アカウントを建ててもその度に知人に見つかってしまい、早い段階で自分の正直な心情を整理するにはその媒体が適切なものではなくなる。しかし少なくとも中学生の時分から今に至るまで続けている、日記をつけるという行為の意義は特にこの2年の間で大きいものであることを認識した。記録をつけることは自分の中で重要な位置をしめるようになった。

小説「アルジャーノンに花束を」の中で主人公は変化する自己に対応するためにある日から日記の提出を義務付けられていたが、次第に変貌を遂げる中で彼は人に見られない形で記録を残すことの重要さを知っていった。名作は誰にも見られない場所で生まれるという言葉もあるが、まさしくそれは内面を抉り削る作業に没頭することであるからだろう。自分もまた彼のように何もかもをさらけ出すことには抵抗がある。核心部を積極的に人に見せたがる人は決して多くはないだろうとも思うし、秘密を持っていることは自分を自分たらしめる一つの要素であると同時に愉快なことですらあるだろう。

そういった思いから閲覧者も現実で何から何まで探りを入れる連中も減ってほしいと願っていたが、ネットに限ってはアクセスが一桁にまで減ってみると逆に増やしてみたくなる。
日記のサービスなのだから日記をつけろということなのか、ツイッター機能が縮小されて見づらい。だからブログに戻って適当な文章にまとめ上げようかとも思う。またアクセス解析を見てもツイッター機能を読んでる人はほとんど皆無で、かえって更新のないブログの方が未だに閲覧が多い。とはいえ一人で家に籠っていると構成を考えてまで発表するほど大した面白いこともないから続けづらいという一面がある。
遂にスパムが来る程度にカビの生えたブログになってきたか…