自宅前から拾ったタクシーで殺人現場に駆け付けた。そこは瀟洒な洋館だった。すでに周りには非常線が張られて、制服警官や鑑識員たちがてきぱきと動き回っている。管理職であるボス以外の捜査一係刑事たちは現場に到着していて、ロッキーがどん尻であった。それを詫びながら洋館の中に入る。ロッキーと入れ替わりで、ゴリさんとスニーカーのコンビが「あら、新婚さん、お早い到着ですねぇ~」と軽くからかいながら聞き込みに出掛けていった。


犯行現場と思われる応接間で長さんがロッキーにこれまでの状況を説明していく。


「殺されたのはこの家の主人で、貿易会社の社長 奥貫耕一郎氏 55歳。家族は居なくて一人暮らしだったそうだ」

「一人暮らし?、この“御屋敷”にですか!?」


ロッキーは唸るように驚いた。


「うん、まあ、話によると奥さんとは死別していて、息子夫婦はいるが海外で暮らしている。でも、通いのお手伝いさんがいたし、会社の人たちがいつも出入りしていたので、まったくの一人暮らしではなかった。それから、昨晩はこの家で客を呼んでバーティーが開かれていたんだ。事件はそのパーティーが御開きになって、お手伝いさんも帰った後、奥貫氏が独りになった深夜から明け方に掛けて起こったらしい。いま、鑑識が正確な死亡推定時刻を調べている」

「パーティーって、会社関係のですか?」

「いや、まったく個人的なもので、趣味の集まりのものだそうだ」


部屋の調度品は、どれも一流のものばかり。なにかの大会で獲得したのかトロフィーも飾られている。けっして成金趣味ではないが、社長の家とは、こういうところだというのを具象画にしたようなところだ。ロッキーは、自分と令子が住むアパートと比べて月とすっぽんであると思うと気が遠くなった。


そして…


〝社長の家で個人的に開かれるパーティーの招待客とはどういった人たちなんだろうか?〟


公僕で、薄給の身であるロッキーには想像の付かない世界であった。


「ロッキー、こっちきてみな」


別の部屋にいたドックが手招いた。その部屋に入ってロッキーはさらに驚愕した。


十畳ほどの部屋には、何十本、いや百本以上はあろうかという腕時計が、まるで美術館のように陳列されていた。豪華なショーケースにディスプレーされていることもあって、腕時計は高級なものからアンティークなものまで、誰が見ても価値あるものと判るぐらいに神々しい顔を覗かせている。また、アールデコ調の作りが良い本棚には腕時計に関する洋書が並べられ、壁には外国時計メーカーの古いポスターが額装されていて雰囲気を醸し出していた。


ドックが溜息をつきながら説明する。


「金持ちってのはすごいね。奥貫氏の趣味は腕時計なんだ。雑誌なんかにもそれでよく出ていたらしい。昨晩のパーティーっていうのは、腕時計仲間を集めてのものだったんだと。ロッキーも見てきたように家の中はとくに荒らされてはなくて、この部屋も御覧の通り、綺麗なままだ」


ロッキーはドックの説明には耳を傾けるも、やはり目はディスプレーされている時計のほうに行く。そして気付いたことをドックに質問した。


「でも、ショーケースの中にところどころ、腕時計がありませんよね」

「あ、それね。お手伝いさんの話によると、奥貫氏がパーティーで見せるために、事前にこのショーケースの中から選んで別の小さなショーケースに移し替えたんだってさ。遺体があった応接間にそれがあるよ」

「それでも、何本あったのかなんて…」

「いやいや、大丈夫。招待客の名簿と誰がどの時計に興味持っているのかってリストは作られていたんだ。なんともマメだね。あと、パーティーには雑誌記者とカメラマンも招かれていたから、そのショーケースや招待客の写真も撮っていたはずなんだ。俺の考えだと…」


ドックは右手の人差し指を眉間に擦りつける。これはドックが推理する時の癖である。予断は大敵ではあるが、ロッキーもこれまで感じたことを口に出した。


「じゃあ、容疑者はパーティーの招待客?」

「うん、その可能性が高いな。朝、お手伝いさんが来た時、いつもは戸締りしている玄関のドアが開いていた。それに奥貫氏が誰かを招いた痕跡があるんだ。だから、よくあるような“流しの物盗り”に襲われた線は薄いんだけど…、さっき言った応接間のショーケースには取材に来た記者とカメラマンを除いた招待客の数と同じ九本が収められていたはずなのに一本だけ無くなっているらしい」


つづく