私は、今まで、芸人おぎやはぎについて考えたことはなかった。彼らはホームランバッターではないからだ。いつもコンスタントにヒット、いや、正確にバントすると言った芸風だろうか。ただ、森山良子の娘と結婚して、森山家を巻き込む小木の話はいつも面白いと思っている。
今日は、所用で外出した際に、車中で「バイキング」を観る機会があった。
番組では、今、出家騒動で話題の清水富美加が出版した暴露本で、自身の不倫をほのめかす記述をしたことにより、相手の男性、ロックバンしド「KANA-BOON」の飯田氏が謝罪文を出す事態になったことに、芸能人、弁護士、文春記者、芸能記者など総出で議論していた。そして、MCの坂上忍の耳障りなほどに大きな声で煽られ、議論は白熱していた。
そんな中で車中、一人で大笑いしたネタが2つあった。
一つ目は、既に終わったとは言え、KANA-BOONの飯田氏(メシダと読むらしい)は、謹慎すべきかという議論の中で、「弁護士という立場を抜きに、個人的には謹慎すべきだと思いますか?」と出演弁護士(名前は忘れた)に問うた時、彼が脱力感を伴って、「どっちでもいい」と答えたことだった。視聴者の声を脱力しながら代弁した事に笑った。
二つ目は、おぎやはぎの小木が、「こんなこというとまた批判されるけど、敢えていうね。美子ちゃん、もう許してやってよ。出家したんだから、こっちの世界のことはもういいじゃん。美子ちゃ~~ん、お願い。美子ちゃ~~~ん」と言ったことだった。美子ちゃんとは、ご存じだと思うが、清水富美加の出家した後の名前、千眼美子(せんげんよしこ)だ。私は、車中で大笑いした。
小木のゲス目線は、おそらく後天的ではなく、先天的なものだと思う。昔からゲス目線は確立していた。それ故に、おぎやはぎはメジャーになれない。そして、彼らもそんな野心も持ち合わせてはいない。小木の発言は、本来は、出家という神聖なもの、笑ってはいけないものを茶化している悪い奴のものだ。しかし、どうしたことか、バイキングの中における小木のこの発言は、一種の清涼感さえ感じた。それはきっと、清水富美加とは関わりない赤の他人が、鬼の首でも取ったように喧々諤々と論じている無駄な議論に対して、小木のゲス発言が冷水をかけ、スタジオと視聴者の感覚におけるバランスを取ったからではないか。
正義原理主義の日本全国総批評家になりつつある現在、小木の存在は絶対必要だ。時に行き過ぎて炎上することも多い小木。以前、ベッキーの不倫相手の川谷絵音のことをブサイクだと言って非難されたらしい。でも川谷は、ヒット曲連発とアーティスティックという言葉によってカッコイイバブルで評価が上がったに過ぎない。川谷が百人で挑んでも草刈正雄には敵わない。
小木の毒が毒として機能してこそ、健全な社会だ。小木の毒が清涼剤の役割を担ってはいけない。