私が怖いこと
私が怖い存在、それは、何を言っているのかわからない人、こっちの言うことを、どんなにわかりやすく伝えても、支離滅裂で観点の違うことを返してきたりする人達です。(その人の文章力や表現力の無さも含めて)
議論のできない人も怖いです。
私は、5歳くらいのときに、オレって、超頭悪いな、ということを確信しまして、現在に至るまで、ほとんど教養を身につけずに生きてきてしまいました。
でも、そうは言っても、人里離れた山奥で壺を焼いて生きる、みたいな生活ができるわけではないので、現代社会で他者と生きていかなければなりませんから、自分自身の考えを相手に伝える、という重要な事項、コミニケーションに関しては、頭が悪いなりに、知恵を振り絞って、全力でやっています。
文章については、特に、誤解が生じやすいので、誤字(意味が違ってしまったり、意味がわからなくなる場合がありますから)がないように気をつけたり、上手くまとまらない場合は、箇条書きでもいいから、と、端的に相手に伝えるようにしていまして、このブログでも、お見苦しい文が多いとは思いますが、なるべく、具体的に書くようにしています。
誰かの文章を読むときでも、自身の読解力を高めるために、一生懸命、繰り返して読むようにしています。
何か、わからなかったことがあったら、行間に何かしらの意味があるのではないか、と推測してみたり、あえて、真意を隠すというか、含みを持たせているのかな、と考えてみたりします。
どうしても、わからない場合は、率直に聞いてみます。
例えば、誰かのブログに書かれた文章の内容がわからなかったら、(コメント欄が公開されていたら)コメントで自身の意見を書いたり、疑問を呈したりします。
面倒くさい奴ですが。
先日も、どうしても意味がわからない文章が、あるブログで公開されていたので、コメントを書いてみました。
私の後輩のブログなんですが。そう、あの、人気ブログです。
どうやら、私の考えを真っ向から否定されているような内容だ、ということだけは、わかったので、私自身の意見を書いてみたのですが、結局、返信されたコメントの内容も意味は不明でした。
というか、解読不可能。
私は、昔、学生時代、脳神経内科の授業を受けたことがあるのですが、講師の話と教科書の内容が、1mmも理解できなかった経験がありましたし、「マルホランドドライブ」という映画を見た時も、「おーい!はに丸くん」状態でした。
はにゃー?これ、にゃーに?的な。
今回は、それ以上の衝撃でした。まったく、わけわからん。
しかも、「ここ(コメント欄で)で、リュースケさんと言い争うつもりはありません」的なことも書かれたので、私の悲しみは、遥か海底2万海里まで達しました。
議論や批評や批判(公開している文章なんだから、必ず、ついて回ることだ)をしている時に、
「人はそれぞれ、考え方が違うから」
「ここで、議論をするつもりはありません」
「あなたがそう思うなら、それで、いいんじゃないですか?」
といった類の言葉を使うのは、将棋の対局中に、将棋盤をひっくり返すのと一緒だ。
いや、当て逃げと一緒かもしれない。
いや、核兵器だ。
そもそも、それを言っちゃあ、お終いでしょう、という類のものだ。
実を言うと、私がコメントを送ったブログの持ち主である後輩と論戦をしたとしたら、悪魔将軍(この場合、私のことだ)とカレクックぐらいの実力差があると思ったので、適度にプロレスをしながら、彼の言葉の真意を確かめようと思ったのですが、コメント欄を承認制にされ、挙句の果てに、記事そのものも、削除されてしまいました。
私は、恐怖に震えました。
言っていることの意味がさっぱりわからない人、議論ができない人は、私にとって、恐怖の対象です。
なんだか、これからも生きていく上で、こういう怖さを経験したりするのかな、と思ったら、ラーメンが食べたくなってきた。
どっか、店開いてるかな?やれやれ。