昨日は、彩の国さいたま芸術劇場の提携プログラム「彩芸ブロッサム」の企画で、女屋理音さんの作品を拝見しました。

 

以前、世田谷パブリックシアターのシアタートラムで『Pupa』を観て以来です。

ヨコハマダンスコレクション2021の『I’m not a liar.』で最優秀新人賞を受賞されてからは、若い世代の中でも次々と大きな企画で作品を発表されている印象があります。

 

彩の国さいたま芸術劇場ではダンス作品の上演が多く、私もよく足を運びます。

なかでも、駅から劇場まで少し歩く距離があるのが、私はとても好きです。

昨日もその例にもれず、のんびりと歩いて向かいました。

 

「朝ぎりの中に」という言葉がふと頭に浮かび、それを反芻しながら歩いていました。

夕暮れなのか、早朝なのか、自分でもわからなくなってきて、

一日の終わりに感じる体の重さが、目の前の景色を“夕方だ”と決めつけているような気がしました。

 

電車で少しうとうとしていたせいかもしれません。

ぼんやりとした気持ちのまま、劇場へ向かっていました。

 

 

劇場に着くと、↓ こんな感じの様子でした。

 

 

いわゆる「これからダンスを観るぞ」という緊張感はあまりなく、

広い空間の中央に、白い線がすっと引かれているのが見えました。

音楽とダンスがテーマらしいと知っていたこともあって、少し気楽に構えて観よう、という気持ちになりました。

 

前作『Pupa』では、劇場空間や舞台美術の印象もあり、「世界観」の力がとても強かったように思います。

蛹のような布や赤い花びらなどが舞台に配置されていて、あのときは“ダンスを観る”というより、何か別の感覚に身を置いているようでした(それもまた、楽しく観ていたのですが)。

 

 

それに比べて今回は、作品の冒頭から「今からダンスを観るんだな」と自然に感じられました。

ドラムの家坂さんが、足音を少し響かせながらドラムセットに向かって歩いていく様子を見て、すっとその感覚になりました。

 

そして、目を閉じた演者が階段から降りてきて、ゆっくりと動き始めました。

今回が女屋さんのソロ公演であることは事前に知っていたのですが、最初はなぜか彼女に見えなくて。

柔らかくて、白い何かが、広い空間の中で静かに何かを探しているようで──

その姿がとても美しかったです。

 

その美しさに見入っているうちに、気づけば女屋さんが踊り始めていて、

そこからは自分も音に身を委ねるような気持ちで観ていました。

ドラムのリズムに合わせて体を少し揺らしてみると、女屋さんのエネルギーの起伏がより強く伝わってくるように思えて、

お隣の方の邪魔にならない程度に、そっと体を動かしてみました。

 

結果として、それがとても楽しい体験でした。

ドラムの音がまっすぐ体に飛び込んできて、

「今、隣の人とも同じ音を聴いている」と感じられるような、不思議な共有感がありました。

 

 

 

ちなみに、最初に見えた白い線の正体は、白い粉でした。

終盤になると、その粉に体が触れてぼやけていき、

舞い上がった粉がまるで舞台にスモークが焚かれているかのように見えて、とても美しかったです。

 

詩的な印象を受ける演出も多く見受けられましたが、

個人的には、あまりそこに意味を詰め込みすぎずに観ていました。

というのも、作品と観客の間に詩的な要素があるのではなく、

むしろ、作品と演者の間にそれがあるように思えたからです。

 

「表現」という言葉をあえて避けているような印象さえ受けました。

パンフレットには、女屋さんのお祖母様が書かれた詩が載っていましたが、

それを“演出”するのではなく、ただふんわりと香らせるような、匂いのような距離感で提示したかったのでは──と、そんなことを想像しました。

 

演出や音、詩などの要素が、ひとつの体を通してこちらに届いてくる感覚がありました。

音だけは、演者の体を通さず、直接こちらの身体に響いてくるようで、

そこがまたとても面白かったです。

 

 

 

次回作の予定も、すでに決まっているようですね。

今からとても楽しみにしています。