先々月、向谷実が1984年にプロデュースした亜蘭知子のアルバム『MORE RELAX』の再発を記事にしたところ、各方面から反響があり、記事中に同年発表したカシオペアのアルバム『DOWN UPBEAT』を取り上げると予告していたので、今回はその話を長々と・・・。
当ブログ記事 向谷実プロデュース 亜蘭知子のアルバム『MORE RELAX』再発売
http://ameblo.jp/goro-chayamachi/entry-11850441515.html
まずは簡単なプロフィールから。1984年10月25日発売の『DOWN UPBEAT』はカシオペアにとって通算12枚目のアルバムで、いまからちょうど30年前の1984年7月から8月に掛けて、ニューヨークのシークレットサウンドスタジオにおいて、わずか10日間のうちに録られたものである。スタジオ録音アルバムとしてはベスト盤『THE SOUNDGRAPHY』(1984年4月25日発売)を挟んだ前作にあたるロンドン録音の『JIVE JIVE』(1983年11月30日発売)とは一転して、全曲インスト曲、かつゲストなしのメンバー4人のみで演奏された作品でもあり、カシオペアのその全盛期のなかで“らしさ”をストレートに出した作風ともなっている。それでは次にレコーディングまでのカシオペアのスケジュールを追ってみることにしよう。
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- ジャケット写真は、レコーディングが行われたシークレットサウンドスタジオの屋上でのスナップ。
- レコーディング中のため、メンバーの服が撮影用に誂えた衣裳ではなく、普段着そのままなのである。
- 1984年3月1日、カシオペアが音楽を手掛け、メンバー自らが出演したマクセル社製ビデオカセットテープのCM曲「THE SOUNDGRAPHY」のシングルレコード発売とともに春の全国ホールツアー「CASIOPEA '84」がスタートした。6月19日まで39都市40会場を廻る長丁場ではあったが、4月21日の郡山市民会館公演までを前半、5月9日の秋田文化会館公演からが後半とで分けられていて、演奏曲目のセットリスト(&ステージ衣裳も!)が変えられている。どちらも「THE SOUNDGRAPHY」や当時最新アルバムの『JIVE JIVE』からの曲を中心に演奏しつつも、後半からは『DOWN UPBEAT』に収録される「THE CONTINENTAL WAY」、「COOKIN' UP」、「TWILIGHT SOLITUDE」をレコーディングに先駆けていち早く披露。この3曲のうち「THE CONTINENTAL WAY」と「TWILIGHT SOLITUDE」は、国内ツアーが終了した翌7月から始まるヨーロッパツアーでも披露されることになっていく。そして、ヨーロッパツアーを終えた彼らは日本に一旦戻ることなく、そのままニューヨークに直行してアルバム『DOWN UPBEAT』のレコーディングに入ることとなった。
- 機材類は神保彰のドラムが常用しているのと同じヤマハ製のもので調達された以外は、他のメンバーは楽器からエフェクターに至まで普段のライブで使っている機材そのままで自給自足で済ませている。アルバムに記載されたクレジットだけ見れば、向谷はDX-7、そのDX-7の二倍の音源とピアノタッチの木製76鍵盤を持つDX-1、それから1979年以来常用しているローランドのヴォコーダー・VP-330の三種類というシンプルさである。ただし、MIDI制御で音の厚みを持たせるため、DX-7はライブで使う台数以上の4台も投入される物量作戦であった。
- 昨年発行された『キーボードマガジン』2013年7月号では、シンセサイザーの名器、ヤマハDX-7の発売30周年を記念して大々的に特集が組まれた。特集内の記事「DXサウンド名盤紹介」では10枚紹介されたうちの一枚として、このアルバム『DOWN UPBEAT』が入っている。
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オリジナルアルバムとしては前作となる『JIVE JIVE』(1983年11月30日発売)で、向谷はDX-7とともにGS-1、CS-70M、VP-330といった当時のライブにおけるセッティングをメインに使っており、現地の音楽関係者からさえ驚かれたという当時珍しかったMIDI接続もDX-7同士のほかに、DX-7とローランドJUPITER 6をつなげていた。次作となるアルバム『HALLE』(1985年9月10日発売)やそれ以降のとなると、DX-7、『DOWN UPBEAT』制作後に発売されたDXの音源モジュール版・TX-816(KX-88でコントロール)をメインにしつつも、いつも以上にアコースティック・ピアノをフィーチャーしてきたり、『HALLE』レコーディング開始の一週間前まで作っていたというソロアルバム『ミノル・ランド』で投入したイミュレーターIIによるサンプリング・サウンドも多様している。この当時のカシオペアのアルバムの出来に甲乙を付けるのは極めて難しいことではあるのだけど、カシオペアの音を代表するDXサウンドの純度という観点からは、やはり『DOWN UPBEAT』なのである。前出の『キーボードマガジン』のDX-7特集で取り扱った「DXサウンド名盤紹介」は妥当な結果と言えるだろう。
当ブログ記事 向谷実『ミノル・ランド』のすべて
http://ameblo.jp/goro-chayamachi/entry-10987439953.html
1984年、発売から一年経ったDX-7はキーボーディストではなくてもプロのミュージシャンにとってマストアイテム化していて、向谷以外の他のメンバーも当然持っていた。カシオペアのメインライターでもある野呂一生は向谷に注文出すだけではなく、自らも音色エディットするなどDX-7を頻繁に活用していく。ただ、使用に関してはライブやスタジオには持ち込まずに自宅の作業場のみだったのと、テーブルに置いたタバコの箱をまっすぐに置き直すなど典型的な血液型A型気質な野呂なだけに、丁寧にもカバーを掛けていたと本人曰く“プロのミュージシャンが持っているモノではたぶん一番綺麗な状態(笑)”だと聞かされたことがある。で、最近またそのDX-7について伺える機会があり、とうとう手放してしまったとのこと。2011年の東日本大震災以来、野呂は個人ベースで被災地支援をし続けており、義捐金のほかに、不足物資を直接送ることもしていて、「元気づけるための演奏をしたいのに肝心な楽器がない」との声に、すでに使われなくなって久しかった手持ちのDX-7を提供したのだ。1980年代におけるカシオペアの名盤・名曲の根源となったDX-7、その一端を作り出した野呂所有のDX-7ならば、歴史的価値が計り知れないから正直もったいないとファンとしては思ったのだけど、被災地のどこかで楽器本来の使われ方として再び使われていたのだから、まあそれはそれで良かったんじゃないかと思う。
当ブログ記事 野呂一生 初のソロアルバム『SWEET SPHERE』
http://ameblo.jp/goro-chayamachi/entry-11240333096.html
野呂が『DOWN UPBEAT』の次に手掛けた作品は、初めてのソロアルバムだった。
このアルバムにもDXサウンドが入れられている。
しかし、ライブの再現性にとらわれないなど、カシオペアや『DOWN UPBEAT』のコンセプトとは真逆の方向性を持たせていた。
さて、アルバム『DOWN UPBEAT』に話を戻すことにしよう。このアルバムのレコーディング、よく知られていることに全曲一発録りであったから、10日間というそのレコーディング期間の短さが納得出来ると思うが、収録曲全10曲すべてが国内にいる時に事前に作曲されていて、しかもカシオペアとしては珍しいことにマルチトラックを廻しての精巧なデモ・テープまで作られていたという念の入れようだった。ここらへんのノウハウは後のアルバム『THE PARTY』のレコーディングにそのまま受け継がれている。それで当初の予定より早く終わってしまったレコーディングに思わぬハプニングが付く。所属事務所からの提案により、初めてのプロモーションビデオ撮影の話が持ち上がって急遽敢行したのだ。しかし、滞在地・ニューヨークで撮影されたそれはカシオペアにストレスを与えるだけのことになってしまう。ありがちなスタジオ疑似ライブではなく、なんとメンバー出演によるストーリー仕立てで、それもかなり観念的なもの・・・。アルバムの一曲目「ZOOM」をバックに、レコーディングした曲が収められたカセットテープが“悪魔”によって突然奪われてしまったため、メンバーが日中のニューヨーク市街を駆けずり回り、“悪魔”から取り戻そうとする内容だった。途中、メンバーが“悪魔”に身体を乗っ取られたり、本物ではなくオブジェの楽器でダンスしながら当て振りしたりと意味不明な演出も入っている。カシオペアのイメージとも、楽曲のイメージとも、まったく掛け離れたチンプンカンプンなものであった。
ファンならばご存じの通り、メンバーは演劇の経験など誰一人なく、現地ニューヨーカーの演出家に言われるがままに付け焼き刃の素人演技で身体を動かすだけだった。櫻井哲夫にいたっては演出で入れたカラーコンタクトレンズが外れなくなってしまい、救急病院に助けを求めたとも・・・。それでこのプロモビデオ、完パケにまでなったものの、あんまりの出来のためにNGとなりお蔵入りさせてしまった。でも、自分は実は以前、神保のファンクラブ・パーティーの余興で公開されたそれを観たことがある。また、カシオペアのファンクラブの仕事で関わった際、向谷が1980年代に国内外のツアー時に趣味で持ち歩いていた8ミリカメラ(ビデオじゃなくフィルム!)の映像が発見され、それにはなんと撮影中の模様、いわゆるメイキング映像も残されていた。いまならば笑って済ませられるし、ある種のお宝映像ではあるけど、まあはっきり言って、これが世に出ていたら、かの有名なジャーニーのプロモビデオが失笑されたのと同様に、アルバム『DOWN UPBEAT』の価値を二段にも三段にも下げるものであったから、当時の判断は至極適切であったと思う(笑)。
ニューヨークから帰国後のカシオペア、レベル42と共演した8月の国内ライブを経て、9月後半には今度はインドネシアツアーに出掛ける。そこから帰国した後、アルバム『DOWN UPBEAT』の発売プロモーションが本格的になされるのだが、たぶんにスケジュール的なものであったのか、当時カシオペアは全盛期にもかかわらず、テレビ出演によるものがひとつもなかった。結局、これがアダとなって、かなり自信持っていたオリコン初の10位以内にランキングされることは適わず、少々不本意な結果を招いてしまう(最高位13位)。この反省を踏まえて次のアルバム『HALLE』からは積極的なテレビ出演によるプロモーションがなされていくことになる。
『DOWN UPBEAT』発売直後の11月3日から12月24日にかけて行われた秋の全国ツアー「AROUND THE WORLD '84」(全国22都市23会場)の間隙を縫って、翌1985年1月25日に発売する12インチ・シングルの制作がなされた。アルバムのなかから「ZOOM」と「DOWN UPBEAT」を当時流行のダンスミックスにエディットしたもので、野呂と所属のアルファレコードの寺田康彦エンジニア(当時)が手掛けた。また、この12インチシングルの発売の際、ふたたびプロモーションビデオの作成がなされる。素材は1984年のよみうりランドイーストでのライブ映像とメンバー考案によるオリジナルのモノクロアニメ。一応、今回は無事に世に出ることになったのだが、当時日本のアーティストのプロモーションビデオを流す番組なんてのは地方のU局ぐらいしかなかったから思った以上の成果を上げることは出来なかった。カシオペアのファンにも知られず、ほとんど幻の映像に終わってしまったこれは、七年後の1992年に発売されたライブビデオ集『act-one』に収録されてようやく日の目を見る。ただ、12インチシングル自体は、7インチで発売した「THE SOUNDGRAPHY」のようにシングルコーナーに隔離されるよりも、その大きさから他のアルバムと同じコーナーに入れられることもあって売り上げやその反応のほうは好評だったようで、この後も「HALLE」(1985年8月25日発売、アルバム『HALLE』収録と同バージョン)と「SUN」(1986年8月25日発売、アルバム『SUN SUN』収録のものとは別バージョン)がそれぞれアルバムに先行してシングル化されていく。
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- 「ZOOM」、「DOWN UPBEAT」、「SUN」の12インチバージョンほか
- カシオペア初のシングルとなった「I LOVE NEW YORK」のカップリング「MAGIC RAY」の
- シングル・バージョン(アルバムがフレットレスギターにたいして、フレッテッドの方を使用)も収録。
それでは最後にアルバム『DOWN UPBEAT』のリメイク曲と演奏状況について。
向谷は神保と当時年1~2回ほど行われていたヤマハのデジタル楽器イベント、X-DAYにおいてデモンストレーション・ライブをしており、自身が作曲した「ROAD RHYTHM」は定番曲であった。1984年12月に行われた初参加のX-DAY 2では「THE CONTINENTAL WAY」とともに披露され、1985年5月に行われたX-DAY 3には野呂・櫻井も一緒に出演し、向谷と神保のコンビでシーケンサーをバックに「ROAD RHYTHM」、野呂と櫻井のコンビでシーケンサーをバックに「ZOOM」と「AIR FANTASY」がカシオペアのメンバー全員参加ながら変則的編成で披露されていた。向谷は「ROAD RHYTHM」がよほどお気に入りだったのか、1985年8月25日に発売された自身初のソロアルバム『ミノル・ランド』においてもセルフカバーしている。
「DOWN UPBEAT」、「THE CONTINENTAL WAY」、「TWILIGHT SOLITUDE」はカシオペア初のライブビデオ『CASIOPEA LIVE』(1985年9月21日発売)に、「ZOOM」がその第二弾となる『CASIOPEA PERFECT LIVE』(1987年2月25日)に収録される。1980年代後半、『DOWN UPBEAT』から上述したライブビデオ&アルバムに収録された曲、それに「HOMESTRETCH」を加えた5曲がライブでも定番曲として演奏され続けられた。
メンバーチェンジをして1990年代に入ってからの、いわゆる第2期のカシオペアではその初期は一切演奏されることがなくなってしまう。『WE WANT MORE』収録の「TIME CAPSULE MEDLEY」にも一曲も収録されていない。しかし、その後の1992年夏、当時の最新アルバムであった『ACTIVE』に収録したフレットレスギター使用曲「POINT X」をライブで披露する際、その“ついで”として「TWILIGHT SOLITUDE」が復活。また、イギリスで制作されたクラブミックスアルバム『CUTS U.K.Remix』では、「DOWN UPBEAT」と「ROAD RHYTHM」が素材として使われる。1993年8月、WOWOWがモントルージャズフェスティバルを中継するのにあたって、その一環でカシオペアの1984年に出演したライブも本邦初オンエア。50分弱に編集されたもので「THE CONTINENTAL WAY」は外されたが、レコーディング以前の「TWILIGHT SOLITUDE」が観られる(まあほとんどアレンジは変わりないが)。
1994年、東南アジア市場向けに作られた全曲セルフリメイクのアルバム『ASIAN DREAMER』(1994年12月16日発売)で、「TWILIGHT SOLITUDE」に加えて、第2期のライブではそれまで演奏されてなかった「DOWN UPBEAT」、「THE CONTINENTAL WAY」が大幅にアレンジを変えられて収録される。翌1995年、アルバム『FRESHNESS』のツアーにおいて、「ASIAN DREAMER」メドレーにその2曲が組み込まれた。「THE CONTINENTAL WAY」はこれっきりであったのだが、「DOWN UPBEAT」は1996年と1997年にも演奏されていく。1999年、デビュー20周年を記念した日比谷野音のライブで披露した長大なメドレーで「ZOOM」が10年ぶりに演奏。その年の冬ツアーからはフルサイズにアレンジし直されて定番化していった。
2000年には、ソニーから過去のライブ映像集『CASIOPEA AGAIN』では、アルバム『DOWN UPBEAT』レコーディングから帰国後の1984年8月に、よみうりランドイーストで行ったライブが収録される。プロモ映像「DOWN UPBEAT」の元素材となった映像が観られるほか、1984年内しか演奏されなかった「FROU FROU」が貴重である。じつはこのライブはソニーが主導となって撮っており、ベータマックスのCMに使われたほか、非売品ながら当時のソニー民生用製品のデモンストレーション映像のソフトにされている(収録曲は、「SWEAT IT OUT」、「SPACE ROAD」、「EYES OF THE MIND」、「ASAYAKE」の4曲20分弱で、LDとβビデオテープがそれぞれ作られる)。そして、この映像ソフトをある香港人が日本滞在時に偶然観たことによって、1985年のカシオペア香港公演にも繋がることにもなった。
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2005年、千葉県舞浜市のライブハウス、クラブ・イクスピアリでの3daysライブにおいて、「DOWN UPBEAT」がそれまでのアルバム『ASIAN DREAMER』のアレンジではなくオリジナルのアルバム『DOWN UPBEAT』に準じたアレンジに戻されて演奏されることになった。2006年からの休止期間中は現役OBのメンバーは様々なプロジェクトでカシオペアの曲が演奏されていたが、神保がワンマンオーケストラにおいて、自身の作曲したカシオペア曲のメドレーで「FROU FROU」と「NIGHT STORM」を取り上げる。なお、「NIGHT STORM」はアルバム『DOWN UPBEAT』のなかから唯一カシオペアで演奏されていない曲でもある。そして2012年からの第3期、CASIOPEA 3rdにおいて「TWILIGHT SOLITUDE」が取り上げられている。