たまには手慰みに創作小説を。



(1)

1980年10月


新宿繁華街の街角、既に犯人逮捕に至った小さな事件の裏取りで聞き込みにやってきた七曲署捜査一係のロッキー刑事(岩城創)とスニーカー刑事(五代潤)。


後輩のスニーカーが独りで聞き込みをしている間、ロッキーは路面に出ている高級ブランド専門質店のショーウィンドウを覗いていた。舐め回すようにディスプレーされている高級時計を見つめていく。


「良いけど、やっぱどれも高いなあ…」


独り言がこぼれる。聞き込みが終わったスニーカーがロッキーに声を掛けてきた。


「岩城さん!、岩城さんったら」


ようやく気付くロッキー。スニーカーは怪訝な顔をしている。ロッキーは柄にもなく高級時計に気がそぞろだったのを悟られないように取り繕う。左右の腕をクロスして、Tシャツの袖から出ている二の腕さすりながら話題を繰り出す。


「いまの季節、昼間はまだまだ暑いほうだけど、夕方になるとさすがに涼しくなるよな、半袖で出て来ちゃったのは後悔、コーカイ。オマエみたいになんか羽織って来れば良かったよ。オレもそういうの欲しいな。ハハハ!」


スニーカーは、この前買ったばかりで、今日下ろしたてのナイロン製スタジャンが褒められたことに機嫌良くして講釈を垂れ始めた。


「これねー、結構高ったんですよ。メイド・イン・ユーエスエーで。“アナハイム・エンゼルス”、大リーグの。知ってます?、自分がアメリカを放浪していた時にですねぇ…」


ロッキーは、女にモテない割に服には金を掛けているスニーカーの急所がどこにあるのか心得ていた。


その時、二人がいた路上でかっぱらい事件が発生する。ハンドバッグを盗られた女性の悲鳴が上がる。


いかにもな男がその女性のハンドバッグを持って、一目散に逃げるのだが、およそ警察官らしくない格好の二人が居る方に向かって走ってきたのが運の尽きだった。


ロッキーとスニーカーは気持ちを切り替えて、男を待ち構える。


そして、男が二人の前に突っ込んできたときに堰き止めて捕まえようとしたら、男は格闘技の心得があるのか、意外と苦慮する。それでも二人がかりで、なんとか捕まえることが出来た。一件落着はしたのだが、ロッキーがはめていた腕時計がさっきの格闘で傷付いて壊れてしまった。


それを見てスニーカーが哀れむも、ロッキーはさほど気にしない。


「まあ仕方ないさ、何年も使ってる国産の安物だから別に良いんだよ」


(2)

定時に仕事を終え、署からまっすぐアパートに帰ってくるロッキー。今日は妻の令子は仕事が非番で、一緒の夕食を楽しみにしていた。


「レイコー、帰ったよー」


いつものようにそう言って玄関のドアを開けると、部屋から賑やかな声がしてきた。玄関には見慣れぬ靴が二足あった。令子の両親が訪ねて来ていたのだ。


ロッキーは突然の来訪に戸惑った。一方の令子はそんなロッキーの顔を見ても気にしない素振りでテーブルのところに座ったまま「おかえりなさい」と返した。傍らの両親も気分上々で、仕事から帰ってきたロッキーを労う。そして、三人で囲んだテーブルの上座にロッキーを招く。


両親は香港に旅行に行ってきて、昨日帰国したばかり。そのお土産を携えて娘の新居に遊びに来ていた。夕飯は奮発してロッキーも大好きなすき焼き。テーブルの上は、四人前の食材と食器、そしてお酒が所狭しと並べられている。ケーキはないものの、誕生会かと思うくらいの豪勢さだ。だが、ロッキーにしてみれば、令子の両親に苦手意識を持っていたので、ちょっとどころか、かなりガッカシ。令子の両親の方はそんなロッキーの気持ちなど気付きもしない。むしろ婿を歓迎する感じで応対する。


先々月の8月、ロッキーと令子は結婚式を挙げずに入籍し、そのまま二人暮らしを始めた。しかし、一応は両家揃ってのあいさつは交わしており、その際に形ばかりの結納も済ませていた。令子の両親がその結納返しの代わりとして、ロッキーに香港旅行のお土産を渡した。令子は既に中身が何か判っているようで、「創さん、きっと喜ぶわよう!」と、いたずらな顔と口調でカマを掛けてくる。


ロッキーは三人のペースにいまいち乗り切れないのだが、お土産の包みを有り難く受け取った。


「さぁ、開けてみなさい」


令子の父親が言う。令子と母親は包みが開けられるのを和やかに待つ。


ロッキーが包みを開けると、高級腕時計ロレックスの文字とあの王冠マークが記された箱が出てきた。驚くロッキー。さっきまで委縮していたのとは大違いで、破顔して喜びを表す。そして、箱を開けた瞬間…。


出てきたのは、ロレックスGMTマスターのべゼルが赤と青のモデル。


ロッキーはあっけにとられる。令子はロッキーが喜びで突き抜けて言葉を失っているのかと思い、声を掛けた。


「ね、良いでしょー。前から創さんが欲しがっていたロレックスのそのモデル。お母さんとお父さんが香港に旅行に行くってんで、あっちの免税店なら日本で買うよりも安いから頼んで買ってもらってきたわけよ」


両親も満足そうに、令子の言葉に肯く。


「この時計は一生ものだしな。わしもついでに買ってしまったんだよ!、ほらっ」


令子の父親が左腕を差し出すと、いかにも新品のロレックス・デイトジャストがはめられていた。半分が18金の、いわゆるコンビであしらわれたものが頭上にある電灯からの光でまばゆく反射する。令子の父親はロレックスがはめられた左手首をぐるぐると振り回して、さらに四散する反射を楽しむ。「もうお父さんったら…」と令子の母親が止めるも、二人ともに香港旅行の余韻が覚め止まぬような機嫌のよさだ。


彼らとは対照的に、ロッキーのほうは焦っていた。


たしかに普段から令子に「ロレックスならGMTマスターが良いな。いつかは欲しいな」とは言っていた。その理由は、尊敬する上司、ボスこと七曲署捜査一係の係長・藤堂俊介がいつもはめている時計だからだ。でも、ボスと同じ物をまだ若輩者の自分が持つなんて差し出がましいと、憧れは憧れのうちに留めていた。たとえ買えるお金が手元にあったとしても、本気で同じ物をなんて買おうとは思わなかった。しかし、令子は普段からその口癖のようなものを聴いていたから、「一番欲しかったものをあげよう。それも何かの時にサプライズとして」と受け止めていたのだ。


ロッキーは本心が伝わらなかったのが残念だったが、令子の心遣いは伝わってきたし、それに令子の両親が来ている手前もあって、ここは詰まらぬ自分の拘りなど口に出さずに、令子とその両親にペースを合わせることにした。


「お義父さん、お義母さん、ありがとうございます!、香港どうでした?、ボクは『Gメン’75』でしかまだ見たことないんですよねぇ~」


ロッキーはテーブルの上に置いてある瓶ビールを手に取り、義理の父親がさっきから右手で握ったままのコップに注いだ。


秋の宵、賑やかに岩城家の夕食会が行われていく。


つづく