前作から5年ぶり、2001年2月10日発売の通算4枚目のソロアルバムで、全曲にわたってフレットレス・ギターを使用したのが特色である。


きっかけは、カシオペアが最初に所属したレコード会社、アルファの元スタッフが参加していたヒーリング音楽専門のレコード会社から「スムース・ジャズに通じる優しいサウンドにトライしてみないか」というアプローチに、ちょうどカシオペアでは出来ない自分なりのサウンドを作りたいと思っていた野呂が応えたもの。


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それでビートが強いカシオペアとは正反対なソフトな面を探り出した結果、主にメロウなバラード曲に使っていたフレットレス・ギターで全編通したアルバムの構想がまとまる。音像のイメージとしては、野呂が敬愛するピアニストのビル・エヴァンスとハーモニカ奏者のトゥーツ・シールマンスのコラボレーション・アルバムを参考。ハーモニカの部分をフレットレス・ギターに置き換えるカタチにした。

野呂一生 公式ブログ ISSEI NORO LIFE 2012年4月28日付け「アフィニティー」http://ameblo.jp/isseinoro-inspirits/entry-11235454730.html

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『UNDER THE SKY』で使われたフレットレス・ギター(撮影:2010年開催 CSFミーティングより)

1979年と1981年に製作された2本があり、つまりSG-IやIN-1よりも古いギターが使われた

詳細については、当ブログ記事「3本のギター」を参照

http://ameblo.jp/goro-chayamachi/entry-10918705626.html



そのフレットレス・ギターのサウンドの対となるアコースティック・ピアノには元Tスクエアのキーボーディストで、脱退後はピアノに専念していた和泉宏隆を起用。和泉の全曲参加の表明を受け、アルバム一枚通してメンバー固定したコンボ形式でのレコーディングとなった。それが同じコンボ・サウンドでもカシオペアとは違った感じを出せて、「これでライブまで行きたいな!」と野呂に開眼させる。デビューから二十年以上経って初めてソロライブをするなど、現在の活動に通じるエポックメイキングとなったアルバムである。


それまでの野呂自身でコンセプトから思い付いて制作していったソロアルバムとは反対に、他所からコンセプトの提示を受けての制作ということで企画色は強く、しかも傍らの存在とも言えたフレットレス・ギターのサウンドともあって、イレギュラー的なアルバムとも言えた。しかし、カシオペア・ファンにも馴染みが深い和泉の全曲参加ということもあって、そのサウンドは歓迎され、ファンにはすんなりと受け入れられる。野呂自身もこの路線に確信を覚え、翌年に早くも次作『LIGHT UP』制作するなど誰もが納得のいく出来映えとなった。


●LIVE ISSEI

本作と次作『LIGHT UP』をフィーチャーした野呂一生のソロライブは、“LIVE ISSEI”と名付けられ、ライブのメンバーもベースが徳永暁人から亀山アキラに変わり、ステージではピアノに専念したい和泉の希望で氏の弟子の林良がアンサンブル担当のキーボーディストで加わるなどして若干レコーディングメンバーから変更はあったものの完全再現で演奏されていった。


最初のライブは、『UNDER THE SKY』発売と同じ2001年2月に東名阪に神戸を加えた四カ所ツアーで廻った。アルバムの曲順の流れに沿って演奏し、間に過去に発表したソロアルバムからの曲を挟む進行。『UNDER THE SKY』からは全曲演奏、過去のソロ曲も初ソロアルバムのタイトル曲「SWEET SPHERE」や2枚目から「YU-NAGI」など、このライブツアーのために初めて演奏する蔵出しした曲を持ち出してくるなどたいへん気合いが入ったものであった。


あと、なんと言ってもMC(笑)。カシオペアの初代MCではあったものの、1980年にはシカイヤミノルに完全譲渡して以来はイレギュラー的にするぐらいしかなかったのが、リーダープロジェクト率いたからにはメインMCを務めることに相成った。曲を演奏することよりもはるかに緊張したとか!?、もう十年以上もやっているからさすがに近年のISSEI NORO INSPIRITSでは、だいぶこなれてきたと思ってはいたが、再びカシオペアのMCとなった先頃のCASIOPEA 3rdのお披露目では、とんでもなく緊張していたのが印象的で、思わずこのツアーの時のことを思い出してしまった。


LIVE ISSEIは最初のツアーから八ヶ月後、次作『LIGHT UP』の制作に入る前の2001年秋に二度目のツアー、「LIVE ISSEI II」を敢行。『UNDER THE SKY』の曲をフィーチャーしつつ、最初のライブツアーでは演奏されなかった過去のソロ曲や、後の『LIGHT UP』に入れた当時未発表の新曲「FACE TO THE LIGHT」繰り出して変化付けるなど意欲的なプロジェクトとなっていった。


その後、LIVE ISSEIはカシオペア活動休止の前年の2005年に行われた「LIVE ISSEI V」(つまり5回目)で終了してしまったが、現在のISSEI NORO INSPIRITSでも、ほぼ同じアレンジでアルバムの中から「NIGHT SURROUND」が披露されている。また、渡辺香津美とのセッションや櫻井哲夫とのペガサスでは、「SOFTLY」がアコースティックギター・バージョンにアレンジされて披露されている。

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●幻の『UNDER THE SKY』

本作『UNDER THE SKY』(2001年発表)と前作である三枚目のソロアルバム『TOP SECRET』(1996年発表)の間のカシオペアのトピックといえば、ドラムスの熊谷徳明の脱退→神保彰のサポート復帰が行われたことだ。90年代後半以降、不景気ゆえにジャズフェスのあいつぐ消滅やイベントライブの減少によりライブの本数が激減していったのに加えて、復帰した神保彰は現在の活動のメインとなっているワンマン・オーケストラや他の参加プロジェクトも抱えていたので、これ以降のカシオペアのライブ活動やレコーディング活動は、毎年いくつかの期間を作ったなかで行われるような形態となる。


向谷実は現在の鉄道事業の発祥であるトレイン・シミュレーターの制作を積み重ね、鳴瀬はカシオペアと同じフュージョンのフィールドで活動する野獣王国の一員として、そして2000年に行われた自身の活動30周年を機に復活の「うるさくてゴメンねBAND」からURUGOMEと改称したロック・プロジェクト立ち上げるなど拍車が掛かった。野呂もまた斉藤ノブや故・青木智仁のライブ・セッションでツアーに出掛けるなど、各自のソロの活動の比率が増えていった。


御本人から伺った話で、『UNDER THE SKY』の構想段階では、和泉の表明がきっかけとなったアルバム全体通してひとつのコンボで演奏するのではなく、複数のコンボを作ってレコーディングしていくものであった。その中の一つが、上述の青木智仁とひんぱんに重ねていたセッションを元にした、青木智仁(b)、小林信吾(Piano&Key)、沼沢尚(Ds)という組み合わせ。結局これは幻となってしまったが、和泉らとのユニットとはまた違った魅力があったはず。


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当ブログ記事 「青木智仁さんの思い出」

http://ameblo.jp/goro-chayamachi/entry-10920682967.html



2006年、青木は突然亡くなってしまう。野呂と青木智仁の共演は、本田雅人の『REAL FUSION』(2000年)と青木の二枚目のソロアルバム『EXPERIENCE』(2000年)のそれぞれ一曲だけしか記録として残っていない。あとはカシオペアが主催した2000年と2001年のPAL MUSICで青木がサポート参加していたDIMENSIONとの共演映像ぐらいか。野呂のソロ曲を弾いたものとか、上述のライブセッションの映像なり音源が残っていないのが残念である。

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