今日は一日、自分でやろうと思っていたことが全然進まない。


そのせいで行こうと思っていたところに行けなくなる。


会いたいと思っていた人に会えなくなる。


「行くよ」っていって行けなかったこと、


「やろう!」と思ってやれなかったこと、


いったいいくつあるのだろう。


それでも、そのすべてを受け入れてくれるここの人たちに甘えっぱなした。


私はここへ来て、自分で決めたこと・・・


はたして何パーセントを実行できただろうか・・・。


あぁ、ちゃちゃっとなんでもできたらいいのに・・・。


自分の能力のなさ・・・要領の悪さ・・・



ホント



ふがいないや・・・


全てに情熱を注ぎたいのに


でも


全てにはそそげない


自分の許容範囲を超えてる。


どこまでやって


何を大事とすればイイのか・・




う~ん、でも家に着いてアマと何気な会話をしながら少しお茶してたら


アマが一言。


「部屋戻って、カザ食べたら1時間寝なさい。

たくさん仕事しすぎるのはよくないわよ。」


って。


そう言われたら、そんな気になってきた。


ふがいない・・・


そんな日もありか・・・クローバー

今年は雨期(モンスーン)に入るのが


例年より1か月も遅れた。


雨が降らなければ、田植えができない。




”今年は米がとれない・・・。”




皆口を合わせて言っていた。


自給自足。


自然と共に生きる。


そんな人々。


恵みの雨が降らなければ米がない。






ここ2日、ようやくまとまった雨が降った。


そのため、今日村で予定していたカリュクラムが中止になった。


田植えで、カリュクラムどころでは、ない。


その連絡があった時、

もちろん、即座に承諾。


カリュクラムなんてやっている場合じゃない。


むしろ私も田植えを手伝いたいくらいだ。



”いや、今日はゆっくり休んで。”



同僚に言われるがまま、すでに村の近くまで来ていたので


道の両脇に広がる田園で


ここぞとばかりに田植えをする人々を眺めながら


自転車でのんびりと帰ることにした。




日本社会の中で仕事して


雨が降ったから一つのカリキュラムが中止とか


あり得ない。


でもここでは死活問題なのである。


日本にいたときは、当たり前と思っていたことが


ここでは全く通用しない。




小雨の降る中


てきぱきと田植えする人々の姿は


すがすがしく


どこまでも美しい。




この風景を見ていたら


自然の流れに逆らってまで


するほどの仕事・・・って


価値があるのか。




そんな風に思う。




日本社会に戻れるのか、私・・・。


しかし


しかし



・・・・・である。




恵みの雨が降ったら田植えをする。


生きていくために当たり前のこと。


ぼんやり彼らの姿をみていたら


”生きてるなぁ~”




と実感。


ものすごく実感。




日本にいる時には


あまり感じなかった、感情が こみ上げた。







今日はネパールの暦の3月15日。(アサール、パンドラガテ)


家でパソコンの仕事をしていたら、アマがきて、


今日はダヒとチュウラ(ヨーグルトと乾燥したお米)を食べる日だからと、


カザを持ってきてくれた。


今日はネパールのどこの家庭でも、ダヒとチュウラを食べてるらしい。



ネパールのこういった文化に触れられるのも


あと半年。


そう思うと、少しさびしい。


仕事のことばかり考えていると、その土地の文化や慣習、季節を感じること


ついつい忘れてしまいがちだけれど、


それって大事なことだよな・・・。



ここの家族は私をいつも、そんな大事なことに


気付かせてくれるのです。




maya & bhawana



ダヒとチューラ