来年2013年1月からファミリー劇場の「ファミ劇9 木曜セレクト」枠で、『華麗なる一族』の連続テレビドラマ版が放送される。


ファミリー劇場公式web 2013年1月番組表(PDFファイル)

http://www.fami-geki.com/timetable/201301.pdf


山崎豊子原作の『華麗なる一族』は2007年にTBSで木村拓哉主演の連続ドラマで制作されたほか、1974年~1975年に毎日放送-東宝によって山村聰主演でも作られた連続ドラマの二つが存在する。


まだ来月の番組表に番組名だけ載っている段階で詳報はないが、2007年のキムタク版はまずないだろう。そちらはTBSの局制作であったり、ジャニーズの、それもスマップのメンバー主演ものはCSなどの専門局ではいまだ解禁されていないのだから。そうすると、東宝の資本が入っているファミリー劇場だけに、1974~1975年版ということになる。


こちらは未ソフト化であり、いまだほとんどの人が知らないような幻の作品であるからして驚いている。


というわけで、今回はこの1974~1975年版の『華麗なる一族』を取り上げていきたい。


茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry


まずは『華麗なる一族』のその内容を掻い摘んで紹介しておこう。上流社会の物語で、中堅の阪神銀行を中心にした万俵コンツェルンの総帥・万俵大介、その長男で、コンツェルン内の企業にいるものの、銀行家という親の跡目は継がず、鉄鋼という我が道を行く万俵鉄平との愛憎劇である。2007年にTBSで制作された連続ドラマ版は、北大路欣也が大介を演じ、木村拓哉が鉄平を演じている。1974~1975年に毎日テレビで制作されたテレビドラマ版は、山村聰が大介を演じ、加山雄三が鉄平を演じている。


この加山雄三という人選が、なかなかツボなのである。


『華麗なる一族』出演より遡ること14年前の1960年、二枚目スター俳優・上原謙の息子という七光りで颯爽と映画デビューした加山雄三は、翌年には主演映画と歌が立て続けにヒットして一躍大スターになる。さらに時代の先端行くハイソサエティーなライフスタイルに当時の若者から憧れと支持を集めて時代の寵児となっていった。しかし、父親らとリゾートホテル経営にも乗り出すものの、あえなくそれが失敗して多額の借金を背負ってしまう。また、活動の中心だった映画の斜陽化もあって人気も急落して、1970年代に入ると不遇の時代を迎えてしまうのだった。


役柄にもそれが反映されて、慶応ボーイ特有の快活さが売りだった、まさに理想の若者像でやっていた加山は、そういった青春が終わった苦みを否応なく味わう屈折した大人の役ばかり演じるようになっていく(じつはこの頃の加山雄三の作品は結構好きで、1972年の主演映画で、ガンアクションとハードボイルド全開の『薔薇の標的』はお気に入りの作品)。


借金背負った上に、映画で食べていけない加山は当然テレビドラマにも出るようになっていく。こちらでも加山の姿が反映された青春が終わった苦みを否応なく味わう屈折した大人の役が充てられた。1974年に東京12チャンネル(現・テレビ東京)と東宝で制作された主演ドラマ『高校教師』(1974年4月-9月)などは最たるもの。タイトルから想像出来るとおり学園ドラマなんだが、かなり異色。1970年代の学園ドラマといえば明朗快活、たとえ教師や生徒が苦悩していても最後は万事解決していくのがお決まりだったのに、これほどまでに暗く、救いようがない内容のものはないだろうというものだった。作品的には、テレビ番外地だった東京12チャンネル、当時の趣向ではない学園ドラマ、落ち目の加山主演というわけで、さほど話題にならずに終わっていったが、近年では逆にそのネガティブ要素ぶりでカルト的人気を得ている。


そして、借金返済のために馬車馬のように働かなくてはいけない加山は『高校教師』の終了後すぐに同じ東宝の制作によるこの『華麗なる一族』に出演する。演じる万俵鉄平という役は、日頃から父親と折り合いが悪く、そのために自分が実質経営者として情熱を傾けている阪神特殊鋼が“伸るか反るか”というときに、父親が頭取の阪神銀行からの生命線である融資が渋られるなどして、そのせいで人生を挫折していくという当時の加山雄三に打って付けの役だった(実父の上原謙との仲はまったく悪くはなかったが)。


ご存じのように『華麗なる一族』は同時期に劇場公開の映画版も作られて、そちらでは鉄平役を仲代達矢が演じるのだが、何度観ても「なんか違うなあ」と思わずにはいられない。それは仲代達矢が名優ではあるけれど、本人のキャラクターからくる鉄平に似た貴公子然としたものがなかったのだろう。


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その点、2007年のTBSの連続ドラマ版の木村拓哉はハマっていた。1990年代から2000年代初頭に掛けてのキムタクは同世代にとっては憧れの象徴であって、そのイメージで主演ドラマが作られていった。が、この頃になるともうそのイメージではキツくなっていた頃だっただけに、『華麗なる一族』における、あれだけの恵まれた環境の貴公子なのに我を通したばかりに人生に挫折していく役は、曲がり角に来ていた彼のキャラクターが投影されたのが大きかったかと思う。キムタク本人は、万俵鉄平が人生に挫折して自殺するという最期に納得行かなかったようだが、まあこれは原作に書かれてあるんだし、作品のキモなんだからしょうがない。


そういうわけで、不遇時代の加山雄三が演じる万俵鉄平、楽しみである。


さて、1974-1975年に『華麗なる一族』が作られた背景を紹介しておこう。テレビドラマ版に先駆けること半年ほど前の1974年1月26日、『華麗なる一族』は映画版として東宝直轄の芸苑社の制作、東宝の配給で公開される。その前月の1973年12月29日には『日本沈没』が東宝の制作によって公開。この『日本沈没』も劇場版の制作と公開の後の、1974年10月から1975年3月までテレビドラマ版がTBSと東宝直轄の東宝映像の制作で放送された。同時期の劇場版公開、同じ放送期間ということもあり、二つの作品はいわば姉妹作品の関係とも取れる。


この二つの作品の作られ方に当時の映画とテレビドラマの関係を垣間見ることが出来る。1960年代に起こった映画界の斜陽と相反するテレビ界の隆盛で、客が取られた映画界は五社協定を盾にして「映画界のスタッフも役者もテレビに貸さない!」という嫌悪した姿勢だったものから、1970年代になると、それではもうどうにもならなくなって共存共栄の関係に向かっていた。その例として、制作面では映画会社の専属を解かれたスタッフや役者らがテレビドラマに大量に入ってきたり、映画会社自らがテレビドラマ制作して稼がなくてはいけない時代になっていったのだ。


編成的にも映画そのものを利用したものが用いられる。『華麗なる一族』や『日本沈没』のように、まず劇場公開の映画版が作られて、全国で一通りの劇場公開が終わった頃、その話題性が消えないうちに同じ制作元で新たに別のスタッフと別のキャストによるテレビドラマが作られていくというものだった。1970年代後半はこれがパターン化し、『八甲田山』、『人間の証明』、『野生の証明』、『犬神家の一族』を受けて古谷一行主演の金田一耕助シリーズなど話題の大作やヒット作のテレビドラマ版がいくつも作られるようになっていく。


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この後、映画とテレビはさらに親密となり、テレビ界が映画界の人材や題材など拝借する時代から、テレビ局による映画制作の隆盛の時代を迎えることになることはご承知の通り。


また、『華麗なる一族』が本放送されていた1974年10月1日から1975年3月25日の期間は、いわゆる“腸捻転”と呼ばれていたネットワーク関係の頃で、制作局である関西エリアの毎日放送にとってのキー局はNET(後のテレビ朝日)で、朝日放送にとってのキー局がTBSという関係であった。それが1975年3月末日から入れ替わるから、まさにその直前の作品であったのだ。


腸捻転解消後も弊害はいろいろあり、その一つが腸捻転以前の作品の再放送における冷遇。キー局においては民放第4位で、しかも自社制作が少なかったNETは朝日放送が制作したドラマを再放送していてむしろ利用する価値があったのだが、一方の民放の長であり、ドラマが売り物だったTBSは毎日放送が制作したドラマなんてほとんど再放送しなかったのである。1970年代後半の『TVガイド』を片っ端から引っ張り出して調べてみても、姉妹作品と括った自社が制作局になった同時期の『日本沈没』はあったけど、『華麗なる一族』の再放送はついぞ見つからなかった。