因と縁
 
    因無くして    果無きを知り

    因有りて    縁無ければ    果に至らず

    縁有りて    機無ければ    果を得ず

    読んで字の如くですが、前世に於いて原因を作らなければ今世・来世に何も起こりません。原因が無いから当然結果がない。
    原因が有っても原因の相手が今世・来世に於いて同じ時に存在していなければ、何も起こりません。
    原因の相手が同じ時に存在していても、出会うことが無ければ何も起こりません。
    
    自分の持っている因縁が、全て今世で現れることは無いのです。条件が満ちたときに現れて、良い因縁であるなら花が咲き幸せになり、悪い因縁ならば悲惨な事になりかねません。悪い因縁を切ることは、よほど耐え忍ばなければならないようです。大神様を御祈りさせて頂くことで、遥かに易しく解決してくださり、悪い因縁を切ってくださいます。人間は、前世で行ってきた事を殆んど認識出来ません。しかし、人それぞれに必ず因縁や業があります。肉体とは関係ないと思われますが、肉体に入っている霊体に記録されていて、それが肉体に反映されるのです。肉体としては、この世での人生を幸せに過ごせれば喜ばしいのですが、肉体と霊体が合わさって人間なので、どうしようもありません。
    因果応報と云う言葉が有ります。仏教用語に出てきます。善い行いをすれば、善い結果が得られ、悪い行いは悪い結果をもたらす。前世に於いて人の為になる事や、人を救う事などの善行をした事に依り、この世に生を受けた時に、人が羨む様な環境の所に生まれたりします。前世で善行をしてきた結果として、大神様がお認め下さり、善い環境の所に生まれさせて下さるのです。しかし、前世に於いて他の人に対してさげすみぞんざいに扱ったり、人を騙したり人から物を奪ったり人を殺したり、権力を傘に人を苦しめたりして、悪行をして来た者には、この世で悪行を清算するのにも、人から見ても悲惨な生き方をしなければならず、そこから這い上がろうとしても、中々上手くいかず、恨み恨まれている相手に出会い、互いに骨肉の争いをして、犯した罪を償わなければならないどころか、雪だるまのように罪を上乗せするような羽目になって、もがき苦しんで生きて行くことになるのです。罪深いゆえに地獄行きになり、人間に生まれる事が出来なくなり、暗く寂しくジメジメした所に行かなければならない事もあのです。今世で得られた財力や権力を、奢らず人の為になる事をすれば、尚一層幸せが訪れ善が善を生む事になります。神様もお助け下さるでしょう。逆に、得られた財力や権力を、己の為に豪華な生き方をしたり、奢り傲慢に生きて、挙げ句の果てに自分のペットまでも豪華な扱いしているセレブな人達が居るようです。世界中を観れば、その日の食料を手に入れる事が困難な人達が居るにもかかわらずに。普通の日本人一人分は、困窮している人々の50人分に相当すると云う事です。神様は、全てご存知でいらして、公正に善い悪いを判断されて、神の子の霊体と云えども容赦なくお裁きになられます。前世の行いが今世に反映され、今世の行いが来世に反映されるのです。今世の肉体にとって、幸せや不幸が前世の反映とだと認識出来ず、今世の行いが来世に反映される事などほとんど考えません。霊肉不一致がもたらした、大きな歪みが生じています。
    人は些細なことで、争い事になる事があります。自分と相手が居て、そこに目に見えない因縁が有ります。もし、自分が居なければ相手と争うことになりません。言い分が正しいか正しくないと云う事とは別に、因縁に依って出会ってしまった事が引き起こす事で、双方の出方次第で善くもなれば悪くもなります。正に時が満ちたのです。悪因縁を切ることが出来るチャンスです。些細な事から命を取り合う事になることもあります。些細な時に解決出来ればしめたものです。問題が起きた時いつも考えます。自分の業故に起きたことであり、その業を切るために、神様がなさって下さっていると思えるので、悪い因縁を切るために、非が有る無いにかかわらず、相手の気持ちを納めてもらうために謝罪します。悪い因縁を切れる様に、余計な因縁を作らないようにしてくださって起きたと思えます。神様を信じている中で起きた事なのですから。感謝しかありません。
                                                                           合掌
    大神様とお祈り下されば幸いです
    此処に訪れて下さって有り難うございます