前回の記事、ずーっと書きたかったのに、なかなか本腰入れて書く気になれなかった。

夏休みに向けて、新規のお客さんからの連絡が増えたことや、大柄な彼が居なくなったことでご飯の心配することもなく自由な時間が増えたので、チラシ作って配ったり、写真の整理せんとなーと思ってそっち頑張ったり、仕事のお客さんらにお願いしないといけないことがあり、そのお願いの仕方で誤解されてたり(言い方悪い私のせい。ちなみにまだ解決できてない。というか考えまとまっていない段階でルールを一方的に作ってしまった私の傲慢さのせい)あるお客さんからすっごいなんか圧あるメールが届いて、そっちの対処と決断迫られていたり、うーん、要はお金払って学んでください~みたいな内容、それが私のためになる~みたいな内容で、なんかそのお客さん、他にも色んな場面で圧が凄くて、すっごい気を使うんだけど、悪気なくて、根は良い人だから、邪険にできなくて、私も良い顔がしたくて・・・嫌われたくない?というのかな。そこに長男の不登校問題(今は落ち着いている)と、実は学校の宿題適当にやってたせいか、漢字がすっごい出来てないってことに気づいて、家庭内でやっていた算数以外、からっきし出来てないってことに気づいた。そして今まで子供の勉強は土日の自分の空いてる時間しかしてこなかった夫が、長男の悪い点を見てさすがにヤバイと思ったのか、私に毎日長男の漢字ドリルからテストを1ページするよう言われた。元家庭教師(夫曰く受け持った生徒の成績を全て上げた)夫が本腰を入れたのだ。

 

まず、知らなかったのだけど、学校の宿題や、持ち物というものは親が管理するもの、ということ。

私は親に勉強教えてもらったことないし、持ち物を確認されたこともない。忘れたら自分が困り(困った記憶もないので、適当にのらりくらりと過ごしていたのだろうと推測する)勉強を本格的に始めたのは中学生1年生の中間テストからだった。中学になって分からない問題があったら賢い友人に聞いて教えてもらっていた。そのことを夫に言ったら、「だからそうなったんだ」って言われた。ん?現私の全否定ですか?

ハッピー子育て、という本にはこう書いてあったぞ。

子供の宿題等は関与しない。もし子供が忘れたら先生に怒ってもらいましょう、って。

 

今思えば私の親は自営に追われ放任主義だった。あの時はそれが普通で、文句なんて発想すらなかった。

両親は自営で共働きで、遊んでもらった記憶と言えば小3の時に水曜休みだった母が突然「テニスを一緒にしよう!」と言って公園でしたこと。それが水曜だけ2、3回続いてその後はない。でも、楽しかった、と嬉しかった、という気持ちだけが今でも残っている。母が大好きだった。

土日は朝昼晩とカップラーメンで親は居ない。いい加減飽きた日曜の夜に、母に「私は土日ずっと朝昼晩カップラーメンだったんだよ!」って言ったら「朝もカップラーメン♪昼もカップラーメン♪夜もカップラーメン♪」って笑って歌われた。あー、この人に何を訴えてもダメなんだって子供ながらに思ったんだ。大人になって知った。その歌は「今日もコロッケ♪明日もコロッケ♪」っていうコロッケの歌の替え歌を母が作ったものだってことに。

 

どうしておにぎりを作っておいてくれなかったんだろう?

それで良かったのに。

母親になった今となっては、そう思うってしまう。

 

父が食べる夕飯は品揃えが良く、美味しい食べ物が並んだ。父が私に「食べるか?」と少しくれるのだが、美味しかった。父は私が美味しそうに食べるのを満足そうに喜んだ。

母にとって子供は、おまけだったのだろうか?今でも兄や夫が居る時に食べる母の手作りの夕飯と私と息子らだけがいる母の手作り夕飯とでは凄い差がある。大人の男には良い食べ物を、と思ってるのかもしれない。

 

小学生の頃、私はいつもお腹が空いていた。お腹が空いたら、お客さん用(雀荘やっていた)のカップラーメンやインスタントラーメン、お菓子を食べていた。今思えば、なんて食生活だったんだろう。かわいそうに。って思う。小学校3年か4年の時に、友達の家に遊びに行き一緒に夕飯を食べる機会があり、友達のお母さんに炒り卵の作り方を教えてもらった。「そんなこともできないの?教えてもらってないの?」って言われた。野菜の切り方とかもその時教えてもらったんだ。それからはカップラーメンやインスタントラーメンに加え、炒り卵を自分で作って食べれるようになった。でも味付けはマヨネーズと塩コショウ、体に悪かっただろうな。

 

またうちの家族はご飯を食べる時は常にテレビがついており、話す機会はない。でも、食べる時はテレビをつけない家族の家で食事をした際、皆がなんやかやと喋っているのが「こういう家族もあるんだな」って思ったのだった。

 

他にも友人の家に行ったり泊まったりすることもあり、そこで衝撃だったのは、友人と友人姉妹、そして両親でカードゲームをすることだった。私の家では親と子供が遊ぶことなんてなかった。家族の中で一番遊んでくれたのは、年の離れた長兄だった。でも長兄は大分と年が離れていたので、ほとんど家にはいなかった。

幼稚園の時、私は毎日のように家で人形遊びをしていた。仕事の電話を終えた母が「五輪は一人遊びが上手ね~」と満足そうに言った。私が一人で遊ぶことは母にとって良いことなんだな~って思った。

 

母親になって、私は子供とどうやって接すればよいのか、遊べばよいのか、分からなかった。母になって気づいたのだけど、私は砂場遊びを親としたことがない。公園遊びもしたことがない。家で親と遊んだ記憶がない。だから高額の家庭保育園にお金を出したのだ。高かったけど良かった。子育ての仕方を教えてもらった。そして子供の可能性とそれを潰すも広げるも親次第ってことも教えてもらった。

 

私は子供二人を育てている。

私が小さい頃親にされていた常識は常識ではないと思っていたが、宿題や学校の勉強に親は関与するのが普通らしい。

そうなの?それが普通なの?

 

ちなみに私の次兄、もっと酷い赤ん坊時代だった。

首輪をつけられ、紐で縛られ、行動範囲を狭められ、その間に両親は働きに出ていたらしい。

その話を実母から数年前に聞いて、「最低やな」って言った。「今では虐待だね。でも、そうするしかなかった」と言っていた。

仕事場に連れて行ったら、行方不明になり高速道路をハイハイしていたらしい。それからは首輪に紐。もっと他に方法はなかったのだろうか・・・

 

長兄は祖母は見てくれたが、次兄はヤンチャすぎて祖母が途中で「見れない」と言ったらしい。

長兄は虫が好きで、今は魚釣りが好きで、子供が好きな人だ。ただ最近、え?今怒るとこ?ってとこでぷっつんしてるように思う。ワクチンのせいか?奥さんに逃げられなきゃいいが。

次兄は、高校あたりからヤンキーになって中退している。中学からすでに、ヤンキーの毛だった。父が癌になって死んだ後、写真整理の中出てきた次兄の高校時代だろうと思われる写真はヤンキー姿で、シンナーらしき袋を仲間と吸っていた。おいおい、そんなアルバムを親のアルバムの中になぜ入っているんだ・・・と次兄の神経を疑ったものだ。

 

公園で当時飼っていた犬と遊んでいると知らない男子中学生が私に意地悪な感じだった。するともう一人の中学生が「その子、〇〇君の妹や!」と言い出し、意地悪な人は「ごめんごめん。〇〇君に言わないで?」と言った。

また、中学の時、ヤンキーで私に冷たい意地悪な同級生の女(幼稚園の時から性格悪い女。小学生は別だったが、中学になって同じに。変わらず性格悪い女だった)が急に下手に出て仲良くしようとしてきた。「〇〇君の妹なんだって~?」とヘラヘラと下手に出てきた。その変貌ぶり、気持ち悪かった。

私の知らないところで、兄の存在だけが動いている感じがした。

その次兄、人に雇われるのが嫌だと会社を作り、今ではそこそこ成功している。

が、×1なのだが、2人目の奥さんにも愛想を尽かされている。物凄い男尊女卑思考なくせに、立派な大人になりそれを隠そうとしているのだろうが、そういうのは滲み出ている故に、奥さんも愛想を尽かしてしまうのだろうと推測している。