カルピスの箱 | 城山魂

カルピスの箱

 先日、幼稚園に行くとゴミ捨て場にカルピスのダンボール箱があった。箱の中をのぞくと、そこには一羽のハトが・・・。ジーッとハトを見つめるが、動かない。死んでいた。

職員に聞くと、前日に血を流しながら幼稚園の駐輪場に飛来したハトを職員が保護し、介護をしていたというのだ。しかし、介護もむなしく今朝方、息を引きとったという。

園庭の隅にお墓を掘っていると園児たちが集まってきて、興味深そうに私の姿を見ていた。深く掘った穴にハトを入れ、上から土をかけて行くと、園児からは「かわいそう」という悲鳴に近い声が・・・。土をかけてる自分だって辛いよ、と思いながら、作業を進める。すると、一人の女の子がこんな事を言った。

「本当に良かったね・・・」

皆、唖然とした。しかし、その女の子は続けた「このハトさんは何とか幼稚園まで飛んでくることが出来たから、こうやって皆にお墓に入れてもらうことが出来たんだ。きっと、世界には道路やビルの上で、静かに死んでいっちゃうハトさんが沢山いる。このハトさんは最後の力を振り絞って幼稚園に飛んできたんだよ。これで安心して天国に行ける。本当に良かった。」理由は分らないが、私は涙が出そうになった。

 その日、私の頭から彼女の言葉が離れることはなかった。私はしきりに考えた、彼女の言葉が私に何かを思い出させてくれていたことは確かだったからである。そして、私は彼女の言葉が思い出させてくれた二つの教えに辿り着いた。

一つは「陽転思考である」ということ。これだけ物心共に満たされた世の中になると、感謝することを忘れ、現状の中で、何が恵まれていることがを見失いがちである。その中で、死という局面においても彼女が、ハトの一生に幸せを見つけることが出来たことに感激したのである。

 二つ目は彼女が、そのハトの生前を想像しながらハトと接していたということである。私と多くの園児は一連の状況を、死を迎えた不幸なハトが土に埋もれてゆく姿にあわれみを感じていた。しかし、彼女の場合は違った。怪我を負いながら、一心不乱に幼稚園を目指し飛び続け、暖かい視線に包まれながら幸せな最期を迎えたハトの姿を見ていたのである。

例えば、こんな例で考えてみてはどうだろうか?幼稚園入園を希望する親子が幼稚園見学に訪れたとする。そこで、我々は園の魅力を感じてほしいと、一生懸命に説明をする。しかし、これでは本当にその親子を思っての行動とは言えない。単なる宣伝活動である。きっと、彼女だったらこう考える。

入園を希望してから、しばらくの間、ホームページや児童館などで懸命に情報を集めるた親子だが、いざ見学に行こうと思うとなかなか勇気が振り絞れず、見学予約の電話が出来ない。しかし、ある時、勇気を振り絞って電話をかけて、やっと見学に来ることを言い出すことが出来た。そして、その親子は期待を胸に、明るい幼稚園生活を想像し、幼稚園生活をスタートしようとしている。

勝手な想像といわれてしまうかも知れないが、もし、ここまで相手を思いやれたとしたら、きっとかける言葉も変わってくるのではないか?

E-mail・携帯電話。私が知る過去10年においても、人と連絡をとる方法は本当に簡易になった。しかし、あなたには、その人の過去と未来を創造しながら話ができる人が、何人いるだろうか?

私は経営者として本当に大切なことを忘れていた。その人の過去を共に振り返り、一緒に明るい未来を目指す姿勢を。きっと当園に来る園児たちも、眠い目をこすりながら布団を出て、夢や希望を胸に幼稚園に登園してくるに違いない。当園で働く職員たちも同じく、希望や夢を胸に幼稚園就職を決めたことだろう。私は彼らの夢を預かっている。本当に幸せなことではないか。

そんな私が相手の過去や未来を思いやれないでどうする!まずは、相手の話をじっくりきける強い人間になりたい。カルピスの箱は私に多くを気付かせてくれた。