今年7月にフィンランドを旅行しました。そこで日本との大きな違いを二つ感じました。
①一つは、公共交通機関でスマホを見ている人がほとんどいないこと。
②もう一つは、車いすの身体障害者がどこにでもいることです。
②については、フィンランドでは障害のある人がいることを特別視しない文化があると感じました。
つまり、「障害がある=特別な存在」ではなく、「人それぞれ違って当たり前」という前提が社会に根づいているのです。
日本では、車いすの人を見かけると「助けなきゃ」「邪魔かも」と、良い意味でも悪い意味でも“特別な存在”として意識してしまいます。
それに対してフィンランドでは、周囲がそうした意識を持たないため、障害のある人自身も遠慮せずに自然体で生活できているように感じました。
この「違いをそのまま受け入れる」姿勢は、公共交通機関でのスマホ利用の少なさにもつながっているように思います。
フィンランドの人々は、電車やバスの中で、静かに外の景色を眺めたり、家族や友人と穏やかに会話を楽しんだりしています。
誰もが自分の時間をどのように過ごすかを自由に選び、他人と違っていても気にしません。
つまり、「今この場で自分がどう感じたいか」「自分らしく時間を過ごしたい」という“個人の選択”を尊重する文化があるのです。
一方、日本では多くの人がスマホを見ています。
移動中もSNSを見たり、メールやLINEを返信したり、常に何かをしていないと落ち着かないように見えます。
その背景には、「みんながスマホを見ているから、自分もそうしておこう」という無意識の同調圧力があるのかもしれません。
効率や生産性を重視する考えが広がり、「同じ行動を取ること」が安心感につながっているように思われます。
つまり、 フィンランドでは「それぞれが違っていていい」という価値観が、障害者への自然なまなざしや、スマホを見ずに過ごす人々の姿勢に表れ、 日本では「みんな同じであることが安心」という価値観が、障害者への視線や、公共の場で同じようにスマホを見る行動に現れている、 といえるのではないでしょうか。
フィンランドの人々が「違いを尊重する文化」に生き、日本の人々が「同調を求める文化」の中で生きている――。
その対比を、車いすの人々の自然な存在と、公共交通機関でのスマホ利用の有無が象徴しているように思いました。
この違いの背景には、教育のあり方が関係していると考えています。
日本の教育では、全国で同じ内容を同じように教えることを重視したカリキュラムが組まれています。
一方、フィンランドの教育では、全国共通の学習目標はあるものの、子どもの個性や理解度に応じて、教師が柔軟に指導方法を工夫できる仕組みになっています。
下の図に示すように、日本の教育は「平等(みんなに同じ支援)」の考え方に基づく傾向が強く、 フィンランドの教育は「公平(それぞれに必要な支援を与える)」の考え方に近いと言えるでしょう。
この教育の違いが、 日本人の「みんな同じがいい」という同調的な価値観と、 フィンランドの「みんなちがって、みんないい」という多様性を尊重する価値観を育んでいるのだと思います。
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