現在、ファミリー劇場で放送されている『コードナンバー108 7人のリブ』、今週は第9話・第10話とすでに終盤に入っている。この作品、1976年10月~1977年3月までの2クール・全26話だったのが視聴率不振で半分の1クール・全13話で打ち切りになった、いわく付きのものだ。第1話・第2話を観た時点で「なるほど、これでは致し方ない」と思ったものだけど、終盤に入ってきて皮肉にもだんだんと面白くなってきている。


ファミリー劇場『コードナンバー108 7人のリブ』紹介

http://www.fami-geki.com/detail/index.php?fami_id=02400


この手のアクション・ドラマ好きなら誰しもが、レギュラーキャスト、そしてスタッフ陣を見れば“面白くないはずがない!”と思うのに、無名の外人俳優たちを主要ゲストに多数起用、さらに吹き替えではなく字幕を多用、主人公達がほとんど傍観者でハナシの本筋に絡んでこないなど、どうしてか初期は明後日の方向に行ってしまった。当ブログで示したように、TBS『刑事コジャック』(第2シリーズ)、NET(後のテレビ朝日)『プロポーズ大作戦』に挟まれた火曜10時からの大激戦区に投入されたものだから、当初から厳しい戦いではあったろうけど、なぜそうしてしまったのか解せないところがある。


当ブログ記事 1976年10月、「コードナンバー108 7人のリブ」と、その時代

http://ameblo.jp/goro-chayamachi/entry-11979796648.html


タイトルの『コードナンバー108 7人のリブ』の“リブ”はウーマン・リブから採られているとのこと。予告編ナレーターに中ピ連の榎美沙子が入っていて、それをかなり意識している。同じ女性主体だったスパイ・アクションのテレビドラマ『プレイガール』とは対照的にお色気は封じて、あくまでも聡明かつ格好良い女性としてリブたちが描かれているのが表れか。たしかに視聴者にお色気が好きな層がいれば、反対に嫌いな層だっている。テレビドラマに具象画的な作りを求めてる人もいれば、反対に難解でもいいから映画のような作りを求めてる人もいる。ただ、いずれも少数派だ。そこを狙ったとしても、結果は失敗だった。


テレビドラマは監督や脚本家が作品の方向性を決めるわけではなく、プロデューサー(とくに制作局側)の強い意志によって決定される。しかし、そのプロデューサーも視聴率という絶対的な数値には適わない。打ち切り決定後の敗戦処理は少しでも取り返そうと初期設定のプロットで続けるのは断念してテコ入れを実施するはめになる。第6話のタイ・ロケ編では外人俳優らの台詞は全て吹き替え、第7話はそれまでのハードボイルドな作風から一転してユーモラスなコミック・アクションへと換わっている(ちなみにこの回から予告編ナレーター・榎美沙子の表示は消えて次回からは声優の内海賢二に変更)。3ヶ月後には別番組になっているので打ち切りが早々に決まったであろう第1話や第2話の視聴率が出た後に制作が始まったと思われるこれらの回から如実になっていく。


そして今週放送分の第9話は、リブが扱う事件についてそれまで傍観者や第三者的な立場であったのが“巻き込まれ型”となって当事者の一人になる話で視聴者の気を惹いていく。これは必殺シリーズなんかが代表的で、たとえば仕事人の知り合いが、彼らにこの世で晴らせぬ恨みを晴らしてもらう頼み人となったり、逆にじつは裏では悪事を働いていて最後は殺す者と殺される者同士として絡んできている。「そんな偶然あるかよ~」と突っ込み入れたくなるも、この“巻き込まれ型”による展開はレギュラーもゲストも絡みに絡んでテレビドラマ的にはじつに面白いものだ。


続く第10話では、中丸忠雄、山本麟一、鹿内孝といった悪役トップ俳優たちをゲストに迎え、リブたちが彼らの悪事を壊滅するために禁じ手だったお色気駆使していく作戦(とは言っても猥雑なものではなく、男と女のアバンチュール的なシチュエーションで)。また、それだけではなく、歌手でもあった山内えみこの歌唱シーン、JAC出身で東映カラテ映画でならしたミッチー・ラブのヌンチャク・アクションなど「これだよ、これ!」という声が聞こえんばかりのサービスがてんこ盛りな内容。


第9話と第10話、それから初期の中では面白かった第3話(外国で陰謀にハメられた本郷功次郎が帰国後、無謀な復讐行動に出るのをリブのボスであり、彼の旧友だった野際陽子が阻止する話)なんかを最初期のほうにやっていれば、もしかしたら打ち切りは免れたかもしれない。