先日、退院の日に雲仙普賢岳を眺める機会がありましたが
雲仙普賢岳が噴火した時、中学2年生で
被災地の島原に住んでいました
同級生の父親がタクシー運転手で報道陣を現地まで乗せ
火砕流の被害にあって亡くなったり
町の南北の川が土石流の被害に合い
橋が壊れ陸の孤島になり
船を使い通勤、通学する人もいました
友人家族が引っ越したり
避難して離ればなれになったり…
コロッケを頬張りながら、その頃を思いだし
今起こっている能登半島地震と
34年前の記憶が入り交じってしまいます
辛いけど前に進んでいかなければ