5月28日、タワーレコードのレーベルにて、カシオペア在籍時代の向谷実が1984年にサウンドプロデュースしたアルバム、亜蘭知子の『MORE RELAX』が最新のリマスタリングを施されて復刻発売される。
初版である1984年当時からすでにCD化はなされていたり、いまからちょうど二十年前の1994年にも一度だけ復刻されたけど、どちらも流通量は少なかったことから、かなりのレアアイテムとなっていた。しかも、1994年の復刻盤は廉価帯のQ盤仕様だったことで、ほぼ初版仕様のままでリマスタリングはなされておらず、今回発売から三十年目にして、ようやく良い音で蘇るから、これはまさしく〝買い!〟なのである。
カシオペアなどジャズ・フュージョン系ミュージシャンが多数参加した
亜蘭知子『MORE RELAX』がタワレコ限定再発
http://tower.jp/article/feature_item/2014/04/25/0704
タワーレコード限定ということなので、おなじみのamazonや他のCDショップでは買えないが、タワーレコードは自社で通販サイトを持っているし、1500円以上は送料無料とのことなので、一枚からでもその値段で買えるからこれは便利。
というわけで、今回はこの亜蘭知子のアルバム『MORE RELAX』を解説。
亜蘭知子は1970年代末から作詞家として活動しはじめ、1980年に『3年B組金八先生』出演直後でアイドル活動していた三原順子(現・三原じゅん子)のデビュー曲「セクシーナイト」を手掛けたことでも有名。翌1981年から年一枚のペースでソロ名義によるアルバムも制作していき、この『MORE RELAX』は4枚目にあたるものだった。
亜蘭は音楽制作集団のビーイング所属であったことから、それまでの3枚のアルバムのバッキング・ミュージシャンは、同じビーイング所属だったマライアのメンバーが中心となったものであったが、この4枚目にあたる『MORE RELAX』はそれまで参加したことがなかったカシオペアの面々が中心となった。
その制作のキッカケとなったのが、1983年11月に始まった亜蘭知子のFM番組『FMライトアップタウン ~時間につつまれて』に、当時カシオペアの新作アルバム『JIVE JIVE』(1983年11月30日発売)のプロモーションで向谷がゲスト出演したことから。すぐさま、お返しに今度は向谷が対談の連載持っていた音楽誌『月刊エレクトーン』に亜蘭を招くなどして交流を図っていき、「それでは!」ということで、予定されていた亜蘭知子のアルバム制作に向谷が協力することになったのである。
向谷はカシオペアの一員であるとともに、メンバー4人のなかで独立した一個人としての心意気というものが一番強かったかと思う。カシオペアがデビューする前から、結婚に繋がる同棲生活を送っていた向谷は〝食うための仕事〟としてスタジオ・ミュージシャンをこなしており、カシオペアがデビュー後の1980年にはジュディー・アントンや山根麻衣のアルバムには演奏だけではなく楽曲提供やアレンジまで担当するように仕事の幅を拡げていった。しかし、そういったスタジオ・ミュージシャン業の軌道が乗りかけたところで、カシオペアのほうが忙しくなっていき、また安定した収入も得られたことで、1981年から1983年の間は休止状態となる。それでも、カシオペア以外で何かをしたいという意志は常に持っていて、すでに『MORE RELAX』の頃には、経営に参画するレコーディング・スタジオ、スタジオ・ジャイブのプロジェクトもスタートさせていた。
当ブログ記事 「カシオペア&向谷実ファン必聴!ジュディー・アントン「SMILE」初CD化」
http://ameblo.jp/goro-chayamachi/entry-11540571953.html
さて、当時のカシオペアはグループ活動優先の方針で個人活動はほとんど行っておらず、レコード会社との契約条項にはなかったものの、所属のアルファレコード以外のレコード会社でカシオペアのメンバー参加を売りにしたモノも制限されていた時代。では、なぜワーナーパイオニアで制作された亜蘭知子のアルバムに、向谷実をはじめ、他のメンバーも含めたカシオペア全員参加のアルバム制作が可能になったのであろうか?
それはアルバムのプロデュースを請け負ったのが、カシオペアのアルバム・プロデューサー、宮住俊介であったことが理由。当時、宮住は十年勤めていたアルファレコードから脱サラして独立し、フリーのレコード・プロデューサーとなったばかり。そのほとんど第一弾の仕事がこの『MORE RELAX』だったのである。亜蘭と向谷のミュージシャンシップを取り持つかたちで、アルバム制作の実務面を宮住が請け負った。それで宮住の独立第一弾の仕事ということで、ツーカーの仲であったカシオペアも全面的に応援した次第。
宮住俊介ブログ 「夏の6週間」
http://blog.livedoor.jp/woodymiyazumi/archives/51628448.html
本文の記述は1983年春となっているが、たぶん御本人の記憶違い。
サラリーマンからフリーになった直後の生活や仕事の変化を振り返っている。
1984年2月から3月にかけてレコーディングされ、6月25日に発売された『MORE RELAX』は、カシオペアのアルバムで位置を示せば、新録のタイトル曲を冠したベスト盤『THE SOUNDGRAPHY』(1984年4月25日発売)と夏のヨーロッパツアー後に直接ニューヨークに乗り込んでレコーディングした『DOWN UPBEAT』(1984年10月25日発売)の間。全10曲すべてカシオペアのメンバーによる作曲で揃えた一方で、政治的判断?から野呂一生の演奏参加は見合わされ、当時既に黄金のリズムと讃えられた櫻井・神保のリズムも、櫻井は岡本敦男、神保は高水健司という組み合わせに振り分けられるなどして、一応はカシオペアの純度は下げている。が、向谷実が手掛けたからには、DX-7を始めとしてYAMAHAのFM音源がフルに使われた、ほぼあのカシオペア・サウンドで彩られている。
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- 発売から30周年を記念してヤマハDX-7の特集が組まれた。DXサウンドの名盤紹介その10枚のうち、カシオペアの『DOWN UPBEAT』が選出。このアルバムについては、また機会をあらためて!
- 先述したとおり、当時スタジオ・ジャイブのプロジェクトもスタートしていて、この『MORE RELAX』発売後しばらくしてオープン。向谷がカシオペア内外のレコーディングを通して感じてきたキーボーディストならではの使い勝手が設計に最大限考慮された。それは、マイクを立てる従来の録音方法ではなく、マイク通さないライン録りで行われるシンセや打ち込みにもストレス無く対応出来るスペースを作るなど、いまでは当たり前となっているレコーディングに活かされたものであった。『MORE RELAX』のレコーディングは向谷がカシオペアとは別に一個人で活動していく場となったスタジオ・ジャイブへの最後の助走だったと考えることが出来る。
- そして、『MORE RELAX』は神保と櫻井の才能を開花させる。
- 神保作曲の「DRIVE TO LOVE(愛の海へ)」は一曲目を飾るだけではなく、シングルカットもされるくらいのキャッチーな楽曲に仕上がった。カシオペアでも「SUNNY SIDE FEELIN'」や「MID-MANHATTAN」などライブの定番曲を作っていて、メインの野呂に次ぐソングライターとして成長していた神保にとって、より自信を深めるものとなったことだろう。神保はその功績から、亜蘭知子の次作『IMITATION LONELY -都会は、寂しがりやのオモチャ箱-』にも参加。向谷とともに起用され、今度は神保がイニシアチブを取って、3曲の楽曲提供とアレンジも担当している。さらに、同時期に当時ナンバー1アイドルであった中森明菜のアルバム『BITTER AND SWEET』にも一曲「恋人のいる時間」を提供して話題も振りまいた。
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櫻井哲夫はアルバムタイトル曲に相当する「RELAX」を提供。スラップベースをフィーチャーしたイントロが、いかにも当時のカシオペアっぽく、当時櫻井が講師となったベースクリニックではファンから「このイントロはどうやって弾いたのか?」という質問が飛び出すなどした。また、櫻井は、『MORE RELAX』のレコーディング参加直前に、女性ヴォーカリスト、二名敦子のアルバム『LOCO ISLAND』に一曲「SPIN DRIFTER」という曲も提供している。カシオペアへの提供曲は寡作であった櫻井も、ヴォーカル曲との相性の良さを見いだして、翌1985年と1986年の足かけ二年にわたって作った初ソロアルバム『DEWDROPS』で9曲中5曲がヴォーカル曲となったのは、この二曲から来ていることは想像に難くない。また、1989年には神保と共に作ったバンド、シャンバラのコンセプトが日本語ボーカルによるバンドサウンド、いまで言うところのJ-POPだった。カシオペア分裂の原因ともなったシャンバラはいまだ忌み嫌われている存在ではあるけれど、背伸びしまくっていた当時16歳の自分にとっては、ジャストなサウンドであったし、その歌詞は憧れる世界観で、ポップでクリエイティブなものという認識であった。
当ブログ 「二名敦子 ライブ」
http://ameblo.jp/goro-chayamachi/entry-11619942868.html
昨年行われたライブでは、櫻井提供の曲も歌われた。
当ブログ 「訃報 ドラマーの青山純さん死去」
http://ameblo.jp/goro-chayamachi/entry-11717544575.html
櫻井哲夫の初ソロアルバム『DEWDROPS』には、J-POP屈指のドラマー・アオジュンも参加。
同い年のふたりは、じつは高校生の頃からの知り合いでもあった。
つまるところ、1980年代前半までの向谷、神保、櫻井、それぞれが野呂の才能に、まあ口の悪い言葉で示せば、〝おんぶにだっこ〟していた状態から抜け出せたのが、この『MORE RELAX』ということになる。
カシオペアの全盛期に〝全10曲すべてがカシオペアのメンバーによる作曲〟という、それまでにない触れ込みで出された『MORE RELAX』は商業的に成功する。亜蘭知子の次作『IMITATION LONELY -都会は、寂しがりやのオモチャ箱-』でも宮住俊介がプロデューサーに起用される。向谷はやはり宮住俊介の請け負った仕事として、ポニーキャニオンに所属していた松原みきのアルバム『LADY BOUNCE』のサウンドプロデュースを担当する。その際、宮住へのポニーキャニオンからの依頼は、「カシオペアのようなサウンドを」とのことで、『MORE RELAX』よりはカシオペアの参加度合いは下がるものの、その第二弾というかんじで、全10曲中6曲が向谷が楽曲を提供し、その他のメンバーである野呂が一曲提供、櫻井と神保が演奏、という〝カシオペア全員参加〟をまたしても売りとしたアルバムに至った。
当ブログ記事 「向谷実『ミノル・ランド』のすべて」
http://ameblo.jp/goro-chayamachi/entry-10987439953.html
『LADY BOUNCE』と同時期に制作された向谷実初のソロアルバムについて総力特集。
1985年は国内外のツアーに出掛けている以外は、出来たばかりのスタジオ・ジャイブに入り浸りであった。