今度番組で開催される、
第二回「スカウトバトル」(お笑いのオーディションで優勝賞金100万円)の企画会議で、
東京から元祖爆笑王さん、さださん、マネージャーの市川さんらが来福された。



深夜遅くまで、会議は行われ、その後はみんなで飲み会。
どんなに仕事が遅くなっても必ず打ち上げるというのが福岡のルールー。
行き着けの店に皆様ご案内。




店に着きテーブルの真ん中に陣をとった元爆さん(元祖爆笑王)は
福岡名産「ゴマさば」と僕等をいじるのをつまみに
芋焼酎をぐびぐびと上機嫌!!


元々、この福岡プロジェクトのきっかけになったのも元爆さん。
さすが、元祖!!ワタナベ九州においても元祖なのだ。


そして桑原貞雄さん。
僕等はさださんと呼んでいる。
元ピーピングトムというコンビで僕等の大先輩。
今はワタナベコメディスクールの講師をされている。


僕と、さださんとマネージャーの市川さんがそろうと話はいつも
「東京ジャムカンパニー」になる。



東京ジャムカンパニー(通称ジャムカン)とは、
ピーピングトム、アクシャン、18きん、ザンブングル、大隈いちろう、ゴリけん等で結成された
コント集団で今の「アウトオブオーダー」の元祖と呼ばれてるもの。
(ここでは元爆さんは残念ながら元祖ではない)


三年くらいの活動だったが、毎日朝から夜まで稽古、稽古!!
大変だったけど、ものすごくいい経験となった仕事の一つ。



今回の飲み会でも、僕がやらかしたミスが話題に!!


「マイク着いてます事件」

当時ジャムカンの舞台のリハーサルは、とにかくいつもぴりぴりしていた。
ちょっとでもミスれば、演出の今村さんから怒鳴り声が響いてきて皆緊張していた。


リハでいつも今村さんを怒らせてしまうのが、転換いわゆる着替えの問題。
演者は短い時間の中で次のコントに間に合う様にダッシュで着替えなければならない。


そこでいつもテンパルのがピンマイクの受け渡し。
限られたピンマイクをコントごとに付け変える作業が
いつもスムーズではなく、今村さんを怒鳴らせていた。



そこで僕が指名されたのが、ピンマイクがかり!!
誰が誰にピンマイクを渡すのか、僕が把握して指示する係。
指名されたからにはと僕は必死だった。
みんなにピンマイクはちゃんと付いているか、
付いていてもそれはちゃんとあっているのか!!
僕がいる限りマイクのミスはさせない!!!今村さんを怒鳴らせない!!
当時の僕は日本一ピンマイクの事を考えていた芸人だったかもしれない。


事件は起きた。




いつもの様にみんなのピンマイクチェックをおえてステージへ。
コントをやっていると、今村さんからの鬼の声が!!!




「ピンマイク付いてないやないかいぃいいいい!!!」



なんだって!!!!あんだけチェックしたのに!!誰やそんな奴!!
僕は思わず拳をにぎりしめた。




「ゴリけん!!!!お前だよぉおぉおおおおおおおおおお!!!」





えっ?えっ?えっ?えっ??俺!!


一瞬えっの言いすぎで過呼吸になりかけるも
ゆっくり自分の胸を見る・・


思いっきり、僕にはぴんマイクが付いてない。
人の心配をしすぎて自分にピンマイクを付け忘れてしまったのだ!!!



悔しかった・・・あんなにみんなが怒られない様にこころがけたのに
なんで僕が。。。。



怒られたくなかった。。怒られたくない。。その気持ちが強くでた僕は
一か八かの勝負にでた!!



「いや!!マイク着いてますぅうううううううううううう!!!!」



僕は思い切り声をはってみた!!!


人生で一番はった、いい声だったと思う。



これでなんとか誤魔化せんか!!と思った瞬間


「どんな言い訳やぁあああ!!付けて来ぉおおおい!」という今村さんの一言でジ、エンド。



取りにいく途中、てんぱって出た自分の汗ですべって
階段からころげ落ち、膝から血を出してしまうという
二次災害も引きおこしてしまった。もう本当にあちゃあちゃであった。



こんなミスが山ほどあるのだが、それはまたの機会に


最後にさださんが
「ジャムカン、練習はきつくて色々あったけど
メンバーそれぞれ芸人としての地盤を学んだんだ!!」と言われた。



この話をうけて斉藤が「じゃ、ゴリさんはジャムカンでなに学んだんですか?」と聞いてきた。


「ミスかなぁ」



そう答えると斉藤は深く、深く、海より深くうなずいた。