12月24日(土)


二学期の終業式でもあるこの日、通信簿は高校受験控えた中学三年生にとっては、三者面談と合わせて、来年に受験する高校を決めるためにもう何日も前に通知済みであった。だから、成績に一喜一憂するその感慨はない。この日の尾木慎一郎にとって、頭の中は長山真弓への告白のことでいっぱいだった。


昨日、竹内からのアドバイスもあって真弓に告白しようと決心はした。が、校内で真弓を幾度も見かけたものの、気持ちの整理が追いつかずに逃してばかりであった。勝手な妄想で“クリスマス・イブのこの日がチャンス”という気持ちと、告白せずに何事もなくクリスマス・イブをやり過ごそうとする気持ちが葛藤したままで学校の時間は過ぎてしまった。


午前中の早い時間で終わった学校からの帰宅後、それでも予定通りに慎一郎は午後から告白の時に受け渡すプレゼントを買いに伊勢佐木町にあるマルイに行くことにした。独りで出掛けようとしていたら、物見遊山なのか何故だか竹内も付き合ってくれることになった。


竹内の目的は慎一郎が着ているオールレザーのスタジャンと同じ物を買うことだった。「これじゃあ、オレとお前とでペアルックになっちゃうヨォ。格好悪いじゃん」と慎一郎が漏らしたら、竹内は「金子も尾木が着ているの見て買ったってョ」と平然と返してきた。昨シーズンもアクション刑事ドラマ『ベイシティ刑事』に憧れて主人公が劇中で着用しているフライトジャケットに三人で憧れて同じものを揃えてしまった因縁がある。


慎一郎は結局マルイで当初考えていたCD一枚分の価格、その3,200円前後のものを予算にしていたが、少々オーバーした4,000円のペンダントが付いたネックレスを購入する。煌めくシルバーの細かいチェーンに1センチ四方のシルバーのペンダントトップが付くもので、流行のティファニーのような刳り抜かれたハート型もあったが、それはさすがにおこがましいのでクロス(十字架)型のものに留めることにした。購入したネックレスはアーモンドチョコレートの箱みたいな大きさの長方形の化粧ケースに収められ、クリスマス用の緑と赤と金のストライプにデコレーションされた包装紙で包まれる。


後は真弓を呼び出して告白するだけ。しかし、自宅に戻ると、こんな日にかぎって母親が居座っている。だから、外の電話ボックスから連絡することにした。慎一郎が贔屓にしている地元のプロ野球チーム、横浜大洋ホエールズのペットマークが描かれたテレホンカードを公衆電話の投入口に入れて電話を掛けようとするも、なかなか長山真弓の自宅への電話番号は押せなかった。この期に及んでまだ躊躇しているのである。何も出来ずに一時間以上も電話ボックスの中に佇んでしまっていた。


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夕方6時。途方に暮れた慎一郎は、遊び仲間との溜まり場であるショッピングセンターの喫茶店「コッペル」を独りで訪れた。慎一郎はそこで同じ中学に通う同学年の山形英里子に出会う。慎一郎の好みからは外れるが、とても自分と同じ中学三年生には見えない大人びた印象を持つ美人であった。


いまから一年以上前、慎一郎が中学二年生に進級した時、そこでクラスメイトとして知り合った竹内とウマが合い、竹内が小学校時代からの友達であった金子らと中学生ながらたむろしている喫茶店に慎一郎も出入りするようになる。喫茶店の店長は二十代前半の、彼らから見れば兄貴のような存在で、家族や教師以外の大人の存在を身近に感じた。その店長はいわゆる雇われ経営者であったが、オーナーが訪ねてこないことをいいことに、モデルガンショップを開きたかったという自らの趣向全開で、店内はコレクションのモデルガンやエアガン、そしてガンアクションの映画のポスターや雑誌で埋め尽くされている。


ここで慎一郎は竹内や金子らとエアガンを片手に『あぶない刑事』や『ベイシティ刑事』、『マイアミバイス』などのガンアクションが炸裂するテレビドラマの話に明け暮れていた。いつしか友達の友達の紹介というかんじに、同学年の女子も「コッペル」に通ってくるようになる。英里子もその一人であった。もちろん、英里子をはじめ、女子は男子の子供じみたガンアクションの話なんかには付き合ってはくれない。彼女らは兄貴然とした店長の人柄を慕って、少し背伸びして、中学生にとっては憧れの、大人の世界を見聞きしたかったのだ。


巷はクリスマス・イブ、明日から学校は冬休み、そして土曜日が重なったこの日、夕方6時のショッピングモールは大変な賑わいであった一方で、普段から商売っけのない「コッペル」だけは取り残されていた。店長は趣味のエアガンを店頭サンプル品の扱いで無料で譲ってもらう同じショッピングモールの中にあるオモチャ屋の最後の掻き入れ時に手伝いに出掛けていて、なんと中学生の英里子を店番に置いていたのだ。いま店には英里子と慎一郎だけである。


いつもこの店で英里子に会うのは慎一郎にとってはツルんでいる竹内や金子らと一緒の時、英里子にとっても同性の友達である松野礼美らと一緒の時であって、それに店内には輪の中心である店長もいたりする。二人だけというのはなかった。意外な顔合わせに、英里子のほうから尋ねてきた。


「尾木、独りでどうしたの?」
「まあね。山形はこれから立脇さんと・・・?」
「そう。どう良い感じでショ」


英里子は腰掛けていたカウンターのイスから立ち上がってファッション雑誌に載っているようなポーズを作って戯けてみせる。おろしたてと言わんばかりの型くずれや皺一つない真っ赤なウールのロングコートを羽織っていた。それだけでも目を見張るようなものなのに、驚いたのはその中に着ているものが、膝上20センチ以上はあろうかという短い丈のボディコンのワンピースの黒いドレス、そして脚線美を強調するかのように薄く透けている黒のストッキングと金色の細工が随所に施された黒のエナメルのハイヒール。朴念仁の慎一郎にとっておよそ中学生が着る服とは思えなかったが、英里子がそんな格好をしている理由は解っていた。立脇という、店長が通っていた高校の一学年下だという後輩で、「コッペル」に出入りしている男性と逢うためだ。立脇は元暴走族らしく、その名残からか鋭い眼光と厳つい表情を持った人物ではあるが、そういったものに畏怖の念を抱く中学生の彼らの前では、昔の武勇伝自慢げに語ったり、粗野な振る舞いもあまり見せなかった。ときおり、旧知の仲の店長がイジるようにその時代の若気の至りを面白おかしく聞かせるだけである。立脇は職を転々としていて、いまはショッピングモールの近くの倉庫で働いているらしく、ここ最近は頻繁に顔を出している。普段から同学年の男子なんて歯牙にも掛けない英里子と立脇の仲は「コッペル」に出入りする仲間内では公然になっていった。だから、これからイブの夜のデートのために待ち合わせで居るんだと慎一郎はすぐに悟った。


「いいな。じゃあ、立脇さんが来る前に告白しちゃおうかな。ここにプレゼントもあるし」


慎一郎は軽口叩きながら、胸の内ポケットに仕舞っていた長方形の包みを取り出した。突然の行為に驚く英里子。しかし、それがハナから冗談だと解っているので笑ってあしらった。慎一郎が自分と同じクラスにいる真弓に惚れていることはずいぶん前から知っている。ただ、クラスメイトであっても課外まで友達付き合いをする仲でもないし、春に慎一郎が不甲斐ない告白の仕方でフラれたことも知っていたから、なるべく触れないことにしていた。それで目の前に差し出されたクリスマス包装されたプレゼントを見た英里子は勘違いして、自分が知らないうちに慎一郎と真弓のよりが戻ったものだと思った。英里子は気安く問いかける。


「なーんだ(笑)、尾木も長山さんとこれから?」
「うぅん・・・」


途端に慎一郎は表情を曇らせる。英里子は自分の思っていることと様子が違うのを察知して怪訝な顔になった。


「尾木どうしたの?、長山さんにあげるんでしょ、それ」

「いや、今日さ、告白しようと思って。クリスマス・イブだからプレゼントなんかあると良いじゃん。そう思ってさっき買ってきたんだけど・・・。でも、なんというか、まだ連絡してもいないんだ・・・」


英里子はあきれた。が、思い詰めている慎一郎が可哀想に感じてここは一肌脱ごうと決心する。


「長山さんちの電話番号知っている?」
「うぅん、まあ、これに」


慎一郎はジーンズのポケットから真弓の自宅の電話番号書き記したメモを取り出した。英里子はそれ見て、「じゃあ、電話しましょ」と慎一郎を店に備え付けてある電話のところまで引っ張り出す。しかし、慎一郎は乗り気にはなれなかった。


「いいよぉ-、山形。もうあきらめてんだからさ」
「何言ってんの!」


英里子は一喝した。そしてメモに書かれた番号に電話する。


「あ、もしもし、長山さんちでしょうか。私、真弓さんと同じ3年6組の山形英里子といいます。真弓さん、いらっしゃいましたらお願いします」


まるでオペレーターのように、噛むこともなく、そして淀みなくテキパキと話す英里子に呆然とする慎一郎。


「いる、って」


受話器の送話口を手でふさぎ、慎一郎に微笑みながら言う英里子。そしてすぐさま受話器に戻る。


「あ、もしもし、山形です。・・・。そう、山形英里子。・・・。ゴメンね、突然電話してぇ~。あのね、尾木クン知っているよネ?、彼といま一緒にいるんだけど、彼が長山さんと話したいんだって。いいよね!?」


英里子は受話器を慎一郎に差し出す。慎一郎は心臓が飛び出すくらいの動悸であったが、ここまで来たらもう逃げも隠れも出来ない。英里子に向かって頷きながら、受話器を取って電話の向こうの真弓に話し始めた。彼女と話をするのは半年以上ぶりである。


「もしもし、尾木だけど・・・。久しぶりぃ、だね。あのさ、よかったら今夜少しだけでもいいから会ってくれないかな?、ちょっと話したいことがあるんだ」


テンパっている慎一郎は、考えていた呼び出しの台詞とはずいぶん違ったこと言ってしまい、さらに“少しだけ”とか“ちょっと”なんて消極的な言葉を繰り出してしまったことにすぐ後悔した。真弓の応対は素っ気なく感じたが、彼女の自宅のマンションの一階のロビーで7時に会うことを約束してくれた。それを英里子に伝えると、満面の笑みで励ましてくれた。


「尾木!がんばって。貴方は私になんて目もくれない“イイ男”なんだから大丈夫。期待してるョ!」


******


ショッピングモールと彼女の自宅マンションは同じ地域内にあるからそう遠くはない。慎一郎は約束よりも15分も前に到着した。ロビーに掲げてある時計ぼんやりと見つめながら流れる時を過ごす。そして7時きっかりになると、エレベーターを使って真弓が現れた。


真弓の着ている服は部屋着そのものという感じで、白いフィッシャーマンズ・セーターに、ゆったりとした裾のオーバーオールのジーンズ姿。さっきの英里子のクリスマスのデート用に着飾った出で立ちとは大違いであった。真弓は開口一番、慎一郎を突っぱねてきた。


「どうしてひとりで出来ないの?」
「えっ・・・!?」
「いつもそう。前の時だって人づてだったし、今回も山形さんなんかに電話してもらって」
「・・・」


真弓は慎一郎が何をしに来たのかお見通しであった。しかし、慎一郎にとってそれはとてもじゃないが、告白するとかそういう雰囲気でないのはすぐにわかった。真弓はいま家族で食事中だと断りを入れてくる。慎一郎は頭が真っ白になっていくなかで、それでもなんとか言葉を紡ぎ出す。


「わ、わかった。でも、今日はクリスマス・・・、クリスマス・イブだから、プレゼントあんだけど、受け取ってくれる?」
「・・・」


差し出されたプレゼントを真弓は無表情で見つめる。慎一郎もそれ以上の言葉は出せなかった。閑散としたマンションのロビー、二人の間に静寂が出来る。しばしの時が過ぎ、真弓は根負けしたかのように、ため息をついて受け取ってくれた。しかし、慎一郎が安堵の表情を見せようとした次の瞬間、真弓は冷たい口調で「さよなら」と言い放ってエレベーターに乗って消えていった。


慎一郎は今日までやってきたことのすべてを後悔した。


次回「12月25日」に、つづく