その3になるというのに、まだ本題に突入していないのがじつに申し訳ない。この「水曜ロードショー」と後継にあたる「金曜ロードショー」枠のテレフィーチャー作品については書きたいことは山ほどあって、とくに1985年3月放送の菊地桃子主演『卒業 -Graduation-』なんていろいろ語りたいところだけど、そうしていたらいつまで経っても『大江戸神仙伝』に辿り着けないので、またそのうちに。


それでは、いよいよ『大江戸神仙伝』について。


原作は1979年に書かれた同名の創作小説で、1983年に文庫版が出されたおり、著者・石川英輔の後書きによると、だいぶ時代考証において書き直しがなされたという。この石川による原作は、まさにリアルに江戸時代を描写していくことに腐心しており、だからからかその分、物語の展開に、とくに後半は抑揚というか、カタルシスがない作品となっている。


一方でテレフィーチャーとなったこのドラマ版は、岩間芳樹による脚本が功を奏している。原作の良い部分を随所に汲み取りながら、後半は独自の展開となって、現代人が江戸時代と現代をタイムスリップで行き来する、まさに時代を股に掛けたドラマチックな冒険活劇に仕上げた。


原作とドラマ版の違いは、製薬会社の研究員だった主人公・速見洋介が江戸時代には存在しない脚気(かっけ)の特効薬、ビタミンB1を江戸時代の有り物で作ってしまったところから分かれていく。


原作のほうは、江戸ではそれを売って大金が入るようになり、大店の旦那みたいな裕福な生活するようになっていき、以後の速見はその“錬金術”が目立たないようにしてコソコソと稼ぎつつ、江戸時代の生活を気の合った仲間たちと謳歌するだけではあったが、ドラマ版では評判の良薬ということで市中で話題になって、それが江戸城内にも知れ渡り、幕府の要職であり、歴史上の人物でもある高橋作左衛門にも覚えられたことで、思いがけずも歴史の渦中に投げ込まれてしまったのだ。


主人公がタイムスリップした文政11年(1828年)当時の江戸は、まだ黒船来航の嘉永6年(1853年)までちょうど四半世紀の25年あったものの、異国との情勢に関しては既にかなりピリピリとした雰囲気を劇中に醸し出している。


その当時の高橋作左衛門は、書物奉行 兼 天文方筆頭という地位にあり、これは劇中の速見洋介の言葉をそのまま借りれば「文部大臣 兼 科学技術庁長官」(筆者 註:1985年当時は文部科学省はなく、文部省と科学技術庁のふたつにまだ分離していて、後に合併した)。元々天文学者であったから先進的な考えの持ち主だったし、何よりも異国文化にも寛容だった人物だったと言われている。


だから、高橋作左衛門は疎まれる存在であり、歴史の事実として、オランダに帰国するシーボルトに日本地図を渡してしまったばっかりに、幕府に不義者として捕らえられてしまった。理由は、鎖国政策のなか、異国に向けては港や海岸、そして街道など記された日本地図はいわばトップシークレットのような存在だったから、これがあれば密入国から大量船団を江戸に一番近い場所に寄せることまで簡単にできてしまう。そして、捕らえられた高橋作左衛門は獄死という無残な最期を迎える。


速見洋介はシーボルト事件直前のまだ権威が全盛にあった高橋作左衛門に会った後、一旦現代に戻されてしまう。そして、高橋作左衛門のことが気になり、調べてみると前述のシーボルト事件や非業の死を知る。が、それは160年前の歴史であり、たった一度しか会ったことのない人物だけに同情すら沸かなかった。しかし、再び江戸にタイムスリップしてしまった速見を待っていたのは、自分の作り出したビタミンB1が悪漢たちの手によって大量製造される計画が遂行中で、本来淘汰されていくはずの江戸の人口が減らないという歴史に狂いそうになっていたり、また高橋作左衛門が自分を陥れた悪漢にシーボルト事件の前に暗殺されるという計画知るにつけ、歴史を守ろうとすることで悪漢やっつけようと奮起する。


『大江戸神仙伝』をパクった『JIN -仁-』では、主人公の医師が坂本龍馬と出会い、龍馬の人間性や思想に共感して歴史変えようとするのを能動的に手伝ったり、貧困だった江戸の医学を歴史に逆らってでも先進的なものに改革していこうという展開なのだが、これでは無限に飛躍するだけで話の落としどころがない。


一方でドラマ版のこの『大江戸神仙伝』では、訳も解らずに場当たり的に動いた結果、自分が起こした行為で受動的に歴史が狂いそうになっていくのを、どうやって元に戻そうとするのかが面白い。


というのは、脚気の特効薬、ビタミンB1を作るに至った経緯というのは、着の身着のまま江戸にタイムスリップしてきた速見を助けて、さらに居候までさせている医師・北山涼哲が、彼の幼なじみが患った当時の江戸では不治の病である脚気が治らずに悩んでいたのを、傍らで見ていた速見が哀れんでのこと。それで涼哲に対する日頃の御礼として、ビタミンB1抽出など化学屋として朝飯前のような作業だから軽く引き受けてしまったのだ。


過去へのタイムスリップものの醍醐味は、いかにその時代の実際の歴史に触れたり、そして自分が関わったことで歴史が変わっていってしまう危うさに右往左往する描写にあるのだが、もうひとつ、自分が関わったことで変わった(または変わっていこうとする)歴史をなるだけ元に戻そうとするのかもある。


『大江戸神仙伝』の原作版では、それを少しだけハミ出しながらも、なんとか繕っていこうという考えで書かれてある。ドラマ版では前述の通り、主人公が悪漢に陥れられて反撃する作戦として、史実としての歴史が大きく変貌しようとするのを、自分の特殊能力(タイムスリップ)と現代の科学技術(江戸でその日の京都での暗殺計画を知り、現代に戻って新幹線で京都に駆けつける)で、その日の高橋作左衛門救って歴史を元に戻す。そして、あれだけスーパーマンのように活躍し、江戸での生活を謳歌していた速見洋介は、それとは反対のしがない日々の現代に留まって、もう二度と江戸時代にタイムスリップしない。


その結果、神仙様・速見洋介がいなくなった江戸ではビタミンB1は以後作ろうしても作られず、高橋作左衛門は史実通りの最期を迎えて、歴史は変わらずに安泰となっていく。しかし、速見洋介が江戸では神仙様として、脚気薬作りや悪漢退治をして活躍したことは、北山涼哲によって“大江戸神仙伝”として御伽草子のような本に記される。それが160年後、いまもって速見が江戸に行ったことなんて信じなかった現代の恋人、尾形流子がたまたま通った江戸時代の文献扱う古書店にひっそりとあったのを見つける。それで速見の空想話と思っていた逸話をようやく信じるが、現代にいる当の速見は江戸のスーパーマン、神仙様とはほど遠い存在だったギャップに微笑み浮かべる。


タイムスリップものの醍醐味にさらにひとつ加えるのならば、収拾を付けてもやはり何か歴史変えてしまっていて、しかしこぼした程度でたいしたことなく、それでいてオチが効いてるのがイイ。