お受験
自分のある知り合いの方は、某ボクシングジムに通う中学生の息子さんをお持ちなのですが、受験生(3年生)になる来年からは練習にあまり行かせないのだそうです。
「うちの息子は成績が悪くてさー。もう、どうしようもないのよ。勉強させないとさ。高橋君が中学生のときはどうだった?」と聞かれました。
自分ですか。自分は中学2年生の終わりごろ、5教科の偏差値が脅威の「38」でした。「38」ですよ。
自分は小学生の時点でリュ-スケ流忍術を創始し、「忍法、現実逃避の術」をよく使いこなしておりました。
要するに、みんなが授業中に勉学に励んでいるとき、自分は自分の心の中にだけあるお花畑で遊んでいたわけです。
「あはは~うふふ」とか言いながらチョウチョを追いかけていたわけなのですよ。
授業中は全生命力の2%を使い、部活で90%使い、残りの8%は家に帰ってからの毎日の日課であった愛犬の散歩(1時間)に使っておりました。
散歩が終わった後、犬をブラシがけし、餌をあげ、ナデナデして可愛がったあと、お風呂入って寝る、と。その繰り返しですので、成績はもちろん上がりません。
理科を担当していたS間先生などは、
「オレが歴代教えてきた生徒で優秀だったベスト3は、おまえの兄貴2人とおまえの従姉妹だ。リュ-スケは、もしかして、小さい頃に頭を強く打ったりしなかったか?ん?」などとおっしゃってました。
そんな自分にも3年生になって初めての進路相談がやってきました。
自分は当時、とにかく治安の良い高校に行きたかったのですが、(中学が荒れた学校でしたので)自分のいた学区では、治安が良い学校というのは木更津高校と君津高校、志学館高校という私立高校の3校しかありませんでした。
追記:比較的治安の良い学校では、木更津高専というところもありました。ちなみに、「ほかは治安が良くねえのか、言いがかりだぞ」というご意見もあるとは思いますが、中学生当時の自分の考えですので、あしからず。
差別ではありません。
いろいろと考えた挙句、女子生徒がかわいいと評判で、公立高校では珍しく400mトラックを持つ(陸上を続けるには最適)君津高校を第1志望にして、進路調査票を提出したところ、担任に呼び出されて速攻で殴られました。
先生は右手で2本指、左手で5本指を立てて言いました。
「おい、リュ-スケ、寝言言ってんじゃないぞ。おまえの頭で君津高校に行くには、あと偏差値が25足りないんだぞ。いいか、25だぞ。」
「おまえはなんでこんなに勉強できないんだ!」とも言ってました。
自分が「いや、先生、僕は3月生まれなんで他のみんなに比べて不利なんですよ」と返すと、
「おまえより1日遅く生まれたU澤(幼稚園時代からの親友です)は成績良いだろ!言い訳するな!」とまた殴られました。
いやー、まいった。合格確実圏が偏差値62か63ってか。自分はお花畑に永住する決意を固めつつありました。
そして、先生はほぼ、自分の進路についてサジを投げました。
しかし、幸運なことに、うちのクラスで仲の良かった(今はそんなに仲良くないけど)友人達(5人)はどういうわけか、自分を見捨てなかったのです。おい、リュ-スケ、目を覚ませよ、と。
普段から成績の良かった彼らは、彼らの勉強の時間を割いて、主に放課後などに自分に勉強を教えてくれたのです。(勉強のできる子というのは、例外なく教え好きだったりするのですよ。他にも何人か教わってました)
彼らは優しかったです。熱き友情です。
「てっめえ!なんで、連立方程式ができねえんだよ!ボケ!」
「当時のイタリアの首相の名前はムッツリーニじゃねえ!ムッソリーニだ!」
などと暖かい言葉をかけながら、見事なティーチングマシンぶりを見せてくれました。
↑たぶん、15年前のことなんでみんな覚えてないだろうけど。
5人とも、リアルドラゴン桜ですよ。
そんなこんなで、なぜか成績が上がってきて、何かの間違いで自分は君津高校に入ることができました。(よく入れたね)http://www.chiba-c.ed.jp/kimitsu-h/
合格発表の時などは、寝坊した自分を、別の木更津高校を受けたM上(一番厳しかった)という友人がわざわざ高橋家を訪ねて迎えにきてくれて、一緒に君津高校まで行ったりなんかしました。あれは、オレに対する親心みたいなもんか?
まあ、友人達の努力と親切と友情を裏切って、高校に入ってからの自分は再び、授業中にお花畑でチョウチョを追いかけていたわけなのですが、いまだに彼らには感謝をしています。だって、ヤンキ-だらけの高校なんて行ってたら、大変なことになっていただろうからね。
みんな、その節は大変、お世話になりました。
おかげで、今では僕も、それなりに大人になりました。
ま、今でも3日に1回はお花畑に行きますが。
