1997年12月24日(水)


午後1時、東海道新幹線で京都に訪れた尾木慎一郎は、JR京都駅の中央改札口で待ち合わせていた恋人の井戸明美と落ち合う。ふたりは、オープンしたばかりの京都駅隣接のホテル、グランヴィア京都のロビー奥にあるカフェ・レストランで昼食をとろうとしたが、夕食にあらかじめガイドブックで見つけたステーキハウスを予約していたので、それでは昼夕食のメニューが似たものになってしまうからと、地下街ポルタにある観光客相手の京都料理店の和食で済ました。そして、明美が用意していた昼得きっぷでJR東海道本線 新快速 明石行きに乗り、今日のホテルの宿泊予約を取ってあるJR三ノ宮駅へと向かう。この年三年目の神戸ルミナリエを観るためである。


休日明け、平日の昼下がりの新快速は空いていて、二人掛けのシートに列んで座れた。対面の座席に互いの宿泊用の荷物を入れたボストンバッグも置けもした。


明美はショルダーバッグから翌日ふたりで梅田駅・ナビオ阪急にある北野劇場で観る予定の『タイタニック』の指定席券を取り出して、上映開始時間を慎一郎に確認させる。明美はレオナルド・ディカプリオの大ファンであって、12月20日の公開初日に観に行きたかったものの、普段はディカプリオの話題を出すと興味なさそうにあしらう慎一郎も、この年末最大の話題作だけに『タイタニック』にはノッてきたので一緒に観ることを選んだ。


団塊ジュニア世代で大学入学は狭き門だった慎一郎はなんとか県内にある私大に入ると、すぐに横浜駅隣接の百貨店でアルバイトをするようになり、以来四年間の奉公が評価されて、そのまま就職してしまった。販売業であるからして、昨日の休日は出勤、今日はシフトの定休で、明日は有給を入れて関西方面に訪れていた。明美はマスコミに興味があって、地元の短大を卒業後、放送関連の専門学校に入り直して、昨年から大阪にあるテレビ番組の制作会社にADとして就職。いまはその制作会社が手がける京都を特集するCS放送の帯番組のため、地元京都の烏丸にある支社に在籍していた。今日は午後から半休を取って、慎一郎との待ち合わせのために職場から京都駅に直行した。


横浜に住む慎一郎と京都に住む明美の出会いはひょんなことからであった。今年3月、個人売買の専門誌を通して同好の趣味を持つ者として連絡を取り合い、用件のみの一回限りではなく、その後も同好の趣味についてのやりとりを頻繁に交わすようになる。そのうち1973年生まれの同学年ということとクルマをはじめとした共通の趣味などいくつもの共通項を互いに知るようになった。横浜と京都、離れた地に住む二人は当初は電話と手紙だけであったのが、慎一郎が5月に大阪にライブを泊まりがけで観に行ったとき、ライブの翌日に京都から彼女を呼び出した。呼び出した理由はある。いつからか、姿は拝めずとも、声や物事の捉え方、そして話を聴くかぎりの生活スタイルを知って、慎一郎は明美が“運命の人”になるとの予感が芽生えたからだ。その予感は的中した。慎一郎は一目惚れして、すぐさま告白。当の明美は遠距離恋愛になることを躊躇したが、慎一郎の再三の渡る説得と情熱で押し切って、恋人としての交際が始まった。今年1997年のクリスマスは、慎一郎と明美が出会ってから最初のクリスマスでもある。


いくつものクリスマス関連の電車内の吊り広告のなかにあった、カップルのデート風景を演出しているアミューズメントパークの広告を見て、明美が問いかける。


「クリスマスの想い出ってある?」
「イブの?、それとも25日のほう?」
「うぅん、どっちでも」


慎一郎は頭を巡らす。そして、とっておきの話でもするように話し始めた。


「去年さぁ、独りで暇だったから環八沿いにあるクルマ専門の本屋に行ったんだよ、昼間にクルマで。いつも行っているとこで、ほら、この前さ、着替えのパンツと靴下入れてたビニール袋にプリントされた“Lindbergh”ってなんて読むのって言ってたじゃん。崩して書いてあるからぜんぜん“Lindbergh”って読めないやつ。あそこ」
「それで?」
「それでね。まあ、クリスマス・イブだけど、平日の昼間だし、人があんまりいなかったわけ。でも、『Car Magazine』の表紙の画を描いているBOWっているじゃん。あの人が来てたんだ。ホントに“カニ目”に乗ってきて。話も出来てラッキーだったよ。」
「だから?」
「それもあんだけど、帰りのことだよ。長居してて、もういい加減帰ろうと、夕方ね、家に帰ろうとしたわけ。すぐ第三京浜の入り口(玉川IC)があるから、それに乗って。6時ぐらいだったかな。そしたら、すぐに横浜行く方面が大渋滞。クリスマス・イブだから、横浜来たがるんだろうね。廻りのクルマはカップルだらけなのに、オレは独り(笑)。終点の保土ヶ谷ICってところまでノロノロ・ノロノロ。あれはツラかった」


明美は消化不良な顔をこれみよがしに慎一郎に示した。聴きたいのはそういうネタ話ではない。慎一郎のいつもの暖簾に腕押しな態度に明美は呆れた感じで、ぶっきらぼうに言う。


「他にないの?、たとえば、クリスマス・イブに告白したとか」
「・・・ある」


途端に明美は驚きの表情に変わる。そんなドラマのようなことをした輩はいままで自分の周りにいなかった。思いも寄らぬエピソードに当たって声も自然と躍っていく。


「あるん!?」
「うん、ある」
「聴かしてよ(笑)」
「怒んない?」
「なんで怒るぅ?、その娘に未練があるわけ?」
「いや、そういうわけじゃないけど」


慎一郎は頭の中で整理をし始めた。あの時のことを思い出して喋るのは久しぶりのことであるから。


「中学三年生の時にね。あっ、そっちは中学三年生のときのクリスマス・イブどうしていた?」
「うーん、どうやったかな。特に何もなかったなあ。」
「京都とかってクリスマス・イブに告白するとか流行ってなかった?」
「ぜんぜん」


慎一郎は言葉を慎重に選びながら話し始めた。


「同じ中学の同級生というか、二年の時まで一緒のクラスで三年の時に別々になっちゃたんだけど、一応仲良かったし、ずっと好きだったんだ」
「可愛かった?それとも美人タイプ?」
「どうだろ?まあ~アケミサンには適わないナ(笑)、タカラヅカの人と間違われたんでしょ!?、いつものように背筋ピンとして颯爽と梅田駅歩いてたら。あの話面白いじゃん。ネタに使わせてもらっているヨ」
「だーかーらー。いまはその話いいのぉー」
「ホントに聴きたい?」
「聴きたいッ、か、ら」


明美はせがむ。慎一郎は、対面の座席に置いた、クリスマス・イブの今夜に明美に手渡すクリスマス・プレゼント、「4℃」の指輪を入れたボストンバッグを一瞥して話を続けた。


「クリスマス・プレゼント買ってきて、呼び出して告白したんだよ」
「で、どうやったの?、うまく行った!?」
「いや、フラれた。その前にも一度フラれてたし」


慎一郎は車窓に目を配る。京都を出てから最初の停車駅である高槻駅までもう少し、ちょうどサントリーの山崎蒸留所が見えた。演出しているのか本心なのか、さっきのクリスマス・イブ渋滞のネタ話とは打って変わって慎一郎は哀しそうに話す。明美は知らなかった慎一郎の過去の一面をもう少し探ってみたかった。


「どうしてフラれたの?、仲良かったんでしょ」
「告白するの、下手だったからね。なんかさ、そういうの苦手で人に頼んだりしちゃって」
「そう?、貴方私の時、上手かったじゃない。京都と横浜で遠距離恋愛になるのに、いろんな言葉列べてねじ伏せて」
「あの頃といまは違うよ。でも、あの頃そういう失敗したからね。教訓みたいになったのかな。」


“フラれた娘とはその後どうなったの?”


明美はさらに突っ込んで尋ねようとしたその言葉を飲み込んだ。いま慎一郎の横には自分が居る。それが答えなのだから。明美が押し黙ったその間隙を縫って攻守交代で、慎一郎が今度は明美のことを聴きだしてきた。


「そっちは告白ってされたことあるんでしょ?」
「そりゃあ~、まあ・・・」
「こっちは言ったんだから聴かせてよ」
「聴きたい?」
「聴きたいッ、か、ら」


慎一郎は明美のマネをした。


「高校二年生の時、同じ高校の同級生がウチのそばでずっと待っててくれて、私が帰ってきた時、告白されたの。まあ、あんまり長く続かへんかったんやけど・・・。それで私にとっての夢があって、待ち伏せされて“好きだ!”って告白されるのと・・・。ひとつはそれが適えられて、あともうひとつあって」


慎一郎は「そういうのいいねぇ~(笑)、女の子の夢ってかんじだよね」と合いの手を入れていく。明美は慎一郎を見つめながら、畏まるように次の言葉を紡いだ。


「大好きになった人に、“世界で一番愛してる”って言われること」


それを聴いて慎一郎は急に照れくさくなった。その言葉は先月11月に些細なことから喧嘩した後に泣き崩れていた明美に言った言葉であった。決して慰めやその場を繕うための出任せ言葉ではなく、かねてからの本心からであった。クリスマス・イブまで取っておくつもりであったが、伝えておいて良かったと実感した。そのときは頷くだけだったのが、明美からのようやくのアンサーに感激して人目がないことをいいことに慎一郎は明美の唇に軽くキスをした。


気分を良くしていた慎一郎が話を切り出す。


「じつは後で言おうかと思ってたんだけど、いま言う」
「大事なこと?」
「そう、大事なこと」


百貨店に就職した慎一郎は、居心地良く、そして可愛がられていたアルバイト時代と学閥で差別される正社員になってからの境遇の違いに少々嫌気がさしていた。


「ウチの会社に相互社員交換制度ってのがあるんだよ。まあ、近場の系列の千葉とか多摩なんかとね、やってて、いわゆる野球のトレードみたいなもの。ウチの本社はこっちのほうで、遠いけど、横浜ともその枠があるんだよね」
「まさかこっちに来るの?」
「そう。地元採用なのに、縁もゆかりもない関西に行くなんて“どうかしているよ!”って言われたよ。志願してのことだし、もう内示も出してもらった。早ければ2月から、遅くとも来年の4月には移動出来る」
「家とかはどうすん?」
「とりあえず寮暮らしかな。でも、いろいろ手伝って」
「うん・・・」


新快速はもうすぐ新大阪駅に到着しようとする。新幹線からの乗り換え客が結構乗ってくることがわかっているから、慎一郎は対面の座席に置いた自分と明美のボストンバッグを一つずつ持ち上げて頭上の網棚に移した。


明美は、慎一郎が口癖のように言う「中学生や高校生のときでも絶対惚れたけど、いま明美に出会えて良かった」という言葉を噛みしめた。

fin.