暴力論
メールで感想をくださった方が多数いらっしゃいましたし、コメントを書いてくださった方もいらっしゃいました。
ありがとうございます。とても参考になりました。いやはや、こんなしょぼいブログに反応してくださって。
最初は、自分の少年時代の頃を思い出しながら、つらつらと思うがままに、まとまりもなく書いた話題でしたが、話がワイドワイドになってきました。
自分のようないわゆる変わり者(←変わり者じゃない奴っているのかね?)と言われる人間の肩身が狭くなるような風潮が気にくわなくて、筆をとったわけですけど。
メールやコメントの中には、
「プロボクサーのブログで、こういう話題を取り上げるのも珍しいね」
「分裂病である、ないに関わらず、子供達の暴力が最近目立ちすぎる。どんどん凶悪になっている」
「最近の子供達は怖いよ」
「弱い子が多くなったね」
「原因の究明の仕方が安易すぎる」
「特に狭い一部分にしか焦点をあてずに犯罪の引き金を特定してよいものか」
といったような意見がありました。
みんな、随分と関心があるようです。中には、教育に携わっている人もいますし。
自分は、今回の会津若松の事件は特殊な例として認識していますが、(特殊とはいっても、誰もが少年のようになる可能性は充分あると思うけど)基本的に、「暴力」というものに大きな感心を持っています。ボクシングが暴力と対極にあるものだから、逆に気になるのかも。
ボクシングは、暴力と対極にあるものだから、プロボクサーである自分は、暴力から遠く離れたところにいるかというと、そうではなくて、暴力と日常的に隣り合わせで生活していると。(これは誰でもそうですよね。いつ自分に災難が降りかかるかわからない)
遠いようで近くにある暴力。
さて、自分は、暴力事件(いじめも暴力に含まれる)や殺人事件が起きたとき、「何でこんなことをするんだ」というような原因を考えたりはしません。
「彼らの中にある何かが、または周りにある何かが、彼らの暴力を止められなかったのだろうか」と考えるわけです。(周りにある何かっていっても、警察や教師じゃないです)
・だって、生まれてから何かの対象に対して、殺意を抱いたことのない人なんていないだろうし、人は誰だって、暴力性を内に秘めているはずだから。
・自分なんか、この手で処刑してやりたい奴が、常時30人くらいいますし(笑)
・高校一年のときなんて、部活に行くたんびに、危ないイメージが頭を駆け巡ってた。
(けっこう嫌だったんですね。あの環境が。陸上競技は好きだったけど)
・で、実際、ボクシングを始める前は誰かに暴力を振るったこともあります。
個人的な話ですが、自分はボクシング始めてからは誰にも、一度も暴力振るったことないんです。(本当だよ)
しかし、それは、自分が良識な人間だからというわけではありません。
さて、どういうことかというと、
・まず、自分の暴力性を抑制してくれる物としては、プロボクサーとしての責任感というのがあります。(責任ってのは、周りからの期待や、良い意味でのプレッシャーが生むのだと)
・あとは、合理性。「こんなことで、手を出したら、プロボクサーを続けるのが難しくなる。これはいかん。面倒くさい。もったいない。やめとこう」てな具合です。
・後は、「暴力なんてコストのかかるものをしている暇がない」てのもあります。
「暇がない」ってのは、けっこう重要ではないでしょうか?
・だって、充実した仕事を持ってたり、朝が早かったり、子育てが大変だったり、勉学や研究や部活に熱中してる人は、面倒なことを非常に嫌いますからね。
・だいたい、暴力なんて、寂しい人間が行うことですし。
作家の村上龍が「寂しいの反対語は忙しいだ」と小説に書いていましたが、至言だと思います。
・上に挙げたことは、自分のようないい大人でも、子供達でも、だいたいの人に共通していることだと思うな。
・道徳性よりも合理性。
・自分のような、しょうもないひねくれ者なんか、特にそうです。
・ついでに言うと、朝礼で校長先生が語るような、命を尊ぶ、ありがたいお話はあまり意味がないと思うぞ。
子供達に、聖人君子であることを期待してもね。ナンセンスですよ。
まとまりがない文章ですが(何が言いたかったのかよくわからん)、暴力についての思うところをつらつらと書いてみました。
みなさんの考えはいかがでしょうか。
実は、先日、仲の良かった先輩が急死しまして。
けっこう、こたえました。こういうときは、とにかく、ハードな練習をするか、何か別のことをウダウダと考えるのが良いと思いまして。