便利な言葉
↑えすぎ氏からいただいた、「えすぎ会公式年賀状」です。
皆様には、今年も我々の悪ふざけにおつき合いいただければ幸いです。
私の周りにいる心優しい友人達の指摘で判明したことが一つ。
私はここ数年来、「しねばいいのに」が口癖だったのですが、どうやら、最近は、「しねコノヤロー」を無意識に連発しているようなのです。
まるで、パブロフの犬レベルで。
毒素を含んだヨダレダラダラですよ。
年齢を重ねると、どうも思ったことをそのまま口に出してしまう現象が多くなります。
困ったものです。
しかし、私が死ねコノヤロー、と言う対象は、みんなも死ねコノヤロー、と思っている傾向があるようなので、周りからは、わりと暖かい目で見守られているのも確かなようです。
ラブ&ピース。みんな、ありがとう。
世界は美しい。
話は変わりますが、世の中には、便利な言葉があります。
「体罰」なんか、そうです。
学校の中だろうが外だろうが、教師だろうがチンピラだろうが、人が人を叩いたり蹴ったりしたら、「暴行事件」ですので、「暴行罪」に問われるべきです。
法治国家ですから。
「暴行事件」を「体罰」と呼ぶのは、「怠け者の穀潰し」を「ニート」と呼ぶような、牧歌的な風潮とは違う。
言葉間違えちゃダメ。
言葉間違えると大変なことになるから。
そこんとこよろしく。
これはもう、手垢のついたネタなので、今更、言うのはなんなんですが、世の中には、「体罰は、愛あるがゆえの行為だ」式のロジックを持つ人間が少なからず存在するようで、これもこれで、たいしたものですね。(いや、実際にどう言っているのかどうかはわからんけどさ。ただ、こういう考え方は、20世紀の頃からある)
「体罰は、愛があるゆえの行為だ」というのは、ストーカーのことを、「片思いからくる、純情行為」などと、言っているようなものだ。
だいたい、「愛があるから」を添付しておけば良い、ということなら、なんでもありだ。
俺なんか、愛のローリングソバットや、愛のヘッドロックを仕掛けたい場面が、年に幾度となくある。
でも、我慢するのだよ、人間というのは。
それをしてしまうと、色々と効率が悪いし、こちらが被害者になる場合も受け入れることになるからだ。
そこのところがわからない奴には、愛を込めて、しねコノヤローと言いたい。
