実は今となっては驚かれる、というより信じてもらえない事がほとんどですが、私は幼少の頃からピアノを習っていました。(;゜0゜)
なぜそのような事になったかと言うと、私の死んだ父が家を新築した時に、取引先の社長からお祝いにとグランドピアノをいただいた事が原因です。
ピアノを習う為に買うというのが本来の順番なんでしょうが、我が家の場合逆で、せっかく立派なピアノがあるんだから誰か弾けないと格好がつかないだろう!と父が言い出し、この私が被害者になったという訳です。(~_~;)
んなもんやりたくねえっつう~の!と猛烈に反対しましたが、父に逆らえるはずも無く、週に二回ピアノの先生がうちに来てレッスンを受ける事になってしまいました。(-。-;
最初はもちろん嫌でしたが、曽我先生という当時40歳位の女性の方が凄く美人だし優しく教えてくれるので、毎回のレッスンが段々楽しくなってきました。
♪( ´θ`)ノ
曽我先生は私に、「男の人でピアノが上手に弾けると凄く素敵だよ」「上達するのが凄く早いから先生も楽しみだわ」とお世辞かもしれませんが褒めてくれたので、いつの間にかピアノのお稽古の日が待ち遠しくなりました。
しかし私がある程度ピアノを弾けるようになると、うちの母や弟達がちょくちょく見学するようになり、非常にやり辛かったので、父に頼んで私が曽我先生の教室に通うようにしてもらいました。
今でも覚えていますが私のお稽古は火曜日と土曜日で、火曜日は学校帰りに教室に行き、土曜日はスポーツ少年団でサッカーをやっていたのでその練習が終わってからピアノのお稽古に通っていました。
しばらくすると曽我先生が私に発表会に出てみないかと言い、簡単な曲ではあるけどピアノを始めてから半年程で小さな発表会に参加する事になりました。
小さな発表会とはいえ、かなりの人数の前で初めてピアノを弾きガチガチに緊張してしまい、一度ミスをしてそのまましばらく手が止まってしまったけど、曽我先生が「落ち着いてね大丈夫だから!」と声をかけてくれ、なんとか最後まで演奏する事が出来たのをハッキリと覚えています。
数年間ピアノ教室に通い、譜面を見れば曲をある程度スラスラと弾けるようになりましたが、中学校に入学し部活動などで時間があまり無くなり、その後間も無く父が今度はアメリカ行きの話を持ってきた事により、残念な事に曽我先生の教室に通う事が出来なくなってしまいました。
あれから30年以上経ってしまったけど、あれ以来曽我先生には一度も会っていません。
元気であれば現在もう75歳位のはずだけど、私の事をまだ覚えていてくれるのだろうか?いや、覚えて無くてもいいから今も元気でいてくれたらいいな。
生意気なガキなんかに一生懸命丁寧にピアノを教えてくれて本当にありがとうございました。
今の私があるのも曽我先生の影響がかなりあると思っています。
畑は違うけど、私も先生を見習って一生懸命指導したいと思います。^ ^